「羨望」という感情の使い道
誰もが「うらやましい」という感情を抱いたことがあると思う。
それは、気になるあの子と話をしている隣のクラスの奴に対してであったり、インスタでめちゃくちゃ綺麗な夕焼けの写真を投稿した友達に対してであったり、要はいろんな場面でうらやましさを感じる。
うらやましさは、なりたい自分を投影していると考えることができるのではないか。
うらやましいと感じる瞬間、そう感じた対象について、なんらかの魅力を感じたに違いない。気になるあの子と話をしているアイツのコミュ力の高さ、きれいな夕焼けを見れたこと、写真の技術、などなど、、、
羨ましさが、妬みに変わり、その現実から逃避することがあるかもしれない。
だが、それはもったいない。
「羨ましい」は大切な自己分析のタイミングである。心が揺さぶられる「なにか」に触れ合った時である。何に心が揺れたのか、なぜ揺れたのか、かなり細かく分析していく。
自己分析をすることで、心揺さぶられる「なにか」を具体的、もしくは抽象的に理解することができる。気になるあの子が欲しいということでなく、緊張する場面でチャンスを活かすことを自分が望んでいたのかもしれない。夕焼けという自然現象を自分が欲しているということが分かるかもしれない。分析は、自己研究を1ステップ進めることができる。
羨ましさを分析し、自分の性格が分かったら、自分を満たせる方向に進んでいこう。
自分にとっての幸せはその方向にあるかもしれない。少なくとも、うらやましいと感じる「なにか」があふれる世界にはつながっている。
自分を幸せにできるのは自分だけ。
誰かに幸せにしてもらおうなんて考えるな。
社会人になったら、自分の面倒は自分で見なければならない。
人生たったの80年、はやいうちに自分だけの船の舵を切りたくないか。
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