カエルくん「そうじゃないよ」

何かやろうとしたときにこいつが出てくるってやつはあると思う。

最近、こうやって何かを書くってことを断続的に続けていると

途切れるわけじゃないんだけど、「うーん違うような」って自己否定がそこに来るんだけど

カエルくんは常に「いいんじゃない?」とか無責任に言ってくるんだけど

でも逆にカエルくんは「そうじゃないよ」とも言ってくるんだよね。

困ったものよ。

ごまかしがきかないところまで自分の考えを進めたときに残っているのは

純粋な「なんで?」って気持ちにたどり着く。

そのたどり着いた先のものを

「考えて書こうとすると」絶対に書けない。

何かが下りてくるのを待つしかないってときもあるし

世界はこうだ!って言いたいわけでもないんだけど

それでも俺はたぶん昔から人に興味があって

でも、人が好きか?と言われれば嫌いなんだよなって思ってる。

人がどう考えるのか、どう感じるのか?

すごく有名な映画やゲームをやっても

「なにが言いたいのだろうか」ということを見ながら

そしてこれを受けて俺はどう感じたいのか?が分からなくて

そういうことが何かものを進めるときにふと出てくる

「なんでこの世界が見えるのか?」という疑問

そして「俺はその世界をみれないのか?」という挑戦がある。

勘違いしてほしくないのが

別に例えば「黒澤明」になりたいとか

「宮崎駿」のような眼を持ちたいわけじゃない。

ちがうんだ、たぶん「ちゃんとした自分」を持ちたくて

それを持ってれば「きっとうまくいくんだ」ってことなんだと思う。

「自分にしかできないこと」は多分探せないから

「自分ならどう表現するか」に変化しつつある。

同じことを言おうとしても

男女差や年齢差がどうしてもどうしてもしょうがないけど

ネックになってくるけど

それを引き継ぐ人間がそれをやればいい。

というよりか俺には「どうしても伝えたい環境」

がある。

それは「一筋縄ではいかないありとあらゆるものが錯綜し、ときには煮詰まり、時にはクールになって、でも結果は素晴らしいものが出できて」って環境があることを知ってて

おれは贅沢にもそこで「まとめ」をやっているし「おしえること」もやっている

これはとんでもない贅沢だと思っている。

多分そんなことをやろうとしても「今、この世界」には無い環境で

それを途絶えさせるというか火を消すのはあまりにも勿体ないと私は思っている。

いやでもそんな大層なことじゃないのかもしれないんだけど

いいんだよ、おれがやりたいんだから

それでいいと思う

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