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アメリカで入院、手術をした話

ーー 今日は特別に無料記事としました ーー

実は今年の1月に割と深刻な病気が発覚し、しばらく闘病生活を続けていました。そして、先週の4月27日水曜日に手術を受けました。今日はこの1月7日から今日までの4カ月間を振り返りつつ、アメリカでの闘病生活や手術の体験、50代半ばに差し掛かって今の心境等等を綴ってみたいと思います。

僕のこと

初めて僕の記事を読む方に向けて、簡単な自己紹介です。僕は現在56歳の男性で、アメリカに居住し、アメリカ、日本、フィリピンの3カ所で会社を経営しています。健康状態はあまり良くなく、50歳の時に、心臓の冠動脈にステントを入れています。父親の家系にやたらと心臓疾患が多いので、覚悟はしていました。ただ、その後も定期的には運動しており、ウェイトリフティングやジョギングなどを続けています。そんなわけで、今年の1月までは、そこそこ健康的な生活を続けていました。

最初の異変

ことの発端は、1月6日でした。実はこの数日前からなんとなく胸に圧迫感があったのですが、 この日に突如悪化しました。しばらく横になっていたのですが気分の悪さが取れません。それどころか 「なんか、これはまずい感じがするな…」 という感じになってきたので、嫁さんに声をかけて最寄りの大病院の救急まで連れて行ってもらいました。

この時になぜここで救急車を呼ばなかったかと言うと、アメリカで救急車を呼ぶと無駄に金がかかるからです。意識不明とか歩けないならともかく、そうではなかったので、自家用車で連れて行ってもらいました。

症状や持病などを告げると、すぐに心電図を取ることになりました。そしてその場で、Atrial Fibrillation(心房細動)と診断され、血液凝固を防ぐ薬や、脈をコントロールする薬などを投与されました。

心房細動

通常の心臓は、洞房結節というところから脈を制御する電気信号が発せられることで、ドキドキと規則正しい脈を打っています。ところがこの病気になると、全然関係ないところからも同じような電気信号が出るようになり、心臓が混乱してしまうのです。このため規則正しく脈が打てなくなり、心臓が震えたような状態になります。言ってみれば、オーケストラに何人も指揮者が登場し、それぞれが適当に指揮棒振っているようなものです。

洛和会音羽病院「心房細動の検査・治療について」より

すると血流が極端に悪くなり、心臓内に血が停滞し、血栓になることがあります。そして、それが脳に運ばれたりすると、脳溢血を起こして命にかかわったりします。

幸い僕は気がつくのが早かったことで大事に至りませんでしたが、後日友人の父がこの病気から脳溢血になり、半身不随になったと聞き、早く気がついて本当に良かったと思いました。

僕はその後も色々と検査を受け、最終的にEKGに繋がれたまま、一晩入院となりました。そして、眠っている最中にも振動細胞が起きていることが確認されました。

僕は別の病院でもう6年以上もお世話になっている心臓外科医の先生がいるので、そちらにかかることにして、翌日この救急病院を退院しました。で、この時にかかった医療費がこちらのツイートです。

この時は確か1ドル114円くらいだったので、今だったら一体円建てでいくらになるのかと思って再計算してみたら、医療費が531万円、保険会社負担分が442万円、僕個人の支払いが88万円となることがわかりました。今回の円安、本当にヤバいです。

心臓自体に問題はないのか?

退院後、すぐにかかりつけの心臓外科医に連絡を取り診察をして頂きました。改めて薬が出され、まずは投薬によるコントロールを試みることになりました。また、まずは心臓自体に問題がないのかどうかきちんと確認しようと話になり、カテーテルを入れて心臓の中を見てみることになりました。これが、2月の中旬ぐらいだったかな?

朝7時半ぐらいに病院に着いて、まずはコロナ検査。そして陰性が確認できたところで、そのままオペ室に運ばれて検査しました。検査結果は良好で、血管が詰まったりしているようなところはないとのことでした。

ところが、術後なかなか脈が全く安定せず、一時は30台にまで下がってしまい、さらには時々ピーと止まったりしていました。自分の心電図に平な線が表示されているのを見るのは、なかなか奇妙な感じでした。振動細胞、恐るべしです。

なお、このカテーテル検査、日本でやると普通一泊入院するようですが、アメリカでは日帰りです。脈が乱れていたので一時は入院させて様子を見ようというような話もしていたようですが、その後落ち着いたので、そのまま予定通り帰宅となりました。日本だったらあり得ないと思うのですが、そこはアメリカです。

さらに専門の医者に紹介

心臓外科と一口に言っても、ここからさらに細分化されているようで、かかりつけの先生から、さらにアブレーションの専門医に紹介していただきました。

アブレーションというのは90年代後半から2000年代にかけて考案された振動細胞の治療法で、心臓にカテーテルを入れ、この先を熱して病変部を焼き取るという治療法です。これで、以前は治療が難しかったこの病気が、治療可能となったそうです。

よつば循環器科クリニック「カテーテルアブレーション治療について」より

ところが、紹介していただいた先生が超多忙でなかなか予約が取れず、お話しできたのは約1ヶ月後の3月の半ばでした。先生は僕をしばらく診察した後、「アブレーションをやろう」と言うことで、あり得る合弁症などや、このまま薬物治療を続けるメリットやデメリットなどを詳しく説明して下さりました。この先生、僕がこれまでの人生でかかったお医者さんの中で、最も感じの良い先生でした。こんな医者が実在するのかと思うほど、人当たりの良い先生でした。なんか、いい意味ですごく驚かされました。

手術の日が決定

手術の日付はその日のうちに決まったのですが、先生がとにかく忙しく、最短で4月27日ということだったので、慌ててその日を押さえました。

その後も、投薬による治療が続いたのですが、薬で症状は軽くできるものの、1日に何度も発作が起き、苦しい生活を余儀なくされました。本当に、手術の日を指折り数えるような毎日でした。

事前準備

手術の1週間前に病院から電話がかかってきて、事前準備の指示がありました。1週間前から飲むのを止める薬、3日前から止める薬、前日に飲まない薬の3種類の指示がありました。このほか、食事の指示などもありました。電話を切った直後に同じ内容のPDFが送られてきたので、これをプリントアウトして冷蔵庫に貼り付けました。

日本だと、術前数日前に入院させて病院側で投薬や食事のコントロールするようですが、そこはアメリカ。PDFを送りつけ、患者の自己責任です。

コロナ検査

手術3日前にコロナの検査を受けました。これがもし陽性だと延期になってしまうのでドキドキしましたが、幸い陰性でした。コロナの検査が終わるとなんだかほっとして、嫁さんとハンバーガーを食べました。(心臓が悪い人の食生活ではありませんね、これw。)でも言い訳すると、日常的にこんなものを食べているわけではありません。本当に久しぶりでした。美味しかったです。

当日

当日は朝8時半に着きました。僕の担当の看護師さんはすぐに僕を思い出し、「あ〜! あの時脈が30台まで下がってしまった人じゃない! あの後大丈夫だったの?」と訊かれましたが、大丈夫じゃなかったら今頃ここにいませんてw。

病室に行くと、全裸になった上で割烹着みたいなものを着せられます。アメリカで手術や入院というと、必ずこれです。

この手術は鼠蹊部の太い血管から器具を入れるので、術前に陰毛を剃られます。これはカテーテルの時も同様でしたが、たいしたイチモツでもないので、いつもかなりブルーです。看護師にしたら毎日のことで、誰も何も気にもしていませんが、こっちにしてみたら日常ではないので、やっぱりなんだか恥ずかしいですね。

ここまで終わったところで嫁さんを呼びに行ってくれて、二人で1時間ほど待ちました。その時に撮ってもらった写真が上のものです。

やがて、僕の担当する麻酔医や看護師がやってきて説明がありました。麻酔医は、インド系の若いイケメンのドクターでした。いよいよ処置室に移動というあたりで看護師さん達が僕を和ませようと話題を振ってくれたのですが、これが今アメリカの評判になってる日本の番組、「はじめてのお使い」の話だったのです。これ、本当に話題になっているんですねえ。

そんな話をしながら手術室に運ばれ、オペの内に寝かされました。

麻酔が醒めるまで

目が覚めると終わっていました。

術後は別室に運ばれ、ここで2時間ほど寝かされました。他のオペ室から運ばれてきた人たちが7、8人の方々が寝ており、みんな麻酔から醒めるのを待っていました。

それ自体はどうってことなかったのですが、すぐ側に横になっていた男性が、「Ohhh, this is so painful!!  Ouuuch! Oh My God! HELP ME!」 と叫び続けており、それがなかなか辛かったです。きっと、たくさん切る手術をしたのでしょうね。本当にお気の毒です。

麻酔から覚めたところで、ようやく自分の病棟の部屋に移送されました。
静かな個室でホッとしました。すぐに妻がやってきて、手術が終わったことを実感しました。

病院食

病院食は割と味が濃かったですが、割とおいしかったです。お魚とライスとブロッコリでした。ただ、写真を撮るのを忘れてしまいました。あ、そうそう。最初に1月に入院した病院と全く同じ器だったので、同じ会社が病院食を供給しているようです。その時はこんな感じでした。

朝ご飯はフレンチトーストでした。

なんとコーヒーがついていたのですが、僕、コーヒーを飲むとを必ず毎回発作が起きたので、ここ4カ月間、コーヒーを飲んでいませんでした。不味いコーヒーだったのですが、それでも美味しく感じて、思わず感動で泣くかと思いました(ウソ)。

術後の状況

入院をしたことがある方ならわかるかと思いますが、夜中に何回も血圧をはかられたり薬を飲まされたりして、うまく眠れないものですよね。今回もあまりよく眠れませんでした。

ただ、振動細胞は、面白いほどピタリと止まりました。また、心電図を測る機械がこんなに小さなもので、Wi-Fiでナースステーションにつながっているタイプでした。これで24時間、モニタリングされていたようです。機械が小さいためトイレに行ったりするのも楽で、すごく助かりました。

術後、一番トラブルになりやすいのは、器具を挿入した股の血管だそうで、ここのチェックを何回もされました。僕の当番のMathew という看護師はどう考えても僕の2倍はある大男で、こいつにチ○コを見られるたびに、「 きっとオレのイチモツ、こいつが小学生だった時より小さいんだろうな…」と無駄な敗北感に塗れました。ちなみに僕は大学時代、アメリカで水泳部でしたが、みんなチ○コがデカすぎでした。そんなことをふと思い出しました。

退院

翌日には退院できました。医師から手術の様子や今後の治療方針等の説明がありました。向こう1ヵ月は、胸にモニタリング装置をつけての生活です。
このデバイスから、スマホにBluetoothでデータが送られ、そこからこの器具を管理している会社に直接送られるという方式です。

1ヵ月を過ぎた後は、通院ベースで様子を見るそうです。特に問題が起きなければ、次の診察は7月の予定です。

手術を終えてみて

術後4日目ですが、毎日何度も起きていた発作が今のところ1度も起きておらず、不思議な気がします。「現代医学は、魔法と区別がつかない」というのが率直な感想です。

最初の1週間を安静に過ごした後、少しずつまた運動強度を上げても良いと言うことなので、あと数日したら、少しずつ散歩の距離を伸ばしたいしたいと思っています。そして3ヶ月が過ぎたら、また以前のように、ワークアウトしたり、ジョギングしたりといった生活に戻れればと思います。欲張らずに、少しずつ回復したいと思います。

日本と比べてみて

僕自身は、日本で入院したことがないので正確な比較はできないのですが、家族が入院したことがあるので、その時の体験を振り返りつつ、アメリカと日本の医療を比較してみたいと思います。

まず、日本の医療はものすごく手厚いです。入院期間も長いですし、薬の誤飲がないよう、すべて病院側でやってくれます。一方、アメリカは完全に自己責任です。ガイダンスはPDFで送るから、質問があれば自分でしろ。そんな感じです。これは好みの問題ですが、日本の方がケアされている実感が高いのではないかと思います。

しかし、日本の医療提供者らの負担は相当なものではないかと思います。日本では医師や看護師の長時間労働がよく問題になりますが、アメリカではあまり聞いたことがありません。こうしたことを鑑みると、本当はアメリカと日本の中間くらいが良いのではないかと思われます。

また、日本の医療は確かに手厚いですが、お節介すぎるところも多々あります。アメリカは病室普通にWi-Fiが飛んでいましたので、スマホやパソコンも使うことができますし、病室で使っていても注意されることすらありません。もしかすると、今では日本でも可能なのかもしれませんが、数年前に義理の父のお見舞いに行った時には、まだ病院内での携帯電話の使用は固く禁じられていました。このため、電話をするときにはいちいち外に移動しててと、面倒を強いられましたし、患者さんたちもみんな退屈そうでした。この辺りは、改善の余地がありそうです。

アメリカの医療の最もダメなところは、なんと言っても医療保険制度です。仮に加入していても、自分が加入している医療保険で利用できる医療機関とそうでないところがあります。そうでないところで診療を受けると、大半が自己負担となります。僕は去年の暮れ健康保険を換えたばかりなのですが、この地域のメジャーな病院を全て使える保険をよく吟味して選びました。日本は、こうしたことを一切考えなくていいのが本当に素晴らしいです。

ちなみに上のツイートで紹介した医療費ですが、保険に入っていての額です。月々の保険料も、僕一人分で1000ドル以上です。この辺りは本当にダメすぎて、どうすると直せるのかわからないくらいです。

医療技術が進んでいるのは、多分アメリカの方なんでしょうね。ただ、その恩恵に浴するには、高額の健康保険料が払えるだけの収入が必要です。このため、せっかく高度医療があるというのに、それが金持ちのためのものだけになってしまっています。日本も、社会保険料が上がり続ける中、果たしていつまで現在の医療保険制度を維持できるのかどうか分かりませんが、何とかして、維持して欲しいものです。

以上、僕のアメリカでの入院・手術の体験談をお送りしました。もしアメリカで高度な医療を受けてみたいと言う方がいらっしゃいましたら、ぜひ札束をガッツリと持ってきてください。

それではまた明日!

==4月30日(土)の日記==

今日の日記は割愛します。

質問がある方は、こちらからぜひどうぞ。記事でお答えできればと思いますので、質問を1つか2つ程度とし、300文字程度にまとめて下さると、とてもお答えしやすいので、どうぞよろしくお願いします。

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シリコンバレー、フィリピン、東京の3ヶ所に拠点を置くBrighture English Adacemy 代表、松井博が、日々あちこちで感じ…

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