本感想[愛がなんだ、火花、マウス、乳と卵]

個人的な感想です。

角田光代「愛がなんだ」
「プラスの部分を好ましいと思い誰かを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子どもじみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう部分を全部好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。」この辺りの文章が凄い好き、もう愛とか恋という既存の言葉では言い表せない執着へと変容した恋心を的確に言語化してくる角田光代半端ない。
読んだ後に推しと好きの違いに付いて考えてしまった。好きっていうのはマイナス面と向き合う必要があり、相手に尽くす際に見返りを求めてしまう、それに対して、推しはマイナス面と向き合う必要がなく、相手に尽くすとしても見返りを求めることはないのでは?と思った。推しはマイナスの部分が見える機会少なく思える。そもそもショーアップされた表面的な部分しか見ないので、マイナスの部分が見えず、相手に迷惑をかけず依存できて幾らでも重くてよく、相手に自分の理想を求めすぎて現実とのギャップで辛くなることがないから強いよなと思った。

又吉直樹「火花」
創作は過剰な自意識との闘いなのかも知れない。神谷の不器用ながらも自らのお笑いを実践する生き方は眩しく美しい。神谷は人の評価など気にしないと云うスタンスでありつつも、神谷にとっての徳永から受ける評価は特別なもので、明日を生きる糧であった。神谷と徳永は師弟関係でありながらも互いの評価を欲し合い慕いあっていたのだというのが分かり、神谷の不器用な様と垣間見える人間臭さがいいな、格好良いなと思えた。漫才の定義を裏切る事が漫才ならば、過去の自分の課した枷を裏切る事も漫才なのではと思う。レビューなんかを見てみると、神谷と徳永のお互いが自分の足りないものを補い合っていたのだと言う評が腑に落ちた。

村田沙耶香「マウス」
村田さんのフィルターから通す社会に惹かれてしまう。律がアルバイトをしている間は「律」自身ではなく「店員」になり普段と違う自分を演じる事が出来たり、瀬里奈が「マリー」になることで日常生活を送れるようになったりする辺りは、「コンビニ人間」での描写を思い出した。「コンビニ人間」以前に書かれた小説だが、一貫した村田さんの主張の一つなのかなと思った。村田さんの本を読む時は「地球星人」以降は身構えてしまって中々読み出せなかったが、優しいふわふわとした世界観から垣間見えるズレの部分が個人的に良かった。

川上未映子「乳と卵」
女性の感覚と論理に対して疎いのもあり、物語の本筋を上手く掴めず後悔。普段と違う読後感があった。母子の軋轢の雪解けを描く最後の場面は何度も読み返してしまった。胸が膨らみ出すことや生理への嫌悪感、女性が読んだ場合の読後感は違うのだろうなと思うと何か損したかのような気になる。成長する中での体の変化は女性と比べると男は少ないなと改めて感じた。Amazonのレビュー欄に村上春樹と川上未映子の対談で本作を村上春樹が「文体だけだ」と褒め称えていたと云う情報を知る、実際に文読んでるだけでも楽しめる。独特なテンポ感が癖になって何回か読んでしまった。
岩下祥子さんの「川上未映子『乳と卵』の教材としての可能性 : 解釈をめぐる演習の授業実践報告」という論文も併せて読むと作品の解像度が上がる気がします。自分の教養の足りなさを叩き付けられましたね。
「あなたたちの恋愛は瀕死」の女が魔法のお粉をつけ美しい白い肌に似せるも、男からは灰色に浮かびあがるぞっとするような女の顔と表現されていたのが面白かった。