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腹が立つときと、立たないとき。

僕は普段、めったに腹が立たない。イライラとかも無い。

本当に腹が立つ出来事は数年に一度くらいで、あとは小さなイライラが年に数回くらい。

数年間付き合った彼女に浮気されたときも、怒りよりも悲しみに支配されるだけだった。

そんな僕だが、ここ数日で「腹が立たない出来事」と「腹が立つ(イライラする)出来事」を両方経験したので、自分の中でそこにどんな差があるのか考えてみることにした。

キーワードは、「誠実さ」あるいは「利己と利他」なんじゃないかとぼやっと思っている。

腹が立たない例:ラーメン屋にて

突然だが、僕はラーメンが好きだ。年間150杯くらいお見せで食べ、友人たちからも「ラーメンといえば彼!」というくらいに認識されている。

数日前、とある家系ラーメン屋さんにて、ある事件が発生した。

家系ラーメンとは:
横浜にある『吉村家』というお店を発祥とする、鶏油(チーユ)を使った豚骨醤油ラーメンのこと。関東圏にお住まいの方はご存知だと思う。

店員さんがラーメンを提供するときに、カウンターに丼を引っ掛けて僕の方に向けてスープをこぼしてしまったのだ。そう、飲食店ではありがちなミスのひとつだ。

僕はこの手のミスに一度も腹を立てたことがない。

店員さんは僕の着ている服が大丈夫かとしきりに聞いてくれたが、幸い服にスープは一切かかっていなかったのでよかった。

服にスープがかかると、店側は「クリーニング代」としてお金を渡すケースも発生するため、それを危惧したのだと思う。むしろ、スープがかかってないのに何度も確認してくる行為にイライラが募りそうなもの。笑

しかし、それだけではこの話は終わらない。

スープは服に”は”かからなかったが、カウンター上に置いていた僕の財布にたっぷりとその鶏油を吸わせていたのである…。もうベッショべショである。普通の財布ならまったく問題ないのだが、その財布は僕がはじめてお金を貯めて買った、4万円を超える思い出深い財布だったのだ…!

店員さんに「服は大丈夫か」と聞かれている間も僕はずっとティッシュでその財布をこれみよがしに拭いていたにもかかわらず、店員さんはそれに見向きもせずに、クリーニング代の出費と格闘。

「いや俺の手元を見ぃ!!」

…なんて言える度胸があるわけでもない僕なんですけどね!

ここまで読んだ読者は「あれ、怒ってんじゃん」と感じるかもしれないが、実はまったく怒っていないのである。財布を拭いている僕の頭の中はこうだ。

「あぁ~これ4万以上したのになぁ…。でも財布をしまわずにカウンターに置いてたのも俺だし、店員さんもわざとやったけじゃないしな。俺のリスク管理の問題やな。」

店員さんはただラーメンができたから提供したかっただけで、この件はただの事故。僕もラーメンに少し詳しいから分かるが、ラーメンの提供はスピードが大事だ。この店は家系で中太の麺だから多少の遅延は許せるものの、細麺とかだと熱湯に浸かっている時間が10秒長いだけでも食感が変わってくるのだ。

僕はラーメンを食べに行って、提供時の事故で高い財布が汚れてしまっても、僕は一切腹が立たなかった。僕の財布も美味しいスープが飲めたと喜んでいるかもしれない。笑

腹が立つ例:レジにて

ご飯の材料を買いに、スーパーに行ったときのこと。

レジに並んでいると、僕の前に並んでいるおばあちゃんが不意に

「お父さん、こっちのほうが早いみたい」

と言って、隣のレジに並んでいるおじいちゃんを呼ぶのだ。

そしておじいちゃんが「すいません…」とかいいながら僕の前に入ってくるのだ。しかもそのおじいが買い物カゴを持っており、おばあはよく見たら手ぶらなのだ!

あまりにも急な展開に、僕は唖然として動けなく(言葉も出なく)、老夫婦は会計を済ませていった。

つまり、老夫婦はそれぞれが別の列に並び、より早く会計ができるレジのほうを後出しジャンケンのように取るという算段。もう呆れてものも言えない。けど言わせてほしい。

そうやって自分たちのことしか考えていないやつらがマスクとかトイレットペーパーの買い占めをするんだろうよ!なぜそれがまかり通ると思ったのか謎!(これがラーメン二郎の列だったら全員から刺されるところぞ…!)

僕はこういう、誠実性に欠けるというか、自分が利益を得るためなら誰のことも気に留めないタイプの言動に本当に腹が立つ。

くぅ~!

まとめ:両者の違い

少し取り乱してしまいました。ふう。

ということで、ラーメン屋の兄ちゃんと、おじいおばあの違いは何かと考えたときに、冒頭で書いたような「誠実さ」もしくは「利己と利他」という言葉がしっくりくる感じ。

早くラーメンを提供したかった兄ちゃん。

早く会計を済ませたかった老夫婦。

僕の場合はこんなケースでしたが、これを読んでいるあなたにもこんな怒りのボーダーラインが存在するのではないだろうか。それを探すのに思考を巡らせてみるのも、また一興。

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