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そうだ!大学院にいこう![リカレント教育実践編その9]

🔲我れ孤軍奮闘せり

こんにちは、まっつんです。
この頃、やっと博士論文のダメージから脱しつつある回復途上の身体ですが、今更ながら、誰もが思い出したくもない論文審査委員会による中間審査(D論予備審査)論文発表会である公聴会(D論本審査)について書いてみたいと思います。
例によって、まっつんの周辺で見聞きしたり、自分の体験した事象に基づいて書いていますので、全ての博士課程後期の方に該当する内容ではございませんので、その辺りはお含みおきいただき、お読みください。

🔲恐怖!中間審査会

さて、ファーストガンダム世代は、「恐怖!」と言われると反射的に第36話「恐怖!機動ビグ・ザム」と答えててしまうくらいの恐ろしさがある中間審査(予備審査)です。
この中間審査(予備審査)をパスしないと博士論文執筆に進めません。
要は仮免試験みたいなものです。(以前は、楽勝だったという話も多かった)
中間審査では、主査、副査を含めて数人もしくは、主査(もしくは指導教員)、副査(学内)、副査(外部審査委員)などから構成される論文審査委員の前で、自身の論文を発表します。その発表に対して、論文審査委員の方々から、質疑応答として厳しい質問や指摘を受けるのです。しかし、仮免試験のはずの中間審査(予備審査)で、心が折れる人もいたりします。
例えるなら、相撲部屋の「かわいがり」のイメージです。

相撲用語に言うところの「かわいがり」とは、相撲界の隠語で躾や心身鍛錬のために厳しい稽古で鍛えることを意味する。荒稽古は親方や兄弟子による「愛の鞭」であるとされるが、「かわいがり」の名を借りた暴力により怪我をしたり、ひどい場合死亡事件が起きることがあり、問題視されている。相撲界のみならず一般的な隠語としても利用されている。

出典:Wikipedia かわいがりより

まるで、ドズル中将の名台詞である「やらせはせん、やらせはせん!やらせはせんぞーっ!」とばかりに、博士論文執筆の入口に立ちはだかる論文審査委員の質問・指摘責めにトラウマ級の恐ろしい執念を感じてしまいます。
博士課程後期の学生からすれば、無事に中間審査をパスして、博論を書く許可を勝ち取らないことには、もはや、これ以上は、先に進むことすらままならないのですから、学生の気持ち的には「やられはせんぞ!やられはせんぞ、貴様ごときに!」という心境でしょう。
そもそも中間審査にたどり着かない院生も一定の人数存在しています。
まっつんの知っている方でも、中間審査を受ける前に心が折れて、博士論文の執筆もできず自主退学した方もいたりします。
つまり、試合会場にすら辿り着けない博士後期課程の院生たちもいるのです。
確かに、ここで学生の研究上の問題を指摘しておかないと、博論執筆した後で、何か致命的な不備あると博士論文それ自体が無駄に終わることになるので、致し方ないとは思います・・・が、本来、論文を指導して、理解しているはずの主査が今更ながら「そこが問題だと思っていたんだよね」なんて言い出されると、唯一の味方から、援護射撃ならぬ、背中から撃たれたような気分になって人間不信になるのも分かります。
まっつんの同期だった商社の方(日本で一番入社が難しいとされている)の、「毎週ゼミで散々やってきたのに、当日にあの言い方はないよね」と言われた無念の呟きが忘れられません。
因みにまっつんも最後の最後で主査に余計な一言を言ったことで、やり直しになり、半年伸ばされました。(実際は半期修了の制度が博士課程後期になかったので博士号取得は、1年伸びることになりましたが)
基本的に中間審査(予備審査)は、何を言われても平常心で、素直に指摘を受け入れた人の方が、下手に反論した人に比べて、結果的に無難にパスする傾向があったように思います。まっつんも含めて、男性はこのあたりのリテラシーが低い方が多い気がします。

🔲博士論文執筆のポイントは何か

中間審査をパスした学生は、悲願の博士論文執筆に取り掛かります。
と言っても博士論文は、すでに発表した原著論文数本を核としてまとめる構成のため、一見簡単に仕上げることができるような錯覚を覚えてしまいますが、ここでは、修士論文の執筆の時のように甘くみていると地獄を見ることになるのは確実です。大学院ではそれぞれ、博士論文の審査基準を大学のHPなどで公表しているので、自分の大学院のディプロマ・ポリシー(学位授与方針)を要チェックなのは、言うまでもないですね。これを外した博士論文は論外です。

【博士論文審査基準】
1) 学術性の高い研究課題が設定されていること。
2) 研究課題を考察・分析するための枠組みが適切であること。
3) 先行研究が適切に引用され,研究内容の学術的な位置づけが明確であること。
4) 研究内容が明確かつ論理的に記述されていること。
5) 経済学の当該専門分野において,独自の学術的貢献を有する研究内容であること。
6) 執筆者が自立的研究者としての研究遂行能力を有することを証するものであること。

出典:上智大学公式サイト経済学研究科博士論文審査基準より

かつてよく言われた(と最初の主査である大先生が話してくれた)、修士論文は最低でも200頁、博士論文は最低でも400頁くらいは必要だ!という話は今や過去の伝説です。(まっつんの主査であった大先生の博士論文は500頁超えていたそうです)
とある大学院では、「読むの大変だから80頁くらいに収めて書いてね」と言われてました。さすがに理系でもないと、研究内容を、80頁のスケールに収めることは非常に難しいと思います。
まっつんも頑張って最初は80頁くらいに収めてみましたが、さすがに研究説明が荒くなるので、最終的に諸々含めて170頁位になりました。
しかし、ここに注意すべき点は、博士論文はすでに発表した原著論文をベースにまとめる論文という点です。そのため、まとめる過程で未発表データなどを多く含めて、博士課程後期での研究成果として博士論文を完成させると、論文発表会である公聴会(D論本審査)で確実に攻撃をされることになります。
YouTuberのDr.くらげさんが、「後悔しないためのD論必勝講座」で語っていましたが、30頁くらいの薄い博士論文でも通る人は通る、逆に通りやすいD論とは「余計なことを書かないスキがない論文」ということになるのです。
ついつい、博士号の取得には、これまでの研究を全て記した超大作のような論文をイメージしてしまいますが、それではなかなか審査の通過は難しいようです。
まっつんの同期には、博士論文を簡易製本して必要部数提出したのに、受理前日の夜に指導教官から、NGの宣告をされ、論文の受理すらしてもらえなかった方もいました。
「スキがない論文」をまとめて完成できたら、提出し、いよいよ最終関門である論文発表会を待つことになります。

🔲D論本審査会(ディフェンス)

最終関門である論文発表会である公聴会(D論本審査)です。
昔、博士号取得された大先輩たちに言わせると、審査会に進むところまで持って行けた人は「ほぼ全員合格」する。最後は教授たちと和やかに雑談して終わったよ。などという武勇伝を聞くこともありますが、D論本審査とは、そう簡単でも、通過儀礼的なものでもありません。実際にここで落とされる人も少なからずいるのです。艱難辛苦を乗り越えて最終審査までたどり着いたにも関わらず、最後のラスボス攻略に失敗してしまう人は実際には存在します
博士号を目標にして日々ギリギリのところで研究をしている社会人大学院生の中に誰も「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったりする奇特な方はいないと思います。

先に、「基本的に中間審査(予備審査)は、何を言われても平常心で、素直に指摘を受け入れた人の方が、下手に反論した人に比べて、結果的に無難にパスする傾向があったように思います」と記しましたが、D論本審査では、自身の研究成果に関して、譲歩はあり得ません。(というか既に提出済みの博士論文は直せない)
審査員の指摘に対して、揺らいでいては、研究そのものが疑問視されてしまいます。しかし、数年の研究歴しかない院生が、研究者としてキャリアを重ねた審査員の攻撃を正面から受けて立つことが困難なこともまた、事実です。
ここは論破でも譲歩でもなく、うまく躱して研究成果を納得させるしかありません。
ですので、D論本審査では、中間審査での指摘をどう解消したか、研究に反映したかを説明することで、審査員の以前の指摘を修正した問題のない博士論文であることをアピールすることが必要だと思います。
要は「この研究を博士論文として認めても、博士論文としての形式的にも、内容的に問題がありませんよ」と納得してもらうことだと思っています。
数年間で研究した論文です。余程の天才でない限り、不備や、不十分な点が多いことは間違いないと思います。それらを踏まえて上での最終審査です。

そして、満身創痍になりつつディフェンスを繰り返しているうちに、風向きが変わる瞬間があります。先ほどまで攻撃の急先鋒であった方が、研究を認める発言に変わる瞬間がくるのです。
この一瞬を主査がうまく捉え、最終ゴールに誘導してくれると救われることになります。この一瞬を見逃さないためにも、博士論文の執筆中は、主査、副査に個別に指導を受け、都度指摘を解消していく作業を積み上げておくことが大切です。別の審査員が指摘しても、「その箇所は以前、◯◯教授にもご指摘いただき、本論文においては、△△として示しております」と返すことで、それ以上の展開にならないようにしておく必要があります。
言ってみれば、中間審査をパスした段階で、基本的な博士論文の基準を満たしているので、執筆が認められている訳で、結局、最後は主査や副査との関係性になるのかも知れません。
つまり、孤軍奮戦しているつもりでも、最終的には主査、副査を巻き込んで、チームで博士論文を完成させるという手法が、社会人大学院生が、博士号を取得する際に大きなアドバンテージになるのではないかと思います。

🔲まとめ

中間審査(予備審査)をパスしないと博士論文執筆に進めない。
しかし、その中間審査の段階で論文の研究上の問題を指摘しておかないと、博論執筆した後で、何らかの致命的な不備あると博論自体が無駄に終わることになる。
基本的に中間審査(予備審査)は、何を言われても平常心で、素直に指摘を受け入れた人の方が、下手に反論した人に比べて、結果的に無難にパスすることができる。男性はこのあたりのリテラシーが低い方が多いので注意が必要。
博士論文は、すでに発表した原著論文数本を核としてまとめた論文だが、修士論文の執筆の時のように甘くみていると地獄を見ることになる。
自分の大学院のディプロマ・ポリシー(学位授与方針)を外した博士論文は論外。
博士論文で、未発表データなどを多く含む博士課程後期での研究成果として博士論文を完成させると、D論本審査で確実に攻撃される。
D論本審査では、自身の研究成果に関して、譲歩はあり得ない。
ここは論破でも譲歩でもなく、うまく躱して研究成果を納得させることが重要であり、中間審査での指摘の解消や、研究への反映を説明することで、審査員の以前の指摘を修正した問題のない博論であることをアピールすることが必要。
D論本審査では、研究を認める発言に変わる瞬間を見逃さない。
最後は主査や副査との関係性になるので、社会人大学院生が、博士号を取得するには、主査、副査を巻き込んで、チームで博士論文を完成させることが強みとなる。

以上、今回は「そうだ!大学院にいこう![リカレント教育実践編 その9]「我れ孤軍奮闘せり」を書いてみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
あくまで、まっつん周辺で見聞きした内容を中心に記載していますので、全ての博士論文に通用する普遍性や裏技などではございませんので、くれぐれもご注意ください。
次回もよろしくお願いします。

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