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[2023/02/23] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第57信:東部ジャワ語が心地よい青春バンドもの『ヨウィス・ベン』~再び地方語映画の可能性について~(轟英明)

~『よりどりインドネシア』第136号(2023年2月23日発行)所収~

横山裕一様

つい先日2023年の新春を迎え、続けて中国旧正月も来たと思ったら、もう2月です。日本で久しぶりに味わう真冬の寒さに震える毎日でしたが、最近は身体が慣れてきたのか、晴天の空の下で清浄な空気に触れながら散歩するのが楽しくなってきました。あと数ヵ月もしたら、今の寒さを懐かしむようになるのかもしれません。

今回取り上げる青春コメディ『ヨウィス・ベン』1作目ポスター。
定番中の定番展開ながら元気の良い作品。filmindonesia.or.id より引用。

もっとも、私の場合、懐かしむということでは、やはりインドネシアの映画に勝るものはなく、それだけに前回第56信で横山さんが報告してくれたガリン・ヌグロホ監督の新作『殺すのは、愛の詩』(Puisi Cinta yang Membunuh)を心底観たいと強く思いました。巨匠が手掛ける初のサイコスリラーものというのも興味をそそりますが、何より1週間で上映打ち切りというのは如何にもガリン監督らしいエピソードではないかと思います。何となれば、ガリン監督の作品が国内では全く当たらないのはデビュー当時からのことで、にもかかわらずその後もずっと継続して作品をコンスタントに発表、今やインドネシアを代表する巨匠として国際的には認知されているからです。時に難渋難解と形容するほかない作品を幾度も江湖に問いながら、常に我が道を往くガリン監督にとって、最新作が1週間の上映打ち切りというのはむしろ海外セールスには有利に働くのではないか、そんな気すらします。

『殺すのは、愛の詩』ポスター。主演は歴史大作『人間の大地』(Bumi Manusia)でヒロインのアンネリースを演じたマワル・デ・ヨン。filmindonesia.or.id より引用。

ガリン監督作品の何本かは度々この連載でも言及してきました。第3信で『天使への手紙』(Surat untuk Bidadari)、第15信で『ある詩人』(Puisi Tak Terkuburkan)、第17信で『スギヤ』(Soegija)、第23信で『一度だけキスをしたい』(Aku Ingin Menciummu Sekali Saja)を私はそれぞれ論じました。

また、論じてはいないものの既に観たことのある作品としては、デビュー作の『一切れのパンの愛』(Cinta dalam Sepotong Roti)、東京国際映画祭に出品された『そして月も踊る』(Bulan Tertusuk Ilalang)、岩波ホールで上映されて好評を博した『枕の上の葉』(Daun di Atas Bantal)、イラン児童映画にインスピレーションを得たという『愛と卵について』(Rindu Kami Padamu)、インド洋巨大津波被災地のアチェで撮った『スランビ』(Serambi)、即興性の強い現代劇『アンダー・ザ・ツリー』(Di Bawah Pohon)、前述した『スギヤ』の主題を過去に遡って発展継承させた大作『民族の師 チョクロアミノト』(Guru Bangsa Tjokroaminoto)があります。

残念ながら、評者によっては歴代インドネシア映画のベストワンに挙げる、舞踊家やガムラン演奏家らとの華麗なるコラボレーション『オペラ・ジャワ』(Opera Jawa)、その発展形でもある白黒無声映画『サタン・ジャワ』(Setan Jawa)、また横山さんが既に鑑賞済みの『メモリーズ・オブ・マイ・ボディ』(Kucumbu Tubuh Indahku)など、彼のフィルモグラフィーで最重要と思われる作品群は未見のままです。

ただ、私がこれまで見てきた作品群や予告編など各種資料から判断するに、『殺すのは、愛の詩』は、どちらかと言えば彼の前衛的な作品群の系列に属するようで、高評価と低評価が混在しています。「芸術的に見せているようで実は安っぽいだけ」との評を見かけましたが、なるほど過去作にもそうしたものはありました。物語内の因果関係が必ずしも明確ではなく、ある場面と次の場面の繋がりが唐突だったり、象徴的表現や観客の感覚だけに訴える場面が多かったりすると、どうしても一般観客は置いてけぼりにされてしまいます。横山さんが「これまで観たインドネシアホラー作品の中では一番面白かった作品」と激賞されるのも理解できますが、一方で、上映が打ち切られたのは、ある意味必然だったのでしょう。

ある映画に対する自分自身の評価と、その映画の上映期間の長さにさほど因果関係がないことは、第13信で取り上げた『シティ』で私自身経験しています。インドネシア映画祭で最優秀作品賞受賞という前評判の高さに喜び勇んで映画館へ行ってみたものの、上映開始時間に10分ほど遅れただけなのに映画館スタッフは入場を許してくれません。一体どうして?!と食い下がるも、よくよく聞いてみると、上映開始時の観客がゼロだったので、その日は上映しないと決めたとのこと。心底がっかりしましたが、映画上映が営利事業であり商売である以上、極めて合理的な判断と納得して帰路につくほかありませんでした。果たして後日GoPlayで鑑賞した『シティ』は、観たいと思わせる人をゼロにする程度にはなかなか「過激」な反時代的作品で、個人的には大いに満足しましたが。

横山さんは『殺すのは、愛の詩』におけるレズビアンシーンが観客を遠ざけた、あるいは劇場側が過剰反応して打ち切りにしたかもしれない可能性に言及していますが、「上映打ち切り」の結果として、海外セールスや後日の動画配信に好影響が出るのであれば、ケガの功名かもしれませんね。

なお、「レズビアンシーン」と「レズシーン」という言葉を横山さんは特に区別せず混用していますが、当事者団体からはレズは侮蔑的な響きを伴うので使用を避けて欲しいとの報道ガイドラインが出ているので、理由がないのなら今後はやめたほうが無難かと思います。また、映画本編を見ていない私としては、該当場面が「レズビアンシーン」ではなく、女性版ホモソーシャル的行為の可能性も捨てきれないと思っています。同性愛(ホモセクシュアリティ)と同性同士の強固な絆(ホモソーシャリティ)は、隣接しているものの異なる概念には違いないので、最近流行りの「LGBTQもの」と十把一絡げに粗雑にまとめるのではなく、できるだけ丁寧に見ていきたいと自戒をこめて思います。

『自叙伝』ポスター。2022年の東京フィルメックスでグランプリほか各国の映画祭で受賞多数。主演の一人は『ゾクゾクするけどいい気分』のアルスウェンディ・ベニン・スワラ・ナスティオン。filmindonesia.or.id より引用。

ちなみに、東京フィルメックスをはじめ各国映画祭で激賞されたマクブル・ムバラク監督の長編デビュー作『自叙伝』(Autobiography)は、おそらく『殺すのは、愛の詩』以上に前評判が高く、インドネシアでは1月19日から公開されましたが、観客動員数は33,080人に留まっています。『殺すのは、愛の詩』の観客動員数52,086人を下回っているわけで、これが産業としてみたインドネシア映画興行の現状です。

批評家から高評価を受けた映画が劇場公開してみたら全然ウケないどころか大惨敗というのは古今東西よく聞く話ではありますが、インドネシアの場合、やや極端な形でこうして現れることがあります。インドネシア映画を縦横無尽に、地理感覚も時間軸も行ったり来たりしながら論じるために始めたのがこの連載ですので、興行だけ、内容だけ、のどちらか一方に偏ることなく、むしろ両方を見据える形で今後も論じていきたいところです。

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