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子どもにアドバイスはしない

週末に、3才1ヶ月のツル美ちゃんと二人で近所の公園に行ったときのことです。

そこで出会った、ある親子の様子が気になりました。

公園のうんていが人気を集めていて、小さい子どもたちが7人くらい列になっていました。ツル美ちゃんもその列に加わっていましたが、うんていができるわけではないので、ただ並んだり、支柱の棒に巻きついて足をあげたりしていました。

そこに小学1年生の女の子がいました。女の子のお母さんもそばにいました。

女の子は両手で一番手前の棒にぶら下がってから、「できない」と言って地面におりました。

お母さん「前はできてたのにね。もう一回やってごらん」

女の子は何度か挑戦していました。「やっぱりできない」

お母さん「なんでだろう。鉄棒やって、手が疲れちゃったのかな。ほら片手ずつ、こうやって動かしてごらん」

お母さんが自分でやってみせていました。女の子が両手で一番手前の棒を持ちました。

お母さん「片手で持ってやってごらんよ。その方が勢いがついて前に進めるから」

女の子はしばらく両手で棒にぶら下がり、ストンと地面に降りると、無言のまま、お母さんの顔を見ずに、足をダンッダンッダンッと強く踏みしめながら公園の外に出ていってしまいました。

ツル美ちゃんは、女の子の様子を見て、「◯◯ちゃん、帰っちゃったね」と言い、足をダンッダンッと踏み鳴らす真似をして「足をこうやって、帰ってたね」と言いました。

(おしまい)


親のアドバイスが子どもの心を傷つけてしまった、そういうシーンを見た気がしました。親の方は、良かれと思って、一生懸命アドバイスを与えているのかもしれません。「何かをできるようになる状態」にわが子を持っていってあげたいという意識がもしかしたらあるのかもしれません。

親にとっては、なんでもないようなことかもしれないけれど、片手を離して次の棒をつかむ、その気持ちのタイミングというか決心みたいなものは、子どもの中で生まれてはじめて行動に移せるんじゃないかって思います。

「こうしたらいいよ」「こんな風にやってみなさい」なんていう声かけは、「今あなたは『できていない人間』だけど、私(親)の言う通りにしたら、『できる人間』になれるよ」というメッセージが含まれているように思えてなりません。親のアドバイスというものは、今この瞬間のこどもの状態や気持ちを否定することになってしまうんじゃないかな。

横からあれこれ言われ過ぎてしまうと、子どもが持っていた前向きな気持ちが折れてしまったり、やる気がそがれてしまうんじゃないかって思います。


ごくごくありふれた親子の光景かもしれないけれど、なんだか自分の過去がフラッシュバックしてくるのでした。

私自身の話をすると、子ども時代から、親からずっとアドバイスされてきました。「医者か弁護士になりなさい」「こういう資格をとったらいいんじゃないか」「こういうやり方をしてみなさい」と。最近は、孫のことが気になるようで、娘である私の育児のやり方に口を出してきます。ウメ子ちゃん(小3の長女)のことで、「英会話教室に通わせた方がいいんじゃないか。子どもの将来のことを考えて検討しなさい」などと言ってきます。

親に悪意はないのかもしれない。でも、ほんっとうに、うんざりする。

何が辛いかって、子どもの立場になって考えてみると、「今の私の気持ち」が完全に無視されているということが悲しい。私がどうしたいかとか私がどうなりたいかとか、そういうことを分かろうともしない。私の気持ちを何度言っても、どうしても伝わらない。ウメ子ちゃん(孫)の気持ちも考えてもいないんじゃないかな。語学力だとか、学歴だとか、そういう表面的なことばかりを高めようとしているように感じてしまう。それって一体、誰のためなんだろうって…。


女の子のことに話を戻すと、うんていのことなんか、本当にささいなことなのかもしれません。でも、きっと、意識の癖みたいなもので、彼女のお母さんはあらゆることでアドバイスしてしまうんじゃないかって想像してしまいます。そして、それが積み重なれば積み重なるほど、子どもの心が傷ついて動けなくなってしまうんじゃないかって・・そんな心配を、勝手にしてしまいました。

実は、うんていをしている子たちの間には1年生の女の子が他にもいて、この子はすいすいと2段飛ばしですすんだり、くるくる回転しながらすすんだりしていました。最初の女の子のお母さんは「ほら、●●ちゃんがやってるのを見てごらんよ」と言ったりして、わが子を他の子と比べるということもしていました。これも、善意からのアドバイスなのかもしれませんが。

でも、ただ黙って見ているだけでも、女の子は何度でも自分がやりたいだけチャレンジしたんじゃないかな。他の子がやっている姿だって自分でも見ていると思います。親から言われなくても、自分と他人の違うところを見て、自分でもやってみようって気持ちを持つんじゃないかな。

だって、最初に女の子の方から「お母さん、見ててね」と声をかけて、うんていに挑んだのだから。

私が、あの場で、女の子のお母さんに「まぁ、見守ってあげましょうよ」なんて言えたら…とも思ったのですが、それもまた余計なことですよね。黙っていました。

ともかく、子どもから「お母さん、見ててね!」と言われたら、その通りに見ててあげましょうよって。そして、見てあげるならば、何ができて何ができないとかいった表面的なことではなくて、何をやりたがっているのかとかどういう気持ちなのかとか、そういった内面的な心の動きの方をよ〜く見て感じ取ってあげたほうが、親子の関係が崩れないんじゃないかなぁって、思ったのでした。

子どもの方からアドバイスを求められたら、必要に応じて答えてあげたいとは思いますが、アドバイスの方向性が間違っている可能性もあるので、余計なことは言わないでおこうと思います。




「子育ち」という育児方法をどんな親でも使える形で表現したいと思っています(^_^)