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「偏差値50の顔」のススメ

「顔面偏差値」、という言葉はもはや死語だろうか?成人したあたりからまったく耳にしなくなった。

「偏差値」は、あるサンプルが母集団に対してどこに位置するかを測ることができる統計の用語。一般的に学生の模試の結果表示に使われるので、誰しもなんとなく知っているこの「偏差値」を、見た目の良さに転用するというのは面白い発想だなーと思う。

成人したあたりからだったか、僕は自分の「顔面偏差値」を50だと思って生きている。

偏差値50というのは、母集団のちょうど真ん中という意味を持つ。自分で自分の顔を「かっこよくもかっこ悪くもない!」と言っているわけだが、これがなかなか便利な世渡りワードになったりする。

空気を読むのが苦手&嘘がつけない僕は、容姿の話題―とりわけカッコイイとかカワイイとか―が苦手だ。人の顔について偉そうに評価を下せる立場でもないし、カワイイと思わない人に対して「カワイイ!」と言ってあげることがほとんどできない。そんな僕は先ほどの「顔面偏差値50」を振りかざすことでこの話題から足早に逃げ出すことを選んでしまうことが多い。

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このワードの特筆すべきところは、「自分でブサイクではない」と言い切る部分だと思う。

実際、過去に男性からも女性からも「顔が良い」と言われたことがごくごく稀にだけどある。お世辞かもしらんけどそう思う人がいるってことは少なくとも自分をブサイクだと言い切ってしまうのは、褒めてくれた人たちのメンツを潰してしまう。

それに、自分に対して「ブサイクだ」なんて常に言っていたら醜形恐怖症にでもなってしまいそうだ。ただでさえメンヘラな僕がそうなったらいよいよおしまい感が湧いてくる。

おまけに、「自分の顔はそんなでもない」という反応の人間が多すぎる。これは単なるアマノジャク的な考えで面白くないな~と思う。

最後に、大きな効果がある。それは、見た目の優劣の話を「お笑い」に転換できること。他の人が言わない意見なので、「なにそれww」とか「自分で言うんかーい!」という方向性に持っていくことができ、見た目の評価についての話題をいつの間にか終わらせることができる。強すぎる。

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と、いうわけで珍しく見た目に関するトピックでした。もしこの考え方が刺さったら、「俺(私)顔面偏差値50だから!」をぜひ使ってみてくださいね。

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