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団地猫、保護から入院まで。

団地に住むということ

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 昨年暮れ、10年近く住んだ北千住を離れ、荒川を渡った団地に引っ越しした。URの『ザ・昭和』な団地。日本中同じような様式・間取の団地。昭和に建てられただけあって建物も設計も古いし、水まわりや電気の配管はむき出しだ。とはいえ都会型の古民家のような風情もあり、気に入ってる。中でも一番は、余裕がある敷地に植栽やベンチなどがおかれ、木々が青々としているところだ。そんな広い敷地のあちこちに、団地猫が数匹徘徊してる。団地の住人が餌をやるからだろう、決まって朝の特定の時間や夕暮れ時になると、決まった場所に決まった猫が現れて餌を待っている。

 そんな風景をいつもオレはヒトゴトとして見てた。というより団地猫はいらない・迷惑ぐらいに思っていた。動物は好きだし、かわいいけれど、団地猫は生粋のノラでもなく家猫でも無いなんというか、団地という構造が生んだ隙間ペットのような感覚があったから。だから興味がなかった。持たないようにした。むしろ団地猫にコソコソ餌をあげる老人たちに嫌悪感を持っている。

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ある日のこと

 5月、いつもうちの近くにいる団地猫が、あまり動かずにスクーターのシートの上で餌をくれる人を待つようになる。明らかに汚い団地猫で、目の周りはガリガリになっていた。その後スクーターには登れなくなり、自転車置き場のコンクリートにある、飛ばされてきたタオルにうずくまるようにして寝るようになった。雨が降ると雨水を飲んだりしていたが、明らかに日に日に衰弱していた。

5月10日 野良猫を救出した 

 午後の空いている時間に、ずっと自粛していた外食をしようと外に出ると、その団地猫は相変わらずタオルにうずくまっていた。しばらくして食事を終えて帰って来ると、猫は団地内道路の曲がり角中央で力尽きてうずくまっていた。車からは死角になる場所なので、うかっりすると曳きかねない、薄汚れていても、猫は苦手でも、目の前で死なれるよりは良いといつもうずくまっているところまで抱きかかえ、タオルの上に寝かせた。天気も良く青空が広がって入るものの新型コロナウィルス騒ぎの真っ只中だし、家に戻りビールを飲んでいたが、どうにもザワザワと猫のことが気になると同時に、なんだかカラスが騒がしい。嫌な予感がして外に出ていくと、猫は起き上がることもできず、周りを囲むカラスたちの餌になろうとしていた。団地暮らしはペットNG、そんなことは百も承知だけれど、このままだと目の前で残虐なショータイムになることは間違い無いと思い、家に連れ帰った。

 一番風通しの良いトイレ前の狭い通路にダンボールで仕切りを作り、引越しの緩衝剤用に残しておいた今は亡くなった犬たちのペットシーツの残りを敷いて、保護エリアを作った。弱っているのでまずは体のチェック、目の周りの疥癬と思われるガビガビ、目やにだらけで開けない眼、怪我をしている前脚の指が裂けている、匂いもすごい。疲れないようにゆっくりぬるま湯で洗う。石鹸で全身チェックしながら、傷がないかを観察する。疲れているのだろう野良猫とは思えないほど身を任せて洗わせるので傷も良く洗えた。初めは大人しかったが少し嫌がる様子がでてきたので、そこで中止タオルで乾かしドライヤーもかけ、ボロボロの雑巾が普通の雑巾ぐらいになった。手の傷にはゲンタシン軟膏を塗ってガーゼと包帯で舐めないようにした。開かないほど目やにがたまった眼は目薬じゃ間に合わないぐらい酷かったのでタリビット軟膏で処置した。

 段ボールの囲みを飛び越える元気もないので、いそいで猫の餌を買いに外に出る。Twitterでいろいろ教えてもらい、食べやすそうなウェットフードを選んで戻る。食欲はあるみたいだ。たくさん水を飲み、たくさん食べる。おしっこもものすごい回数でするのでペットシーツがどんどん減っていく。近づくと「フー」と弱々しく威嚇する。廊下の片隅に作ったエリアの一番端のパイプが走ってるところに隠れるようにして怯えながら猫は夜を明かした。

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5月11日 そして次の日

朝も普通にウェットの餌をたべ相変わらず水はガブ飲み、ほんの少しだけど元気が出てきた気がする。包帯を外して傷を洗い、また薬を塗って、眼の軟膏も塗る。リラックスはしているけど、やはり近くと「フー」っと弱い威嚇をしてくる。一日中、水を飲んでおしっこの繰り返し、ご飯はよく食べる。

5月12日 マグロのお刺身でお別れ

食欲もあるし猫は「生きたい」意思があると思った。ただあまり歩けない。立つのがやっと、うんちも立って力めないのだ。前の家ならずっと面倒見てあげられたが残念ながらここは団地、猫を飼うことはできない。今日1日ゆっくり休ませて、いっぱい食べさせて、あとは明日の朝元の場所にリリースしてあげようと思う。薬を塗り眼の処置もする、だまってやらせるけど、指の傷が痛むのか少しだけ弱い声でニャーと鳴く。マグロのお刺身を買ったので、明日の朝はそれを湯通ししてミンチにして食べさせよう、お別れだ。

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寝ながら考えた。猫は生きていけるだろうか、答えはNOだった。きっとあと一週間ぐらいしか生きられないだろう。すごいおしっこの量は犬の時に経験している、腎不全の症状だしそれを治療することは家猫でも難しい。点滴と治療食が必須だ。団地で猫は飼えないが看取ることはできる、治療して万が一快方に向かえば、その時に里親を探せばいい。気持ちは固まった、もう明け方だった。

5月13日 病院に連れていく

出向先で水・木休みをもらい、野良猫の治療をしてくれる病院を探す。近所に評判の良い動物病院を見つけ、電話で問い合わせる。野良猫でも見てくれるが、時間帯を制限される可能性もあるし、入院は不可の場合もあるらしい。状態を事細かく伝え、時間を予約してつれていった。いい先生に当たったようだ。爪の切り方や血管の出し方を見る限り、腕のいい医者なのは間違いない。

 まずこれまでの経緯を説明し、保護から毎日の様子、ごはんや排泄の状態などを説明した。・傷はそれほど出血してないので大丈夫とのことで安心する。眼の周りのガビガビは疥癬、黄疸の症状もひどい。尿が黄色で回数が多いのは肝臓がやられちゃってる可能性大。同時に腎臓もやられてると思う。以上血液検査しないとなんとも。とのことで血液検査をする。

 血液検査の結果は、炎症を起こしてるため白血球が多い。いつ死んでもおかしくないほど貧血数値が異常に悪い。飢餓・寄生虫・肝炎、ひどい脱水症状・腎障害・結論的には猫感染症を起こしてる可能性も高い。それが寄生虫なのか内臓疾患なのか、しらべないと処置は難しいが、処置しても死ぬ可能性が高い(今が境目)。放せばすぐ死ぬと思うとこのままリリースしたりしないで、1日様子を見ようということで入院した。家に帰り床掃除して消毒、マット洗った。確かにお金はかかるし生活に余裕があるわけではないけど、この先長くない人生のなかで、何かの機会に見捨てた事を思い出して自分を責めるような事にはなりたくないので、やれる範囲で。でもしばらく入院なので、確定申告の還付金と、持続性給付金と、特別定額給付金は猫に捧げることになるな。

2020年05月14日05時17分11秒

5月14日 入院二日目

今日も仕事を休んだけれど、猫は病院でなんだか落ち着かない。午後から面会に行く。前面がガラスのケースで点滴をされながら眠っている。声をかけるとなんだかわかったみたいで、ニャァと言っているように聞こえた。外に検査をさしているので、その結果で帰るかどうか決めましょうという話になった。「いつ死んでもおかしくない」のは変わらないけど、食欲があるのは病院でも驚いていたので、なんとか頑張って欲しい。とりあえず明日は仕事で忙しいので夕方面会にくる旨をお願いして帰る。

備忘録を書くわけ

 もう弱って亡くなるのは覚悟の上だったが、そこは人間の浅はかな欲で、このまま元気になってくれたらいいなぁと思うわけで。もし元気になったら里親を探して可愛がってもらえたら本当に嬉しいことだろう。その時にどんなことがあったのかどういうふうな経緯なのかきっと里親は知りたいだろう。少しでも情報があればいいだろうと記録に残すことにした。推定6歳のオスの猫、目の周りと鼻の頭が疥癬でやられてるのでガビガビ、目やにで目がしょぼしょぼ、右脚の爪は怪我、今の所はおとなしいけど元気になったらあばれるかもしれない。見た目はぶっちゃけ「器量よし」ではない。むしろブサ猫というか秋田弁でいう『かま猫(竈に顔をつっこんで真っ黒に汚れたような汚い様子の猫)』だ。元気な時は団地の老人たちから餌をもらい、ご飯の時間になると甘え声で鳴いていた。他の団地猫は親子や兄弟姉妹でグループを作っていたけれど、この猫だけは孤独で他の猫とは馴れ合わない様子だった。はっきりとは覚えてないけれど、引っ越した当初「昔飼い猫だった」とか言ってた人がいたような気がする。確かに、いくら弱っていても野良猫が餌をあげる人以外に抱っこされたり、近寄られたらものすごく嫌がったり威嚇するだろうに。だからきっと優しく可愛がってくれる人がいたら、かわいい家猫になれるはずだと信じたい。

宜しければサポートの程よろしくお願い申し上げます。いただいたサポートは全て団地猫の病院代・餌代、里親探しの費用に使用させていただきます。