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かきつばたと着物

 知らぬ間に桜も散り終えて若葉さしあい、他に見るべき花も知らず、下町の花屋で安くなっていた霞草を大量に買い求めて装飾のないガラスの太い花瓶に大雑把に活け、それはそれで空気を含んだ雲のようで見応えはあるものの、色気とはよくいったもので、赤や青などの色彩がないと男のひとり暮らしの部屋に活けるにはもの寂しすぎるやもしれぬと感じていたころに、域内の庭園の燕子花(かきつばた)が4月下旬に盛りを迎える時期にあわせて光琳の燕子花図屏風を毎年展示する根津美術館がこのほど『色彩の誘惑』と銘打って屏風を中心に据えた企画展を開催するとの報に接し、絵画・庭園どちらの燕子花もそのあざやかな色彩でもって我々を誘惑してくれるというので、燕子花に、かつは光琳に呼ばれるようにして事前来館予約を済ませ、昨年の燕子花の見頃の時期は疫病のために美術館そのものが閉館を余儀なくされたこともあって一層たのしみにしていたが、手帳の予定欄に「光琳:燕子花」と記入した瞬間に、これは2年振りに光琳に挨拶に行くようなものだから並一通りの装いで行くのは失礼にあたると気付き、一式取り揃えることに決めた。

 ここまで一文。

 長かった。長い文章を書くというのも大変だとわかった。『細雪』とか『たけくらべ』のような、読めども読めども読点ばかりで句点がない文章にちょっと憧れがあって試してみたのだが、どうもぼくには合わないようだ。息が続かない。谷崎や樋口一葉の肺活量を測定してみたい。特筆すべき息の長さである。

 さてとにかく、根津美術館のかきつばた展を見るための服を調えることにしたという話だ。展覧会のキャプションを読むと、今回の展示はただ光琳の屏風を展示するだけでなく、その屏風に使われている色の青と緑と金(黄)に焦点を当て、これらの色が使われている品々を集めたという。金碧山水などの絵画や古九谷などの磁器がみられるらしい。そういった場に行く際のもっとも適切な装いはなにかと考えた。瞬時に解は出た。もちろんこの三色を使った装いだ。
 
 さあ三色ショッピングがはじまった。
 ぼくの内なる南海キャンディーズ山里が「あなたが選んだのは何色の何!?」と叫んでいる。無難に考えれば深い青のスーツに緑のネクタイをして黄色のチーフを胸に挿せばよい。さいわいそれらの色の品はすべて自室にある。脳内で山ちゃんが「ショッピング成功です!」といっているが、それではおもしろくない。ぼくは着物を買うことをおもいついた。 
 
 着物を着てみたいという欲は以前から抱いていた。ぼくは三宅一生が好きだからだ。説明する。彼の衣服づくりは“一枚の布”というコンセプトで一貫しているのだ。身体と布との間のゆとりとか間(ま)を大事にしているそうだ。時折、販売員に「この服は縫い目がなくて全部一枚の布です」「この服もそうです」と説明していただくことがある。祭の時に着る法被に着想を得たカーディガンとか、伝統技法の刺し子布で織られたジャケットを紹介してもらうたび、「いずれぼくも着物に辿り着くのだろうな」という予感めいたものを覚えていた。
 あとは久々に宮藤官九郎脚本の『タイガー&ドラゴン』を見て「あー、着物で落語やりてー」とおもったという経緯もある。
 
 そういうわけで着物でかきつばたを見ることにした。だがぼくは着物についてはほとんど無知に近い。そこで区立図書館で男着物に関する書籍を雑誌を含めて10冊ほど借り、読んだ。また呉服屋のPRブログや素人の着物愛好家のyoutubeで知見を得た。半月ほどかけて、ひとまず、男着物についての通り一遍の知識の、そのまた表面をなぞることはできたようにおもう。
 
 知識は仕入れた。次は実際に着物を選ぶ。着物といっても種類がある。何を買うか。とてもじゃないが三越で反物を買って一から誂えるのには先立つものがなさすぎる。といって、浴衣一枚のはしたない格好で行くのは光琳に失礼だ。無地のスーツに白シャツにネクタイとまでは行かないが、ハイゲージのニットの上にブレザーを羽織って茶色の革靴を履く程度の、適度にしゅっとしたものにしたい。着物の世界ではそういうのを街着というそうだ。そこで長着と羽織を探すことにした。

 長着というのがいわゆるキモノである。浴衣みたいなあの形状を想像してくださればよい。羽織は文字通り長着の上に羽織るもので、ある指南書に「ジャケットみたいなもん」とあったので、そんならあったほうがよいと判断した。買うものは決まった。次は素材だ。和服は普段着でも礼装でも基本的な形が変わらないため、生地によって格が決まる(と本に書いてあった)。

 候補は2つある。ひとつは、略礼装と街着の真ん中あたりに相当する、紬(つむぎ)と呼ばれる絹の生地で誂えたものを古着着物の店で買う案。もうひとつは、疫病隆盛の時世からいっても自宅ですぐに洗えるに如くはないから、木綿やポリエステルのものにするという案だ。とりあえず市場調査の気持ちで古着着物のオンラインストアを眺めていると、ちょうどぼくの身長にジャストサイズとおもわれる羽織と長着と長襦袢のセットを、しかも紺の大島紬を見つけた。紺の地織りに散らし亀甲の柄を重ね織りしていて、長着には木綿黒に桧垣の柄を油色で重ね染めした通し裏がついている。

 大島紬というのは奄美大島を中心に生産される平織の絹織物である。ところで大島というと、個人的にただちに想起されるのが連続テレビ小説『カーネーション』の一幕だ。ヒロイン役が尾野真千子で、彼女の祖母役が十朱幸代だった。戦時中、久しぶりに祖父母がヒロインの家に顔を見せに着て、ヒロインがふたりを玄関先で見送るシーンがことに印象深い。

 ヒロインの家と違って祖父母は(つまり、母の実家は)富豪なのだが、戦時中ということもあって、華美な服を着ることはできず、祖母はもんぺを履いている。ヒロインは祖母のもんぺの生地の良さに気づき、それをまじまじと見つめて、「おばあちゃん、そのもんぺ、なに?」と帰ろうとする祖母に尋ねる。祖母は「ああこれか。うふふ、ええやろ。大島や」といってポンと腰を叩く。
「大島!」
「私の持っとう大島の中でも、いっちゃんええやつをもんぺにしたったんや」
「な、なんで? なんでよりによってそんなええもん、もんぺなんかにしたん?」
「そらそのほうが着る時ちょっとでもうれしいやろ」
「そやけど……もったいないとおもわなんだ?」
「ええんや。もんぺみたいな辛気くさいもんこそ上等な生地でこさえなあかんのや。そやないと早よ死んでまう」
「死んでまう?」
「あんな、辛気くさいいうんはな、バカにしたらあかんで。おっそろしいほど寿命を縮めるんや。あんたも年取ったらわかる」と笑う。

 脚本家の渡辺あやの筆が抜群に冴え渡っている最高のシーンである。これを見てから、“大島”は上等な生地であるということをなぜか今日までずっと覚えていた。ただ、実際の男着物の生地の格付けとしては大島紬よりも羽二重や御召などのほうがよりフォーマルに近いらしい。そうはいっても、あの最高のドラマの印象深いシーンで登場した“大島”の羽織と長着だとおもうと、購買意欲が増した。

 さらにおもい出したのは、大島紬の産地である奄美大島といえば、満島ひかりの祖母の出身地であるということだ。ぼくは満島ひかりが好きだ。これはもう大島にするしかない。
 価格も手頃。色も紺。紺といってもほとんど青といってよかろう。ちょうどよい。「ぼくが選んだのは、深い青(紺)の、大島です!」というと、内なる山ちゃんがまた出てきて「ショッピング……ッ……成功です」といってくれた。ありがとう山ちゃん。
 
 以上のようにして、三色ショッピングのうち残りは緑と金(黄)という段になったが、結論からいうとその2色は失敗に終わった。羽織と長着は紺なので、帯や足袋や半襟や羽織紐などで遊びたいが、そういった品で緑とか黄色などの派手な色を選ぶのはなかなか骨が折れる。ないこともないのだが、高値すぎたり、嫌な発色だったりで、これというものを見つけにくい。それでなくとも男着物というのは紺・茶・灰色などが多い。そのほうが「いき(意気/粋)」なんだとか。「いき」ねえ。どうもまだぼくには腹落ちしていない概念だ。九鬼周造の本を読んでもよくわからなかった。

 それはともかく、当座は無難な色を選んでおこうとおもって、質の良さそうな(かつ、高すぎない)帯などを適当に選んで長着と一緒にオンラインストアでまとめて買い、後日届いたものを見ると、帯も半襟も羽織紐もうっかり紺色を選んでしまっていることに気づいた。足袋は白にしたが、これでは戦隊物のコンレンジャーみたいだ。うっかりしすぎた。だがもう仕方あるまい。
   
 部屋でyoutubeの解説動画を見ながら帯を締める。羽織を着てから姿見を見遣る。我ながら商家の若旦那といった風采。裄丈が短い気もするが、全体的にはそう悪くない。次買うときはもう少し裄丈が長いものを探せばよいだけだ。
 かくして、ようやくかきつばた展に着ていくものが決まった。あとは伊勢物語の「かきつばた」段を読んだり、琳派の図録を眺めるなどして当日にむけて気分を高めておこう。
 
 そのようにして過ごしていた矢先、緊急事態宣言が発出された。根津美術館も臨時休館が決まった。事前予約していたかきつばた展の入館チケットは払い戻された。その日、ぼくは買った着物を着て、琳派の図録を図書館の返却ボックスに入れに行った。着用時間はおよそ15分程度だったとおもう。

 たった15分でも、着ることで初めてわかることはある。たとえば雪駄を履いて和服で歩くときのリズムや足の運び方をスラックスを履くときのそれと同じにすると、どんどん着崩れるし歩きにくい。歩幅をやや小さくして、摺り足のようにして歩くと具合がよい。その時聞いていたのがフジファブリック「若者のすべて」で、この曲のテンポ(BPM124)に合わせて歩くとちょうどよかったことを妙に覚えている。
 部屋に戻って脱いだ羽織と長着を衣紋掛けにもかけずに適当に投げ置いた。息を吸って、吐いた。そのまま長襦袢姿でしばらく寝ていた。

 そして5月7日、緊急事態宣言の延長に伴って根津美術館も臨時休館の延長を余儀なくされ、かきつばた展は事実上閉幕した。かきつばたは今年も人の目にほとんど触れることなく盛りを過ぎる。そりゃ花だって別に人間ごときの為に咲くわけじゃないのは百も承知だが、毎日のニュースを見るたびに息がつまるようで、特に最近の政府や知事の振る舞いを見ると、来年また見られることを祈って、などと笑えるほどの気力が湧くはずもない。

 とおもっていたが、生来の着道楽に加えてのめり込むタチなこともあって、今やすっかり着物の世界のあれこれを知ることが楽しくなってきているから人の心はわからないもので、本や雑誌ばかり読んで知識を仕入れてばかりでは頭でっかちの着物警察予備軍になりかねないと考え、長着をたまに着て着流し姿で近所をうろうろしたり、帯と長着の色合わせの参考にと、にわかびいきである三代目小痴楽の落語を動画で見るようになったりしたはいいものの、彼はおととしの9月に真打になったばかりで、つまり昇進して時を置かずに疫病が流行してしまっており、それが影響しているのかさほど見られる動画の本数もなく、ならば生で見てやろうと息巻いたがこれまた疫病のせいで独演会は中止に追い込まれ、さらに寄席は東京都の強い要請をうけて5月1日からの興行中止を強いられたことから、これじゃあの漫画のようにほんとうに落語が死神と心中してしまう、と嘆いていた矢先、なんとその小痴楽主催で5月の8-9日に前座15人と若手真打4人によるリモート落語会を四部立でやるというから、うれしい気持ちで小痴楽が出る回のチケットを買い、さっそくアーカイブで見ようとしていると、都内の寄席が緊急事態宣言が延長される12日からの営業再開を決めたとのニュースが飛び込んできて、またしてもうれしい気持ちになると同時に、いくら寄席で感染者を出していないとはいえこの決断には賛否両論あるだろうとの懸念が頭をかすめたが、赤字覚悟で客を定員の半数にしてその他の感染対策も尽くすらしいので、5月下旬から6月上旬のどこかで小痴楽を見にひとりでの寄席行きをおもい立ち、そのためにも夏用に薄物の麻かポリエステルの着物を探さねばなるまいから、やはり初夏の着こなしを学ぶためにも落語家がどんな着物をどんなふうに着ているかを見てみようと、リモート落語会動画の再生ボタンを押した。
 
 ここまで一文。

 巧拙はともかく、今回はまあまあ長いこと行った。おもったよりも息は長くもつ。
 

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