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△な私が◯な私になる

良いことでも、悪いことでも、
あなたは〇〇な人だって言葉を
一度くらいは言われたがあると思う。

この積み重ねで、本来△な私が、
いつのまにか変形して、
◯な私になってしまうのだと思う。

ほめ言葉ならいいように思えるけど、
ほめ言葉ですら、言葉をかけられた人を
その言葉の枠にはめてしまう。

あなたは強い。
と言われたら、
ほんとは強くないのに
強くいなくてはと
強い風の人になってしまう。

法律系の仕事をしているせいか、
書類を読む、扱うことは、苦にならない。
申請とか手続は、
私にとっては日常のせいか、
なぜだか、よく質問されるようになってしまった。

聞かれたことに答える。
それはきっと、
仕事でもないのだから、
知っている範囲で答えれば
よいものだったと思う。

いつのまにか、
よく知ってるよねと言われることで、
聞かれたことに「きちんと」答える。
になってしまった。

そして、その「きちんと」のために、
答えるからには間違いがあってはいけないと
確認もするようになった。

先日、ある場所に行った。
興味はあったけれど、
私自身は全くの初心者と言う場だった。

本当にわからないから、
わかりません。知りません。
と答える私に、
シンプルに教えてくださった。

そして、私が聞いたことに対して、
知らないことは
得意じゃないんだよねーと
言う答えも返ってきたけど、
そうなんだなぁーって思っただけだった。

その時、あれ?
私、答えてもらわなくても
なにも思わないなーと思ったのだ。

だったら、なぜ私はそんなに
きちんと答えようとしていたんだろう?

私は、聞かれたことに答えないと
相手が不誠実に感じるだろうから
本来特にそういうわけでもないのに
よく知ってる人に
なろうとしていたのだった。

知らないことは知らない。
言いたくないことは言わない。
それでよかったのに。

勝手な想像が、自分自身の行動を
大変にしていただけだった。

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