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20代後半の男性同士が友達になるには(後編、ではなく③)

 次で終わらせたい、などと書き結んでから3ヶ月が経った。一向にくだんの男とは友達になれていない。というのも、感染対策万全の店のステーキを食べに行こうと誘っては「肉は涼しい時期に食べたい」と断られ、高田賢三追悼展を一緒に観に行った帰りに夕飯に誘っては「眠いので帰りたい」と断られ(強引にうどん屋に連行した)、まったく距離を詰められていないからである。認めよう。避けられているのだ。

 そのうどん屋でも、うどん一杯だけだとすぐにこいつ帰りやがるなとおもったため、梅昆布うどんと一緒にカレーうどんと鶏釜飯を注文し、ぼくが3人前の量を食べることによって店にいる時間を延ばすという作戦まで実行したが(キショ)、やればやるほど距離が開くのを感じている。

「松井さん3つも食べられるんですか?」
「食べられますよ」
「まじですか、やば」
「うどんだけだとすぐ食べ終わっちゃうし、そしたらあんたすぐ帰ろうとするでしょ、時間稼ぎです」
「え、帰っていいんですか、帰ろうかな」
「釜飯食べ終わるまで待てやこら」
「帰りたいなー」
こんな具合だ。結局ぼくは着席してから30分超ですべて食べ終わってしまい、彼はさっさと帰っていった。

 そうこうしているうちに奴が三十路を迎えていたことが判明した。誕生日は祝われるべき事柄ではないとの考え方を持っているので祝っていない。しかし困った。このシリーズの看板に偽りありになってしまう。もはや20代後半の男性同士ではなく、『20代後半と30代前半のおっちゃん同士が友達になるには』に修正すべき事態なのだ。

 ただ、友達になるきっかけとして相手を動揺させたいという方法論はもちろん堅持している。そうすれば相手のリアルな感情を引き出すことができるからだ。この目的と経緯を先日また別の他者に話したところ、非常にやさしい顔とやさしい声色で「その方法で本当にいいとおもう?」と尋ねられた。いいわけがないだろ。そんなことわかっている。だからって、他にどうしろというのだ。他の方法をぼくは知らないんだ。真のコミュニケーション障害を持つ者の、この魂の叫びを聞け。
 
 話が逸れるが、そのやさしく尋ねてきやがった他者(高校の同級生)は去年、一緒に漫才をやろうと持ちかけた男だ。先日、この男に次のような話をした。人間関係は同じ箱に入っていないと長く続かない。友人関係もそうだ。きみとぼくは同じ時期に教室という物理的な箱の中に入れられたことを契機に関係が始まった。血族という箱、会社という箱、同じ趣味という箱、箱は色々ある。しかし今や職場は違う、読む本も、ものの見方も違う。違う箱同士に入ってしまった。きみは来年にはこの国を離れるという。きっとまた別の箱を見つけ、そこに入るだろう。さすれば徐々にきみとぼくの関係は衰退し、いずれ完全に沈黙するに違いない。きみは新しい友達を見つけ、ぼくは誰からも見向きされなくなる。そして死ぬ。以上のようなものだ。ぼくは普段からこんなことばかり考えているのだ。

 すると彼は応えた。

 「確かにおれたちが入ってる箱は違うけど、おれは松井と会うときは松井とおれだけの箱に一緒に入ってるつもりだから。もし別々の箱に入っても、またおれは松井と会うときにはこの(自分たちを囲む空間を手で指し示しながら)ふたりだけの箱に戻ってくるって。だからさ、おれたちの関係は続くとおもうよ」

 聞いてぼくは「ドラマだったらこのタイミングで主題歌ドンだな」と考えていた。ゴールデンだとしたら21時45分あたり。台詞の流れとともにカメラは非常にゆっくりとふたりに迫っていく。窓の向こうは夕焼け。「ふたりの箱に戻ってくるって」と言い終わる。グラウンドに飛び交う運動部の声とロングトーンのラッパの音が突然聞こえなくなる。一瞬の無音。カメラは彼の横顔をピンで捉える。「だからさ、おれたちの関係は……」の決め台詞。そして主題歌ドン。10代向けのドラマなら絆がどうだとか仲間がどうだとかのやつだ。もう少し視聴者層を高めに制作するなら場面と時間の設定をちょっと変えて、主題歌は米津玄師だ。こういうのは米津玄師にお願いすればなんとかなるのだ。じゃあ、ほら、ネ、『MIU404』での「感電」的なやつをひとつ、米津くん、ネ、シクヨロです(左手をパーにして右手をグーにして両手を合わせる挨拶をするタイプのプロデューサー)。

物語の主題歌を書くのが巧すぎる米津玄師

 しまった。また思考が飛んでしまった。ここまでの妄想が0.2秒だ。なにせネタっぽくではなく真面目にこんなことをいわれたのだ。ひねくれ共和国の国民であるぼくはあまりにもまっすぐな光を見ると目が眩む。慌てて思考を現実に戻して返答しようとした。だが相手は圧倒的な光なので、「ふへへ」としかいえなかった。

 さてそのミスター光源の説が真とすれば、ぼくもくだんの20代後半の、否、30代前半の男と一緒の箱に入ればいいということになる。なるほど。わかった。同じ箱ね。同じ箱。箱……。はこ……。

 だめだ。映画『SAW』のような状況しか思い浮かばない。

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この状況で友情が成立する可能性は低い

 どうしたらいいのだ。このままぼくが老いていけば新規の友人関係を構築し得る可能性がどんどん低くなるんだぞ。この前もCreepy NutsのラジオでDJ松永が「おれの前にいるの学者?」とボケたとき、R指定が「いや友達や、ただのアホの友達」と突っ込んだとき、自然体で「おれはお前のアホの友達」といえるR-指定の素直な心性に接して号泣してしまった(そしてこんなことで泣いてしまってごめんクリピ、ともおもっている)。

 ということを30代前半の男に話した。『SAW』云々のときは顔が死んでいたが、ラジオを聴いて号泣したくだりでは笑っていた。「ぼくのこと軟禁したいですか?」と訊かれたので「いや刑法に抵触しますから」と応えた。ふーん、といっていた。

「ていうかラジオ聴いて泣くのやばいですね。そんなにラジオで泣くことあります?」
「ありますよ。三四郎ってわかりますか? 芸人の」
「わかりますよ」
「その三四郎が深夜3時から放送のオールナイトニッポン0を4年間担当してたんですけど、人気が認められて、深夜1時放送開始の1部に昇格したんですね。でも2年経って、今年の4月、霜降り明星に追い抜かされちゃって。また2部と呼ばれるオールナイトニッポン0の時間帯に戻っちゃうことが決まって」
「あー。昔聴いてましたね、三四郎のラジオ。そんなことあったんですか」
「それで降格だなんだっていわれて、本人たちも番組で『この4月から深夜1時からじゃなくて深夜3時からになる。おれたちもう38歳なのに。さすがにきついよ』って自虐のネタにしてたときに、そしたらCM明けにリスナーからメールが届いて……えーと……Evernoteにメモしてるのでちょっと待ってくださいね……」
「メモしてるんですか」
「あったこれだ。読みます。2月26日深夜の放送です。『そっか、三四郎のオールナイトニッポン、2部になるんですね……そっかそっか……って当たり前だろうが!  天下のオールナイトニッポン様、舐めてんじゃねえぞ! なに2年も耐えてんだよタコ!  じゃあ! 3時―5時で待ってっからな! 馬鹿どもが!!』 これが届いたんです。涙が垂直に出ました」
「垂直に」
「肌の面に対して垂直っていう意味で……」
「わかりますよ。わざわざメモしてるんですか?」
「メモしました。よかったので。ラジオネーム:ニトロです」
「いいです別にそれは」
「最近なにで泣きました?」
「泣いてないです」
「だから最後に泣いたときってことよ、なんかあるでしょ」
 
 役者でもない限り、涙はリアルな感情の表出だ。彼奴の涙が出た原因を訊いて、いずれその弱点を突こうとぼくはおもっていた。

「覚えてないですね」
「覚えているはずです。おもい出して。はやく」
「えーと、うーん、あ。あのー、何年か前に親戚のおじさんになんか色々強くいわれたときに、泣きましたね」
「想定してた方面と違った」
「え」
「いや、その。何をどういわれたんですか」
「今の会社への転職を決めたときだったんですよ」
「はい」
「それを報告したら、色々いわれちゃって」
「なにを」
「なんか、なんでそこに入るんだ、とか」
「はあ」
「それで」
「それで?」
「泣いちゃいました」
「泣いちゃいましたか」
「それが最後ですね」
「それが最後ですか」

 なんか……。変なこと訊いてごめん……。きみはいい子だね……。

 ともかくそんなわけで、相手を動揺させられていないし、驚かせられてもいない。よってリアルな感情を引き出せていない。つまりまだ友達になれていない。

    短期ではなく、長期計画に切り替える判断を下すときが来たようだ。2021年もいつしか半分が過ぎた。なにひとつ目標を立ててこなかった人生だが、今年の下期の目標があるとすれば、いまの与党を政権から降ろすことと、彼奴のリアルな感情をもっと引き出すことだ。前者はともかく後者は個人の力でなんとかできそうだ。さてその個人の力をどう行使すればよいかというと……こうやって堂々巡り。振り出しに戻る。

(続く)

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