ぴーくたいむ

5月もそろそろ終わります。振り返りの文章的なもの書く。期間が空いてしまうと書くことに対して億劫になる。言わなくてもいいことを人に言ってしまわないようにと掃き溜めとして作用していたここも別で吐露出来る場所を見つけてしまったからもうどう動かしたらいいかわからなくなってきた。

作品という形で消化したいと息巻くほどの強い感情が生まれにくくなってきた。二日三日経てば忘れることばかりで、というより忘れるほど楽しいことが多くあるから負の感情抱えることすら馬鹿らしく感じる。段々と言葉が軽くなってきた。日が経つごとに薄らぐ感情。出涸らしのように同じテーマを同じ角度で捉えている。
そんな癖してずっと心に余裕が無くて息が詰まりそうになる。感情が溢れ出て泣いてしまった。友達からの愛のある叱責。自分が正しいと思いすぎてしまうことの危うさ。新しい環境の中にある自分との向き合い方がわからない。人のやさしさに脆い。“優しさ”という言葉はひらがな表記の“やさしさ”の方が柔らかくて好き。
自分の役割がなんなのかと考える。きっとそこに答えはないし考える暇もない。

先週は二日に一回の頻度くらいでしか家に帰っていなかった。忙しいのか遊んでいるのか半々。家に帰ると髪も乾かさずに死んだように眠る。自分のことを鑑みる時間なんて何一つなく頭も整理されぬまま8時間前に乗った電車に乗る。昨日居た場所にきっとまた居る。繰り返す。繰り返しているようできっと環境も立場も何もかも変容している。些細な違いに気づかない。ただただ時間だけは過ぎていく。

あと2年しかない。何かを成したいとかそういう大義は何も浮かばない。ただ今の生活がずっと続けばいいのにと願う。終電で下宿している友達の家に数人で集まる。今日の夜中にやろうと決めたことを全部すっぽかして気が付けば床で寝ている。時刻は午前5時を過ぎている。きっと寝るにはもう遅い。2時間前に食べた家系ラーメンが胃に残っている。今にも迫る朝は私たちの限られた時間の終わりをまた一つ示している。
きっとまた3日後にはあの一室に夜な夜な集まっている。きっと泊まるために決めた目標もきっと果たされることはない。ただ意味もなく時間が過ぎていく。また迫る朝は私たちの限られた時間の終わりをまた一つ示す。意味のないと切り捨てた時間が今の自分にはかけがえのないもので決して代替わり出来ない。
社会人になりふと思い返す頃にはきっともうこの部屋には戻れない。別の下宿生がきっとそこにはいて、その部屋に残る壁の黄ばみが私たちが確かにここに居たことを証明させるかもしれない。