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[2024/02/23] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第75信:インドネシア映画は高齢者を描けるか?~『ステキな20歳』と『初めての愛、二番目そして三番目の愛』~(轟英明)

~『よりどりインドネシア』第160号(2024年2月23日発行)所収~

韓国映画『怪しい彼女』のインドネシア版リメイク『ステキな20歳』(Sweet 20) ポスター。各国版との違いや如何に? imdb.comより引用。

横山裕一様

2週間ほど前のことですが、東京首都圏では大雪警報が発令され、久しぶりの積雪となりました。一昨年に本帰国して以降、積もるほどの雪は降っていなかったので、だいぶ寒さに震えましたが、一方で何十年かぶりに見る銀世界に心が躍ってしまったことを告白しなければなりません。常夏のインドネシアが懐かしい心情は何ら変わっていませんが、日本で暮らすのもなかなかどうして、良いものですね。

前回第73信での私の指摘、2023年のインドネシア映画興行においてホラーものが圧倒的な強さを見せる状況への懸念を引き取るような形で、横山さんは第74信にてホラーもの以外では2023年にもっとも入場者数の多かった親子ドラマ『サジャダの片隅を濡らす涙』(Air mata di ujung sajadah、以下『サジャダ』) を取り上げていただきました。ありがとうございます。インドネシアのNetflixで配信が始まっていたことは聞いていましたが、日本では観られないようなので、VPNアプリを使っていずれじっくり鑑賞したいと思います。

ただ、あらすじを読む限り、『サジャダ』は古典的で典型的なメロドラマ、いや、並みのメロドラマを上回る強度を持つという意味ではメロメロドラマのようでもあるようです。生みの親と育ての親の確執や自己犠牲、そして子供自身の葛藤。ハリウッド映画の古典『ステラ・ダラス』や戦後日本映画黄金期の三益愛子主演「母もの」に連なるジャンルにイスラーム的価値観を風味として付け加えた印象です。率直に言って、いかにもインドネシア人好みのストーリーだなあと感じます。

私がメロドラマを苦手とすることは以前も書いたとおりです。これにはいくつか理由があります。ご都合主義がすぎる、現実にはあり得ない設定が多すぎる、登場人物が感情過多すぎる、感情表現が大袈裟すぎる、物語全体が冗長すぎる、などなど、いくつもの「過剰さ」が苦手感につながっています。とは言え、一方で荒唐無稽で出鱈目な設定のアクションやホラーものは大好きなのですから、我ながら矛盾しています。観客を泣かせるためなら何でもありの作為性が気に入らないというだけではなく、泣くという行為が他者に操作されることを無意識のうちに私は警戒しているのかもしれません。

ところで、観客を泣かせることに主眼を置くメロドラマの対極にあるのは、社会の矛盾を告発する、誇張なしで現実そのものを鋭く切り取るリアリズムものと想定されます。お涙頂戴で浮世離れしている上に社会の矛盾から観客の目を逸らしてしまうメロドラマではなく、目の前の現実に根差した物語で観客の理性に訴え覚醒を促すリアリズムもののほうが、国際映画祭では明らかにウケがいいし、国内外のインテリからも高い評価を受けやすいものです。

では、リアリズムものは上位ジャンルであり、メロドラマは下位ジャンルなのでしょうか。断じてそんなことはありません。悪い意味でのクソ真面目なリアリズムものは、ともすると教条的すぎる物語に堕してしまうことがままあるし、逆にメロドラマであっても社会問題告発が可能な作品も現実にあるからです。

結局のところ、作品ごとに評価するしかないというありきたりな結論となりますが、「なぜインドネシアではメロドラマが好まれるのか?」という疑問はホラーものが非常に強い人気を誇る事実と同様に、インドネシア映画全体を考察する際に避けて通れない論点であることは間違いないでしょう。

一つの仮説としては、インドネシアはメロドラマを成立させうる社会環境下に今もあるから、というものです。大衆に広くアピールする優れたメロドラマを成立させるカギは、戦争や天災や体制転換などの大規模な社会変容、あるいは社会階層や民族間や宗教間の差異や格差などの有無でしょう。

日本で旧来型のメロドラマが衰退した理由の一つは、敗戦後の社会変動を経て高度経済成長期以降は日本が相当に均一的な社会になったからです。一方、インドネシアでは今まさに高度経済成長期にあると言っても過言ではなく、社会がいまだ旧来型のメロドラマを必要としているのでしょう。逆に言えば、いずれは旧来型のメロドラマは衰退していくのかもしれません。

ただ、『サジャダ』においては、生みの親と育ての親の間に決定的な階級差はなさそうですし、また宗教的敬虔さも両者を分かつ決定的な要素ではなさそうです。その意味では、純粋なリアリズムではないにせよ、旧来型のメロドラマとは一線を画すようでもあります。

にもかかわらず、食事の場面において育ての母ユンナが生みの母アキラに対して「私はお手伝いではない!」と感情を爆発させる場面があるのは実に興味深いことです。インドネシアには厳然として階級が存在することを如実に語っている台詞によって、メロドラマの出自が思わぬ形で露呈しているからです。

また、第67信で言及した『ファン・デル・ウィック号の沈没』(Tenggelamnya Kapal Van Der Wijck)が、呆れかえるほどのご都合主義でほとんど時代錯誤に近いメロメロドラマを全編にわたって展開したのと比較すると、『サジャダ』は時代が現代に設定されていることもあってか、もう少し現実に即した形で観客の紅涙を搾り取る物語のようです。

それでも、インドネシアでも非常に人気の高い是枝裕和監督の『そして父になる』と比べると、メロドラマらしい過剰さに満ち溢れている印象も受けます。実子取り違いの実話を元にした『そして父になる』のように、当の子供が実親の家と育ての親の家を行き来すれば最終的には万事全て解決!とのツッコミは果たして意地悪でしょうかね?

是枝裕和監督のカンヌ映画祭受賞作『そして父になる』画像。メロドラマ要素はあってもメロドラマにならない巧みさが世界中で高く評価された理由の一つか。imdb.com より引用。

グダグダと未見の作品にコメントをつけてしまいましたが、私自身はメロドラマの研究書をほとんど読んでおらず、そのパターンが歴史的にどのように変容してきたのか、十分には理解していないので、まずは関連文献を漁って、さらにインドネシア社会がどのように外来のメロドラマを受容し我が物としてきたのか、過去に遡っていずれじっくり考察してみたいと思います。まずはNetflix で『サジャダ』を観なくては。やれやれ、また宿題が増えてしまいました。

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さて、前回第73信で熟年再婚もの『となりの店をチェックしろ:新たなライバル』を取り上げた流れで、今回も高齢者が主人公の作品2本を論じてみたいと思います。1本目はファンタジーコメディの『ステキな20歳』(Sweet 20)、2本目はコロナ禍の中で制作公開された家族ドラマ『初めての愛、二番目そして三番目の愛』(Cinta Pertama, Kedua dan Ketiga、以下『初めて』)です。両方ともインドネシアのNetflix で観られることを確認済みですが、横山さんはすでにご覧になっているでしょうか。

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