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いつか、子どもに聞かれたら答えられるように。出産の備忘録。

出産当日のことを記録しておこうと、”下書き保存”を残して半年が経った。今日こそ、彼女が寝ている間に出来るだろうか。

自分が小学低学年の時に、授業の一環で”自分史”を作って、名前の由来や、産まれたときの様子、幼少期のことを母に聴いた記憶がある。気は早いが、そんなときの為と、自身の記憶の整理のために、メモしておこうと思う。
出産時の病院側やコロナ禍への愚痴も入っているが、気にせず書こう。

6月の日曜日。朝6:50に起床。布団から体を起こすと、生理の際の血が流れるような感覚があったので、トイレへ。水っぽい、ほんのりピンク色のものがナプキンについていたので、破水したかなと思い、母にも伝えた。痛みは一切なかったので、落ち着いて病院へ連絡(7:00)。恐らく破水だろうと、病院で確認するので、いつ頃来れますか?と聞かれ、40分後に行きますと伝えた。病院では朝食が食べられないだろうと思っていたし、準備もあったので、車で10分の距離だが、そう伝えた。いつも通りに朝ごはんを食べ、あらかじめ用意していた入院セットに化粧水や歯ブラシ等の当日のものを詰め込み、父親の運転で病院へ向かった。母もついてきてくれた。途中、いつもの道が交通事故で遠回りになるなど、若干ドラマのような出来事もあったが、緊急ではないので、きっちり病院へ到着。
病院についてからは、内診をし、破水だと確定したので、すぐに入院となった。部屋は、LDRに案内され、指定のものに着替えたり、持参した飲料とお菓子をテーブルに用意したりしていた。
最初に痛みを感じたのは、部屋へ移動中の車いすの上。生理痛の様な痛さ。次第に、卵管造影検査を行ったときのような痛みになってきた。
10分間隔の陣痛になったのは9時頃。夫にはLINEで連絡していた。立ち合い希望だったので、助産師から、何分くらいで夫が来られるかを聞かれた。「1時間半」と伝えたけれど、陣痛の間隔が短くなっても、呼び出して良い許可が出なかったのには驚いた。コロナ対策なのか分からないが、彼女たちのGOサインを待っていたら、立ち合いに絶対に間に合っていなかったと思う。夫には、陣痛が始まって連絡していたので、すぐに大阪の家を出て、いつでもいけるよう、病院近くのコンビニで待機していてくれた。
母にも陣痛が始まったと連絡すると、姉からもLINEが来た。
初産なので、初めて陣痛を味わったけれど、本当に痛いときと、痛くないときの差が激しい。陣痛がおさまっている際は、スマホで文字を打つことも容易だし、正午に出されたお昼ご飯も、陣痛の間で食べることができた。
ネットでは体力勝負と書いてあったので、とにかく何か胃に入れておこうと思った。というより、いつも11時頃に昼食を食べる習慣だったので、病院食が出される12時にはお腹がペコペコだった。入院準備については、母親は完璧で、お菓子を持たせてくれたので、甘味をつまむこともできた。

立会は嫌だと言う意見もあるけれど、自分の場合は、夫が立ち会ってくれて良かった。感動の共有…などではなく、人手の意味で助かった。助産師もずっと近くにいるわけではないので、陣痛のさなか、汗を拭いたり、飲み物渡してくれたり、さすってくれたり、陣痛の時間を教えてくれたり、私の手先となってくれたので非常に助かった。
陣痛の感覚が4~5分、3~4分の間隔になってきたが、なかなか息んで良いと言われなかった。初産だからか、助産師の進行が遅い。”いきみたい”と意思表示しないとスルーされていたし、子宮口の開き具合も”見て欲しい”と促さなければ、もっと遅かったのではないかと思う。職業柄慣れてはいるだろうが、こっちは大変な思いで陣痛に耐えている。
結局、陣痛から出産までは、6時間半。初産にしては早いほうだと思う。
陣痛の痛みはすさまじかったが、意識ははっきりしているので、たかだか点滴で4回も左腕に穴を開けられたし、笑って話す助産師(看護師?)もいた。人が必死な時にやめてほしい。点滴の場所、そんなにミスするかな・・・。もし、次回も同じところで出産するのであれば、このことは必ず伝えなければ気が済まない。また、コロナ禍とあってか、産まれる30分前くらいにマスクを着用させられた。マスクの上に酸素マスク…今まで普通にいきんでいたのに、今さら?なんの根拠があるのか全く分からないが、こちらは必死なので、されるがまま。仕方ないが、よく理解できないコロナ対策。とにかく息苦しい。
助産師が、いきむタイミングをサポートしてくれる。どこに力を入れればいいかも伝えてくれる。ただ、言っていたような”お尻が痛い”感覚は一切なかった。人によるのだと思う。
また、想像していた場所の痛さではなく、本当に大便をきばる痛みだった。
「え、ここに力を入れるの?と」いった感覚。

赤ちゃんの全身が子宮から出てくると、すぐに、5人くらいから「もういきまないで」と大声で言われた。今まで必死にいきんできたから、急に切り替えろと言われても…と心の中では思う。こんなに大声で止められたことは、そうそうない。
股の間から赤ちゃんが取り上げられ、すぐ隣りの小さなベッドに移動させられた。
私は、陣痛の痛みはもちろんだが、産んだあとの会陰切開部の縫合がとても痛かった。赤ちゃんが無事にでてきたので、「終わった」と思っていたら、かなりの激痛。”麻酔します”とは聞こえたが、瞬間に麻酔が効くわけもなく、とにかく痛い。しかも時間が長い。
縫合も終わり、赤ちゃんの状態の確認も終わり、産まれた直後は7人くらい居たスタッフは、もののみごとに10分で1人に戻った。作業が機械的で速い。
コロナ禍とあって、夫は赤ちゃんが抱けず見ているだけ。助産師が、私の脇に赤ちゃんを入れてくれて、ようやく出産が終わったことを実感できた。とても小さい。反射とは分かっているが、とても小さな手で指を握ってくれるわが子に涙した。無事でよかったと。その後、夫は5分くらいで帰らされた。これもコロナ禍とあってのことか、滞在時間が短く、そそくさと可哀そうだった。

1日目は、母子別室。産まれたあと、病室へ移動して、家族に出産を報告をした。お腹や、子宮周りは本当に痛いが、脳や上半身、ひざ下はすごく元気だ。自由がきくし、痛みがピンポイントで変な感じ。その為、スマホ操作に何の問題もなく、暇なので、家族とLINEでやり取りをしていた。

産後は、立ち上がったり、座ったり、とにかくお尻が痛いし重い。この状態で本当に1週間で退院できるのかと心配していたが、日に日に良くなっていく。人間の回復力に驚く。だから母親は強いと言われるのだろうか。江戸時代とか、大昔だったら、こんなに医療設備が充実していないなかで、よく産後を切り抜けられたなと、変な感心をしてしまった。

入院中の想い出は、また別に綴ろうかな。今回に、ざっくりまとめられたので、大丈夫だろう。いつか、彼女から聞かれることを楽しみにしておこう。

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