なにかが腹落ちするのにはどうしても2、3年はかかります
なにごともある程度腹落ちするまでには、どうしても最低2、3年かかります。
これは、学問でも仕事でも趣味でも同じことです。
また、この「2、3年」という年数はかなり必死こいてやった場合のみで、ボワーンとやっていると10年くらい経っても何一つ腹落ちしないこともあります。
なお、ここでいう「腹落ち」というのは「ああ、なるほど。そういうことか」とある程度納得感が芽生えるレベルです。知識として頭で知っているのではなく、体験として自分の体に根付いている状態です。
いくつか例をあげましょう。
例えば、ギターを覚えたとします。指からが血が出るほど2、3年練習すると、ようやく最低限のレベルに達します。いちいち楽譜やタブ譜を見なくても、聴いた曲が耳コピーで即座に弾けるようになったりします。
あるいは料理だったら、毎日3食を2、3年作ると、冷蔵庫に余っているものをささっと見ただけで、20分後には家族の夕食がさらっと作れるようになったりします。プロの料理人には程遠いですが、「料理ってこんなものかな?」という自分なりのイメージが出来上がります。
ビジネスだったら起業して2、3年必死になって働いてみて、やっと自分たちのやりたいことがぼんやりと見えてきます。
なお、この「ある程度腹落ちするレベル」というのは「実はまだ何にもわかってないな」とようやく身に染みてくるレベルでもあります。これ以前のレベルというのは、あまりに低過ぎて自分がまだ何がわかっていないかにさえ気づけないレベルです。怖いもの知らずなので、わかったような顔してデカイ口叩いたりできる、実に平和なレベルです。
試行錯誤ののちに腹落ちする
ではどうすればこの「腹落ちするレベル」にたどり着けるのでしょうか?
ポイントは2つです。
1点目は、愚直なまでに試行錯誤を繰り返すことです。例えば、英語を身につけたいのであれば、まずは実際に使ってみて恥かいて、改善点を洗い出し、足りないことを勉強するんです。これを繰り返す以外にこれといった近道はありません。
ギターで耳コピーできるようになりたかったら、耳コピーするしかありません。最初はメロディーだけ、次はベース音、その次はコード、ってな具合です。時々つまづいたら、音楽理論やらコード理論やらの本を読んでみるんです。すると、いつの間にかツラツラと耳コピーができるようになります。
何を体得するにせよ、ある程度痛い思いしながら試行錯誤を繰り返さないと、形になっていきません。たまにはそういう道のりをバイパスできる人もいるのかも知れませんが、おそらく1万人に1人くらいの割合でしょう。そんな人を自分を比べても仕方がないので、僕ら凡人はとにかく試行錯誤の繰り返すしかないんです。
近道を探すのは時間の無駄
多くの人が学習に対してこんなイメージを抱いています。
最初に経理の本を読んで、マネージメントの本を読んで、次にマーケティングの本を読んで、その後何回かセミナーを受けて...そんなふうに何か決まった教材を段階的にこなしていけば、やがて会社の経営が「できる」状態にたどり着く....そんなイメージです。同じようなイメージをスポーツ習得や語学学習や婚活などに抱いている人も多いでしょう。
ところが多くの場合、実際はこんな感じなのです。
とにかく手当たり次第に手をつけ、失敗を繰り返し、時間を膨大に費やし、合間合間に足りない知識をつけ、死に物狂いで数年を過ごすうちに、やっと少しだけ腹落ちするんです。一見すると無駄も失敗も多いですし、時間もかかります。しかしそうこうするうちに、周辺知識もつきますし、経験値も上がってきます。するとその後、少しばかり予測しない事態に遭遇しても大慌てなくなります。やがて、少しずつ成功率が上がっていきます。
一見最短距離に見えるルートを走ってくると、こういう種類の応用が効きません。つまりは「まだ腹落ちしていない」と言ってもいいでしょう。近道なんか探してる暇があったら、一度でも多く試行錯誤を重ねた方が結局は自分の血肉になります。
学習は基礎から積み上げるべきなのか?
では次に学習の順序について考えて見ましょう。
しばらく前に流れてきたツイートにこんなのがありました。
これには賛成しかできません。「基礎をマスターするまでは次に進んではならない」なんていうのは迷信です。そんなのに付き合っていたら、一生という時間があっという間になくなってしまいます。
じゃあ基礎が大事ではないのかというと、無論そんなことはありません。しかし基礎の有用性というのはそれを実感してから学べばいいんです。
全ての学習は「三歩進んで二歩下がる」の繰り返しです。先に進もうとすると、どこかの段階で基礎の重要性を思い知らされます。そしたらその時に学べばいいんです。必要性がよくわかっているから学習に身が入ります。しばらくしてから改めて以前つまずいた問題をやり直して見ると、案外スラスラできたりすることもあります。学習というのはどうにも直線では進まないものなんです。先を急ぎすぎず、それでいて常に挑戦し続けることが大切です。
ろくに知識もないままに何かをスタートすることに抵抗感を覚える人もいるかもしれません。でも考えてみれば、僕らは赤ちゃんの時に歩き方のレッスンを履修してから歩き始めたわけでもありません。日本語だって同じです。みんな手当たり次第に覚えていったのです。
メンターの重要性
2つ目に大事なこと、それはメンターの必要性です。
僕たちは周囲の大人たちを真似をして歩き方を体得しました。お父さんやお母さんや兄弟たちの真似をして、日本語を覚えました。
メンターというのは、この時の両親や兄弟のような役割と果たしてくれます。学ぶは真似るですから、最初のうちはメンターのコピーでいいんです。そうこうしているうちに自分のものになるからです。憧れて背中を追いかけられるような存在というのは、本当にありがたいものです。
プログラミングを覚えたいのなら、中国語を覚えたいのなら、経営を覚えたいのなら、自分より上級者とつるみましょう。みんな意外なくらい親切なものです。世の中には優れている人が本当にたくさんいます。
もうひとつメンターのありがたいところを挙げるとすると、大怪我をしないよう見ていてくれることです。歩き始めの頃、怪我をしないよう親御さんがそれとなく見ていてくれたようなものです。ただそれは、弟子である僕らが聞く耳をも持っていればの話ですが。ぼんやりと手取り足取り教えてくれるのを待っていても何も身につきません。学校じゃないんですからまずはあくまで自助努力。これ重要です。
以上、何かが腹落ちするまでの時間と、それに必要なポイントを挙げてみました。大体のことは2、3年真剣にやり込めばモノになります。是非試してみてください!
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