道徳の授業
先日、小学四年生長男の参観日がありました。
数ヶ月ぶりの参観日。
内容は道徳。
雨のバスていりゅう所で
「きまりを守るのは」
という内容でした。
みんなの周りにはどんなきまりがあるか?
きまりがないとどうなるか?
きまりがないとどんな感じ?
とみんなに先生が投げかけて
手をあげて黒板に書いていく。
すごく一方通行だな。
手をあげて当てる時間。
黒板に書くのを待つ時間。
もったいないな。
正直感じた感想。
道徳こそ、正解もない。
自分との対話の時間。
他人との対話の時間。
だと思っていたので、普段の教科のように進められていて、少し違和感を感じました。
教材の内容はここでは書きませんが、
一番衝撃的だったのが、
主人公がとった行動が良いことか、悪いことかを
iPadを使って投票すること。
良いは青
悪いは赤
理由もiPadに手書きで記入。
そして、それを先生に送って、前のスクリーンに
クイズ番組のようにクラス全員分が映し出される。
良い?悪い?
どちらでもないは無いの?
みんなに色分けして多数派かを見える化するの?
自分の思いを使い慣れていない
iPadに手書きで書かせるの?
それを途中からやってきた
校長や教頭は得意気に保護者へ説明してくれた。
倒れそうだった。
こんなiPadの使い方。
無理矢理使ってない…?
いやいや、その前の段階だよね。
答えが二つしかないの?
きまりはもちろん大切だと思う。
だけど、どうしてその決まりがあるのか。
を考えていくことも大切だし、
疑問を持ったり、色々なことを想定したりして
きまりについても幅があることを知ったりすることも大切なのでは…。
答えを出さないといけないの?
この物語のことだけを見て、
授業の終わりに
良いことか悪いことかをiPadで投票させるやり方はあまりにも短絡的すぎないか。
長男はどちらのボタンも押せないでいた。
よし、いいぞ!
と心の中で思った。
どちらも押せないよ。
だって、いろんな意見や価値観が出て心が動く時間でもあるんだもん。
最後にみんなの感想で
・きまりはみんなが不快な気持ちにならないためにある。
・きまりは他人に迷惑をかけないためにある。
で終わっていました。
みんな他人軸なのね…。
周りのお母さんたちが育児で悩んでる原因じゃん…。
道徳の授業がある日は学校休ませようかな。
正直そんな思いが頭をよぎりました。
公立学校って、何のために行くんだろう。
オンラインがこれだけ充実してきているし
オルタナティブスクールも増えてきている。
わたし…よくよく考えたら
仕事があるし、行ってくれないと困るんだよな。
という思いが少なからずある自分にも気付きました。
今回の投稿はかなり否定的な内容になっているかと思います。
だけど、自分なりの公教育との向き合い方も改めて考えていこうという気持ちにもなりました。
大人が変わらないと何も変わらないんだ!
大人が学ばないと何も変わらないんだ!
ということも改めて感じています。
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