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「生みの苦しみ」に向き合う。

とても悩む。

何かを「生み出そうとする」とき。
そもそも何について悩んでいるかもよくわからくなるくらいに。

漠然とした何か。

心配というか恐怖というか、そのような、よくわからないものに覆い隠される。
それゆえ、たぐり寄せたいものをたぐり寄せ、カタチにすることができない。
ただただ時間だけが過ぎていく…。

この状況を打破するものは、一体何か。

「とにかく行動すること」なのであろうか。
「時間をおくこと」なのであろうか。
それとも…。
「切迫感」なのであろうか。

これまでも、「生みの苦しみ」に幾度となく直面してきた
しかし、その都度「打破する何か」に出会ってきたと思う。
ただ、どうして打破できたのかはよく覚えていない。

打破する方法がわかっていれば…。

方法がわかっていれば、そもそもこんなに悩むこともないだろう。
わかっていないからこそ、
その都度打破する方法は異なっているからこそ、
いまこうやってまた悩んでいるのだろう。



そういえば、毎日noteを書きはじめて50日が過ぎ去っていった。

少しずつ、「ネタ切れ」感が出てきた気もする。
100日、200日、そして1000日と連続して投稿している方は、その話題がどのように生まれてきているのかとても気になるようになってきた。

と…。
「ネタ切れ」そのものが「ネタ」になるのか!
おっと、noteをこうして書いていることによって、
一つの「生みの苦しみ」を打破できたのかもしれない。


苦しくても、つらくても

「生みの苦しみ」と向き合い続けることは必要だ。

万能な「打破する方法」というものはそもそも存在しないのかもしれない。
しかし今、Aという「生みの苦しみ」に向き合うことで、Bという別の「生みの苦しみ」を打破することに偶然つながった。

目をそらしていては、何も見いだすことはできない。


今日も新しい気づきをありがとうございました。

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