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[2024/07/07] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第84信:不思議な非日常に垣間見える現実、見応え十分なSFスリラー~Netflix新作『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』より~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第169号(2024年7月7日発行)所収~

轟(とどろき)英明 様

6月中旬に一時帰国からジャカルタに戻り一息ついてから、配信サイト・ネットフリックスをチェックすると、ネットフリックスオリジナルの新作品として、『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』(Joko Anwar’s Nightmares and Daydreams)が配信されていました。ジョコ・アンワル監督といえば、日本でも劇場公開されたホラー映画『悪魔の奴隷』シリーズなどでも有名なインドネシアを代表する映画監督の一人です。

『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』(引用:X, @NetflixIDより)

7エピソードからなる連作ですが、予想以上に興味深く、見応えがあったため、週末の夕食後一気に全部観てしまいました。古くは円谷プロの『ウルトラQ』的でもあり、『トワイライトゾーン』や『世にも奇妙な物語』のようでもありますが、現代インドネシアが抱える(世界共通なものもありますが)社会問題や現代史の事象が陰に陽に盛り込まれていて、タイトルに『ジョコ・アンワルの』と冠されたにふさわしい、同監督ならではの魅力ある作品に仕上がっています。

私はネットフリックスのインドネシア版で鑑賞しましたが、日本版の「テレビ番組第1位」との表記がしばらくの間あったので、日本版でも視聴可能かと思われます。そこで今回は内容展開でのネタバレをできる限り抑えながら、同作品の魅力や設定時代背景の意味するものについて話していきたいと思います。

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前述のように同作品は7エピソードからなっていて、ジョコ・アンワル氏は全編にわたってエグゼクティブ・プロデューサーを務めるだけでなく、最初と最後のエピソードの監督、また5つのエピソードで単独、あるいは共同で脚本も手がけています。各エピソードは冒頭、「〇〇年、ジャカルタ」とドラマの時期と舞台表記から始まり、ドラマが展開する時代背景のヒントが読み取れます。以下、各エピソードのタイトルと冒頭表記を羅列してみます。

エピソード1:「老人ホーム」(Old House)、2015年ジャカルタ
エピソード2:「孤児」(The Orphan)、2024年ジャカルタ
エピソード3:「詩と苦痛」(Poems And Pain)、2022年ジャカルタ
エピソード4:「遭遇」(The Encounter)、1985年北ジャカルタ
エピソード5:「向こう側」(The Other Side)、1997年ジャカルタ
エピソード6:「催眠状態」(Hypnotized)、2022年ジャカルタ
エピソード7:「私書箱」(P.O.Box)、2024年ジャカルタ

エピソード1の「老人ホーム」はホラー色のある物語で、老人介護問題がテーマです。いまだ人口増加が続き、大家族制度が多くで守られているインドネシアでも、首都ジャカルタにおいては核家族化が進み、日本と同様に老人介護問題が出始めている現状がドラマの背景にあります。

主人公はタクシードライバーで低所得者用の団地に住むパンジで、同居する母親に老人性痴呆症の傾向が出始めたため、老人ホームへ母親を入居させます。ようやく立ち上がれるほどの幼児を抱え、夫婦共働きの現状では母親の面倒まで見きれないという致し方ない決断でした。しかし、自らを愛し育ててくれた母親を放り出したような罪悪感に駆られたパンジはその夜、母親を引き取りに老人ホームを訪れます。富豪が経営するという同ホームは清潔で立派な建物にもかかわらずどこか妙な雰囲気があり、スタッフの閉鎖的な態度も気になっていました。そして、老人ホームに足を踏み入れたパンジが目にしたのは、思いもかけぬ異様な光景だった・・・という物語です。

エピソード1「老人ホーム」より。夜の老人ホームで主人公パンジが見たものとは。
(引用:X, @NetflixIDより)

物語の導入部分から主人公パンジの心情に訴えかけるセリフが畳み掛けます。老人ホームの介護士の一人がパンジを責めるかのように問いかける言葉、

「子供に捨てられる親などあってはならない」

さらに母親を老人ホームに預けた直後、車内で妻が自戒を込めて発する言葉、

「あなたは親不孝よ、私も親不孝・・・」

老人ホームの介護士が自らの業務を否定するような発言をすることに疑問を感じるかもしれませんが、これはその後の展開の鍵にもなるのでここでは伏せておきます。これらのパンジに対するセリフは、ジョコ・アンワル監督の強いメッセージ、つまり近代化に伴うインドネシアの家族形態の崩壊とそれに対する警鐘が発せられているといえそうです。日本では現在、老人施設に預けることは既に一般化していますが、核家族化が進んだ先にある少子化、老老介護など日本の現状を見ていたとしたら、同監督はそれらに対するアンチテーゼとしてのメッセージも込めているのかもしれません。

親の面倒を見ることを放棄した、インドネシアにおける家族形態の崩壊の先には何が起きるのか?ドラマではSFスリラーならではの奇想天外な展開を見せますが、それに等しい現実的な悲劇が社会を待ち受けていると同監督は言いたかったのではないかと推察できます。

エピソード1「老人ホーム」の時代設定が2015年だった理由は明確ではありませんが、経済危機から立ち直ってから約20年、著しい経済成長をみせた時期にあたります。経済的中間層という言葉が出始めたのもこの頃です。また、スマートフォンの飛躍的な普及で人との交流や活動がデジタルを介したものに大きく移行し始めた時期でもあります。経済的に豊かになる反面、面と向かった人と人との触れ合い、特に都市部での家族の大切さを重視する習慣が揺らぎ始めた時期として、時代設定がなされたのかもしれません。

エピソード4「遭遇」では1985年の時代設定で、ここだけ北ジャカルタと舞台が限定されています。物語では北ジャカルタの港町、タンジュンプリオクだと説明されていて、ドラマ設定の前年、1984年に実際に起きた人権侵害事件、タンジュンプリオク事件を想起させます。この事件は政府批判をする住民と村役人との諍いがもとで暴動に発展し、治安部隊の発砲により多数の死者を出した事件です。ドラマでは開発に伴い住民に対して立退が迫られる中、普段馬鹿にされていた貧しい男ワヒュが不思議な現象に出くわして以来、住民から神聖視され立退問題でも頼られていく過程が描かれています。そして、クライマックスではタンジュンプリオク事件をまさに再現したような場面も出てきます。

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