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014『好きなことコンプレックス』

ーーゲスト紹介ーー

高野桃佳(たかのももか)
千葉県出身。泡盛が大好きで沖縄に移住した女の子。泡盛の女王選出大会でファイナリストに選ばれた。現在は『Yume Wo Katare Okinawa』というラーメン屋で働きながら、酒造所での販売の手伝いやTwitterでの泡盛投稿を通して、泡盛の良さを広める活動を行なっている。高野さんのTwitterはこちらからどうぞ!

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どんなコンプレックスだった?

一言で表すなら、人生がぼやけてたと言いますか。フッと誰も気づかないうちに消えてもいいような感覚があったんです。そんなだから、18歳より先の未来はないものだと思ってました。幼い頃から姉とお互いのどうしようもないところを罵り合いながら過ごしてきたせいか、自分のことも他人のことも認められなくなったんですね。それがとても象徴的だったのが高校生のときです。

私は地元から少し離れた高校に進学したので、友達がいない状態からのスタートでした。入学当初は「心機一転、友達作りがんばろう!」と思ってたんですが見事に失敗しまして。半年くらい誰ともしゃべらない生活を送ってました。そんな中でも徐々に友達ができたんですが、仲良くなるにつれて「嫌だな」という気持ちが強くなるんです。自分には『これ以上踏み込んでほしくない』というラインがあるなと。友達もそれを感じてたらしく、結局、なんとなく、深い仲にはなれませんでした。私はずっと、固定のグループに入らずいろんなグループを転々として広く浅く仲良い人がいるような高校生でしたね。

人と仲良くなると自分をさらけ出していかなきゃいけないじゃないですか。それが嫌だったんです。とにかく自分はしょぼい人間だと思ってたし、他人はみんなすごい人間だと思っていたので自分を知られて比べられるのがすごく嫌でした。自分の底をみられたくなかった。だからこそ、自分で自分を認められないからこそ、自分の人生を生きてる実感が薄くて。ただの人間がなんとなく決められた人生を歩んでいるような感覚で。そうとしか生きられない自分が何より嫌でした。

どうやって乗り越えた?

最初のきっかけは、名古屋にあった旅バーで「自分の好きなことを仕事にしたい」と話す人との出会いでした。当時の私は「何言ってんだ」と正直思ってましたが、とはいえ批判するだけなのはダサいと。だから自分もやりたいことをやってみようと考えて、沖縄に来たんです。そして、ふるけんという友達に出会って、ユメラボという定期的なワークショップ会に行ったことが大きなきっかけだったと記憶してます。

「やりたいことを仕事にしたい。そのために何が必要か」という話をしながら具体的にしていくなかで、自分にはやりたいことがないなと痛感しました。同時に、自分がやりたいことを考えていくことが自分の人生を生きることなんだとも。そしてそのとき初めて、周りの人も自分と同じように悩んでるんだなと実感して、他人の考えや本心に触れられた気がするんです。みんなと意見が合わなかったり浮いてたりして、しょぼい自分はダメなんだと認められなかった気持ちが、個性として受け入れられるようになりまして。コンプレックスを乗り越えられたんだと思います。

過去の自分に対してどんな思いを抱いていますか?

よくわからない気持ちを抱えながら頑張ってたなと思います。昔の自分は、自分を肯定できる何かを見つけようとしてたんでしょうね。過去の自分に声をかけるとしたら、私はきっと「逃げ出したらいいんじゃない?」と言います。「環境を変えると自分も変わるって本当かな?」というツイートを過去の私はしていましたが、今なら「本当だよ」とリプします。

これから、自分の人生を歩んでいきたいと思う方々に向けてメッセージをお願いします!

やりたいことを見つけるのって難しいですよね。だから、自分の好きなことから探してみるといいと思います。みんな好きなことって絶対あるはずなんですけど、それに自信がもてないんですよね。他の人と比べるとできないし成果も出せてないし、みたいなことを考えてしまうから。でもその好きな気持ちを認めてあげることが、やりたいこと、ひいては自分の人生を歩むことにつながっていくんです。

私は沖縄に来て、みんなで泡盛を飲みながら話してる時間が好きだなと思ってました。そこから泡盛を広げる活動をして、もっといろんな人と泡盛を飲みながら話をする時間を作りたいと思ったんです。それを始めた今、私は自分の人生を歩んでいると胸を張って言えます。

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