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真ん中にいる心地よさ

だいぶ前に遡るが、5月18日にRhyeのライブを観に行った。
マイク・ミロシュが歌い上げる中性的なボーカルがこのバンドの特徴で、初めて彼らの音楽を聴いた時、女性メンバーが歌っていると勘違いしたものだ。
それくらい彼の声には特異な艶があり、1度耳にするとなかなか頭から離れない中毒性を持つ。

そこで不意とある疑問が脳裏によぎった。
そもそも女性的な〇〇、男性的な〇〇とは、誰が決めるのか?
最近物事をハッキリと定義し、それを良しとする傾向が強い気がする。白と黒。明と暗。勝ち組と負け組。必要な物と無駄な物。
日本人の多くは意見をダイレクトに言わなかったり、なるべく隠喩表現を使う性格であるはずが、近年の欧米化(語弊はあるかもしれないが)で、気性そのものまで同化されかけているのだろうか?

しかしながら、散々使い古された陳腐な表現になるが、物事にはキッチリと線引きが難しい場合もあり、曖昧でグレーゾーンでないと表現が難しい事も少なくない。

音楽の美しさに定義や実体は要らない。
するすると耳へ心地よく入ってくる旋律に、ただ身をゆだねる。
緩やかに流れる彼らの曲には、その柔らかな耳当たりとは相反するミュージシャンとしての確固たる「軸」をあらためて思い出させてくれる。