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岸田奈美さんを知った私の周りで起きた、小さな変化のこと


作家・岸田奈美さんを知ったのは、多分2年前の今頃だと思う。

新幹線での出来事を記したツイート。

歌手・槇原敬之さんが逮捕された日の夜、新幹線に乗った彼女は、静かなはずの車内に彼の曲が爆音で流れているのを耳にし、驚いてツイートした。

一方、曲を流した張本人も、Bluetoothでスマホと繋げたはずのヘッドフォンが繋がってないことに後から気づき、「ごめんなさい」とツイートした。

たまたまその二人をフォローしていた人がいて気づき、「Twitterすげえ」とまとめてツイートした。

これのリツイートを見たのだ。笑った。

そしてこのときは、この人が岸田奈美さんだと気づいていなかった
(ちなみにその後3人で会ったらしい)。

その後、彼女の書く文章を読み始め、彼女の家族のことを知った。

弟さんがダウン症という障碍を抱えていること。
お父さんが中学生の時に急逝したこと。
その後お母さんも病気が元で車椅子生活になったこと。

一部私と同じだな、と思った。

同じって思い込むのは危険だ。

思い込みでかつて友だちを傷つけたことがある。

立場が違うのに、同じだと勘違いしてモノを言っていた。
その人は私の話を聞いていてくれたけれど、最後に、
「あなたって上から目線だよね」「何様なの?」「どうせあなたも私から離れていくんでしょう?」と言われた。

一つだけなら我慢してくれていたんだろうけど、あろうことか私は二つのことについて上から目線でモノを言っていた。

そりゃ、嫌だよな。今はわかる。

その人との付き合いはそれきり終わった。
もうこの世にいないその人と次に会うのは、来世だ。
いや、私なんかには会いたくないかもしれん。

そういうことがあったから、岸田さんに対しても慎重だった(友だちじゃないけど)。

同じって思って良いんだろうか?

その岸田さんが自主サイン会で、わが居住地(の隣の市)にやってくるのが分かったのは2021年11月だった。12月になり、日程を見て驚いた。たまたま同じ日、すぐ近くで仕事の研修がある。帰りに寄ればギリギリ午後からの仕事にも間に合う。これは行くしかない。

何を思ったのか、サイン会のことを知る前に私は彼女の最新刊を買っていた。それを持って行こう。そしてもう一つ、ダメ元で、「あれ」も。

当日、研修が終わり、ドキドキしながら会場に向かった。
時刻は開始15分前。

着いてみるとすでに人が並んでいた。その後ろに並ぶ。私と同じくらいの年齢の女性の方が多い気がする。少しずつ人が増え、私の後ろに並んでいく。皆さん手にお菓子やプレゼントの入った袋を持っている。しまった、私は手紙は書いたけど(ファンレターなんて殆ど書いたことないのに)、プレゼントまでは頭になかったぞ。でも今更どうしようもない。ここは奥義「ごめんなさい」だ。

時間が来て、マネージャーさん? から、XX新聞社の雑誌〇〇の密着取材が入っている旨のお知らせがあり、サイン会が始まった。

少し待っていると私の番になった。

部屋の中では岸田さんがニコニコと座っていた。

テレビや本の近影で拝見したときと違う、きっぱりとしたショートカットで、にぎやかな柄のブラウスを着こなしていて、それがすごく格好良いな、と思った。

「このたびは来ていただいてありがとうございます」
「いえ、こちらこそお会いできて嬉しいです。あの、私、手紙だけで、何もなくてごめんなさい」
「いいんですよ、来てもらえてそれだけで」
と会話をしながら、岸田さんは私の持ってきた本に自画像とサインを書いてくれた。その間、「私もスズメバチと戦ったことがありまして」とスズメバチの話をする(「そ、それは…大変でしたね」とあの岸田さんがちょっと引き気味だった気がする)。

そして、「もし良かったら、これにもサインしてもらえますか?」と「あれ」を差し出した。

「あ、良太の手帳! このあたりにも売っていたんですね、嬉しい」
「はい、ロフトにありました。来年はこれを使おうと思って、早めに買って」

それは岸田さんの弟の良太さんが手掛けた、ほぼ日weeks「365にち」という手帳。字が書けない(と思われていた)良太さんが、姉の奈美さんの応援を受けながら一文字一文字丁寧に書いた数字がカレンダーになり、表紙にデザインされている、カラフルで、ポップで、明るい手帳である(良太さんの数字は奈美さんの本のページ数にもなっている)。

「そうか、これは…あ、今年って書きましたけどね、これ来年、2022年です」と言いつつ岸田さんは「今年一年大丈夫! きしだなみ」と書き込んでくれた。

「うわあ! 嬉しい! この言葉があれば、来年どんどん行けそうです! ありがとうございました!」「こちらこそ。あ、実はですね……」と、いい話を教えてもらい、一緒に写真撮影をし、お礼を言って部屋を出た。

その間、5分くらい。

長いような、あっという間のような、濃密な時間だった。

部屋を出てさあ帰ろう、今からだったら31分発の電車に乗れそうだ、少し余裕があるなと思ったその時、中年男性に声をかけられた。

XX新聞社の記者の方だった。

「読者の方にお話を伺いたいのですが」とのこと。
「5分くらいなら」と答えると取材が始まった。人生初…じゃないな、数回目の取材。でも目の前でボイスレコーダーを使われるのは初めてだ。ちょっとビビる。

いくつかの質問の後、聞かれた。
「サイン会に来ようと思われるくらい好きな作家さんって、そうそうたくさんは居ないと思うのですが、今回岸田さんのサイン会に来ようと思ったのはどうしてですか?」

答えようとして、ちょっと言葉に詰まった。

一呼吸置いて言った。
「私、彼女とちょっとだけ同じ立場で。身内に…障碍を抱えた人がいるんです。弟なんですけど」

すると記者さんは少しびっくりした様子で答えた。
「え、私もです。姉なんですけど」
「あら、そうなんですか」(しばし沈黙)

「それで、正直最初は岸田さんの文章読んでて、反発した部分もあったんです。なんか…明るいじゃないですか。私も弟のことでいろいろあったから、複雑な気持ちもあって、そういうのがなんか自分の中で引っかかって。でも、読んでいるうちに、そんなことだんだんどうでもよくなってきちゃって、もう面白いからいいや、この人と、この人の家族と周りと全部、応援しちゃおうって思ってしまって。それに、今まで居なかったじゃないですか、そういう立場で何か発信できる人が。それもあって、応援しようって」

これに対して、記者さんがどう答えたか覚えていない。

「ありがとうございました」と言って、急いで駅に向かった。
取材してくれた記者さんも、きっといろいろあったのだろうな、と思いながら。

ほんの少しの時間だったけれど、岸田奈美さんに会えて、彼女は「私が人生で出会った人」の一人になった。

これからも彼女のことはずっと応援していきたいし、ずっと見守っていこうと思う。


年が明けて2022年1月。母が電話で言った
(母は車で10分のところに住んでいる)。

「あのねえ、あなたが言っていた岸田奈美さん、本買ったわよ」「え!!!」
「面白いわねえ。一気に読んじゃった。良太くんいいよね、ダウン症であんな感じの人作業所にいっぱいいるからね、あの人もそんなだなあ、この人にも似てるなあって思いながら読んだ」(私の弟は作業所で働いている)
「おおお」
「なんか、元気もらえたわ」

これだ。
これが岸田奈美さんの最大の魅力だ。
読んだ人を元気にするのだ。

そして特に、しんどい思いをしている人とか、福祉関係の仕事をしている人とか、もっともっと届いてほしいなと思う。

本人だけでない、家族のことも知ってほしい
(家族も支援対象であることをつい最近知った)。


最後に。
つい先日、母が電話で言った。
「岸田さんの本、また買ったよー」

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