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[2024/02/07] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第74信:ジャワ文化とイスラム教が生み出す寛容と優しさ~映画『サジャダの片隅を濡らす涙』より~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第159号(2024年2月7日発行)所収~

轟(とどろき)英明 様

ジャカルタでは「から雨季」であるかのように雨があまり降らない日が続きましたが、1月下旬頃からようやく本格的な雨季らしくなってきました。

前回、轟さんが2023年のインドネシア映画の観客動員数について補足してくれたことに感謝します。前稿で私も迷った挙句あえて外した内容だったからです。理由は様々な作品群の内容に重点を置いたことと、作品の魅力と興行成績とは連動しにくいためです。ただし轟さんの指摘のように、このデータを通してインドネシア人観客の求める嗜好やそれを受けての業界の行方などインドネシア映画界全体を考えるには重要な要素でもあります。

トップ20の作品群の実に65%がホラー作品という結果は、やはりというか何とも極端な結果ですよね。以前も本稿で触れましたが、多数のインドネシア人の映画に対する捉え方が変わっていないのも事実です。「映画はハリウッドや韓国ものが面白い。インドネシアものはイケてなくて、質も低い。観るならホラーだけ」。自国映画に対する人々の認識が、現実とはかけ離れた固定概念になってしまっていることは非常に残念であるとともに、良い作品が埋もれていってしまっているのは「勿体ない」現状です。

偶然ですが、昨年の観客動員2位のホラー作品(Di Ambang Kematian)を劇場で観ましたが、残念ながらあまり印象に残る作品ではありませんでした。あくまで個人的感想ですが、この作品が2位だったと知り、乱暴な言い方ですがホラーであれば何でも売れてしまうのが現状なのかと改めて感じました。ただ、日本映画も似たような傾向です。日本映画製作者連盟が発表した2023年の興行収入ランキングでは、トップ10のうち上位3位を含めた6作品をアニメ作品が占めていて、第4位の『キングダム』もアニメの実写化。残る実写3作品も定番の『ゴジラ』とテレビドラマの映画拡大版です。「アニメ一強」の日本と「ホラー一強」のインドネシア、観客の求める嗜好の偏りは同じです。

ホラー一強とはいえ、業界全体が活況を呈しているため裾野が広がり、いわゆる良質な映画も小規模な制作会社やインディーズで制作される機会が広がっているのも事実です。ただし将来に向けた危惧は轟さんと同じで、前回も紹介した昨年末公開の映画『映画のように恋に落ちて』(Jatuh Cinta Seperti di Film-Film)内のワンシーンを思い出しました。それは以下のような内容です。

映画脚本家の主人公がプロデューサーに脚本を売り込む際、タイトルを尋ねられる。主人公が「映画のように恋に落ちて」だと答えると、(作品内でボケ役の)プロデューサーは「それはいい!」と膝を打って「では、“ホラー映画のように恋に落ちて”でいこう!ホラー、これはウケるぞ!!」と話すシーンです。まさに現在のインドネシア映画界を象徴し、辛辣に皮肉ったシーンです。同時に制作者をはじめ業界内の人々が現状の危機を一番感じていながらも、打破できないジレンマに陥っていることも感じとることができます。

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さて、今回は昨年の観客動員数で、ホラー以外で最上位の3位だった作品『サジャダの片隅を濡らす涙』(Air Mata di Ujung Sajadah)について話したいと思います。劇場で見逃しましたが、Netflixインドネシア版で昨年末から早々に配信が始まりました。並み居るホラー作品群の中でいかに観客動員数3位と人々の支持を得たのかについてもあわせて考えていきたいと思います。

映画『サジャダの片隅を濡らす涙』ポスター
(引用:Multi Buana Kreasindo Productions, https://mbkreasindo.com/)

この作品は「自らが抱いた感情を顧みて、相手の気持ちを慮る優しさと勇気」がテーマです。タイトル内の「サジャダ」(Sajadah)とはイスラム教徒が礼拝の際に使用する絨毯のことです。ジャンルとしては、轟さんがいう「ダッワ(イスラム宣教)もの」に入る作品ですが、全体的には従来作品ほどイスラム色は強くないかと感じられます。しかし、思考要因にジャワ民族特有の寛容さとともにイスラム教の教えが色濃く反映していることも窺える、非常に興味深い作品です。一方で、民族や宗教といった垣根を超えた「母子(親子)の愛」が軸となるだけに鑑賞者誰もが共感を得ることができる、涙なしでは観られないエンターテイメント作品にも仕上がっています。

物語はジャカルタに住む女子大生のアキラが画家を目指す大学生との交際を母親に反対され、駆け落ちする場面から始まります。母親の反対理由は、かつて自分の夫が家庭の経済的安定のため苦労して死亡してしまった経緯からです。その後アキラは結婚、妊娠しますが、運悪く結婚相手が交通事故死してしまい、出産間際に体調を崩したアキラは母親を頼らざるを得なくなります。

母親は若い娘の将来を考え、アキラが産んだ赤ん坊を夫のかつての部下だった若い夫婦に託します。その一方で、出産後に意識を取り戻したアキラには死産だったと嘘をつき、ロンドン留学で人生をやり直すよう促します。留学先でも子供の命日には毎年小さなケーキを買って誕生日を祝い、涙するアキラ。一方、赤ん坊を託された夫婦アリフとユンナは自ら子供を授からなかったため、赤ん坊にバスカラと名づけて我が子のように愛し、アリフの母親エヤンが住む中ジャワ州ソロの実家で新たな生活を始めました。

しかし7年後、アキラの母親が病床の死に際に、嘘をついたまま死にたくないとアキラに真実を暴露したことで物語は急展開します。元会社の同僚から事情を聞いたアリフとユンナはアキラが子供を引き取りに来るのではないかと警戒心を抱きます。アリフは職場を訪ねてきたアキラが子供に一目会わせて欲しいと願うものの突き返し、ユンナもアリフにアキラと接触しないよう忠告します。しかし、アキラはアリフたちの自宅の所在をつきとめ、ある朝訪れます・・・。

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