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主観・選択・生きる

ひと昔前と比較した際、現代の生き方は多様であり、さまざまな選択を選び取ることができる。

その結果何が起こるかというと絶対的な正解がないに等しいということ。人には人の乳酸菌があるように、人には人の選択・決断がある。

みんなその決断をもっともらしく言う。この選択こそ正解なんだと。この選択素晴らしいんだと。就活でいえば自分が内定もらった企業めっちゃ良いのよ!なぜなら〜と。聞いてもいないのに方便を垂れやがる。私がそうだからね。害悪だね〜。

他には筋トレめっちゃ推奨(布教)してくる輩とか。これも私だね〜。害悪だね〜。

しかしその選択・決断は当人にとっての正解であり、万人にとってでは無い。その点この世はポジジョントークだらけだ。自分の選択を良い風に言う。まあ自分にとって良かれと思って意思決定してるので当然であるが。

皆それぞれの正義やこだわりを持っている。別にそれが悪いということではなく、人生なんて私情主観でしかないから当然である。結局何が言いたいかというと正解なんてないから自分の正解だと思う道を行くしか無いということ。誰も絶対的正解なんて教えてくれないから。というより教えられない。

自分の人生、自分で選ぶしか無いよね。そして各々の正義・主観を生きて死ぬ。以上。

じゃあジム行く?

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