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自由な時代に必要なのは、強いメンタルです


「自分の好きな職業に就く」

「自由恋愛を経て結婚する」

「自分の気持ちが何よりも大事」

こうした価値観がすっかり当たり前になって、もう20〜30年になります。この「自由」と「自分の気持ち」は、今では何よりも尊いものです。住居も結婚相手も職業も「自分の気持ち」に正直に選択し、好きな人やモノに囲まれて自由気ままに生きていく。なんとなくそんなイメージです。

僕が子供だった頃には、生活自体がまだしんどかったせいか、自分の気持ちや自由なんてさほど重んじられていませんでした。個室の子供部屋もまださほど一般的ではありませんでしたし、子供の気持ちに寄り添ってくれる大人もそんなにいませんでした。体罰は当たり前で、女の先生ですら子供を平手打ちする人がいたくらいです。そんなことは当たり前すぎて、誰もなんとも思いませんでした。

職業選択もそれほど自由ではありませんでした。親や学校の先生や先輩などに言われるままの地元の企業に就職するなんてごく当たり前だったのです。また、好きな職業に就くよりも、「まあ生活できればいいや」なんてスタンスで仕事を選ぶ人がいくらでもいました。お見合い結婚もごく普通で、僕の幼稚園や小学校の先生も、いとこのお姉ちゃんもみんなお見合いで結婚していきました。「女の子は学校なんか行ってもしょうがない。早く結婚しなさい」なんて言われて、短大を出て地元企業に就職し、数年後にはお見合い結婚なんていうのが本当にごく普通だったのです。

ところが僕が成人した頃から、自分の気持ちに正直に自由に生きることが何よりも大切になりました。そして世の中がグッとソフトになったのです。少子化が進んで個室の子供部屋が当たり前になったり、ビデオデッキが普及したり、個人で使える携帯電話のような通信機器が普及したことと密接な関係があるように思います。テレビのチャンネルを兄弟で争ったり、彼女の家に電話をすると父親が出て気まずい思いをすることもなくなりました。プライバシーが増え、物わかりのいい親が当たり前になり、みんな思い思いに自由に生きるようになったのです。「世界に一つだけの花」なんて曲がありましたが、あれほど見事に時代の空気を捉えた曲はなかったでしょう。

自由はそんなにいいものなのか?

こんなふうに自由で、めいめいの気持ちが尊重されるようになったのは、果たして本当にいいことだったのでしょうか? 僕はマイナスの方が遥かに大きかったようなに感じています。

自由が溢れる社会というのは、実は制約が多い社会よりもずっと高い精神力を要求される、実に暮らしにくい社会です。それなのに逆行してみんなソフトになってしまったので、精神を病む人が増える一方です。多くの人が「自由=幸福」だと勘違いしていますが、ごく一部の者を除けば、むしろ「自由=不幸」なのです。

今後僕らはさらに自分の人生を自分の手で決めざるを得なくなっていくでしょう。でもその際に、あまりにソフトで繊細に育っていると、生きにくくなるばかりなのです。

そこで今日は、「自由な時代を快適に生きて行くのに必要な力」について考えてみました。

※この文章は単品で100円ですが、1000円でこのマガジンを購入すると、1ヶ月20本くらい読めるので1本50円です。このマガジンでは教育のこと、テクノロジーのこと、あるいは経営に関するなどなど、僕がシリコンバレー、フィリピン、日本の3拠点でビジネスをする中で得た気づきを書き綴っています。

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