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感情が無いわけではないんだなも

ものを買うとき、はたまたサービスを利用するとき。
人という生き物が合理性では動かないことを知識としては理解しているつもりだ。

ぼくは、生まれながらの特性ゆえか、育った環境ゆえか、論理的に正しいかどうかで物事を判断するきらいがあるので、なかなか人とわかり合えないことが多い。
そして自分の感情すら手に負えなくて、病んでしまうことも多い。

でも、今になって感情で動く人、そして自分に寄り添う必要があると感じている。
こうやって文章を書くときに、人に行動してもらうためには論理的な冷たい文章であるだけではダメで、いわゆる”エモい”文章を書く必要がある。

いままでコンピュータサイエンスの論文やビジネス書ばかりを読んできた自分が、エモい文章を書けるようになるには結構な練習が必要になる。
その練習にnoteという素晴らしいサービスを使わせていただきながら。

noteにはエモい文章がたくさんあって、ページを開けば折にふれてエモい文章に出会う。

たぶん、人が自身の感情をベースにして何かを表現するからこそのエモさ。

ぼくは、noteでもあんまり感情の話をしてこなかった。
でも、これからは感じたことを言語化する記事を書いていくのもいいのかな、なんて思っていて。

つらかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、面白いと思ったこと。

いかに外に出ない生活とはいえ、日常には感情が溢れているはず。

まだあまりうまくできないけど、これからは自分の感情の海から小さじ1杯分ずつでもすくい上げてみようかと思っています。

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