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最終選考レビュー⑩『セバット・ソング』

「セバット・ソング」
著・ 谷村 志穂 (潮出版社)

さて、最終選考レビューも遂に、最後の作品となった。
この『セバット・ソング』。誤解を恐れず書くと、読み終わった時、よくこの作品が最終選考に残ったな、残ってくれたな、と思った。

今回、最終選考の作品を見てみると全体的に爽やかだったり、明るかったりする読了感を持った作品が多い。その中において、この作品は全体を通して重苦しい空気で満たされており、扱うテーマも突き刺すような厳しさがあるという点で特殊な作品だった。

知名度で左右されることのないよう、得票数だけで決めるような選考システムをできる限り排除してきた。

それでも「より多くの人に読んでほしい作品を選ぶ」という指針から、人によっては嫌がることも想像できるテーマを扱った作品群が、最終選考対象作品にノミネートされることは簡単でない。そのなかで推薦されてきたことに、作品が持つ力強さを感じた。

もっと裏方の話をすると、この作品は指名制で選考委員の担当作品を決めた際に、指名ゼロだった作品である。そのため、自分が選考委員Gさんに依頼して担当してもらった。そうした意味でも、自分を含め最後まで残ることを予想した人は少ないと思う。同時に、まだまだ出会えていない作品が沢山あることを痛感する。

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さて、そんな小説の物語を紹介する。

舞台は、北海道にある「児童自立支援施設」。
少し聞き慣れない名前だが、通常の児童養護施設とは違うもので、不良行為をした、もしくはする恐れのある少年少女を入所させ、自立を支援する施設となっている。

この児童自立支援施設の所長である藤城遼平を父に持つ藤城ゆきは、ある日、自分の父に向けて作られた「パパリンに贈る”愛羅武勇”」という曲を、施設の出身者である野々村摩耶が歌っているのをネット越しに聞く。

当初は自分の父に贈られた曲と嬉しそうにする父の姿を見て、反感を持っていたゆきだが、どうしても気になり実際にライブに足を運ぶように。

そこには施設の近くにある湖を題材にした歌「セバット・ソング」を歌う摩耶と、彼女と同じように施設で育った摩耶の兄・拓哉の姿があった。やるせない過去を抱え、今も問題を持ちながらも懸命に生きる兄妹。

ゆきは二人に心惹かれ、二人と親しくしたいと思いながら近づいていくのだが、周囲の目や家庭の問題など、複雑な現実が三人が互いに優しくしあうことを難しくしていく……


といった物語。

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自分の感想を先に述べると、大好きな部類の作品である。
そして小説というより、ノンフィクションに近い。それは、作者の綿密な取材によるものもあるだろうし、どこかの意見に偏らない絶妙なバランスを持った視点から描かれる構成力によるものもあるだろう。

子供たちが施設で生活しなければいけない原因を作った親たちの問題。
自立していく子供がいる一方、更に不良行為に走っていく子供たちの問題。
そして、彼らを取り巻く施設職員などの周囲が抱える負担や価値観・覚悟といった問題もえぐり出していく。

特にバランス感覚が凄いと思えるのは、子供たちを「無条件の被害者」として扱っていないことである。
いたるところで加害と被害という関係が連鎖・乱立していくのだ。

親からの暴力に対して被害者であった子供が、今度は同じ施設の子や職員に対しての加害者となったり。逆に職員が、子供たちにとっての加害者になったり。遂には助けようと行動した人の家族や職場の人間が迷惑を被ったり……

どうしたらいいんだ! と本を投げ出したくなる気持ちに襲われるのも一回や二回ではなかった。

明確な答えというものが小説の中では提示されず、ただ克明に事実だけが浮き彫りにされていく。

信念を持って働き続けるゆきの父・藤城遼平も、複雑で厳しい現実を前に闘い続ける。そんな物語の良心のようなポジションにいる彼さえも欠陥を娘・ゆきに指摘されてしまうなど、明確な救いはなく、茫漠な問題だけが繰り広げられる。

そんな混沌とした小説である。
そして間違いなく、好きと嫌いが分かれる小説である。

ちなみに、先に書いたように、私は大好きな側である。

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不条理や悲劇の物語が好きという訳ではない。
現実のやるせなさを描くなら、一時の感情で中途半端な救いを演出されるより、トコトンまで突っ走った作品の方が好きなタチなのだ。

物語の中心線が多少なりとも社会派を意識しているのであれば、単純な快楽よりも複雑な現実を常に優先して欲しい、というこじらせた人間なのである。

そして、同じようにこじらせた嗜好を持つ人からしたら、この作品は拍手を贈りたいくらいの現実の匂いをまとった作品だっただろう。

物語においては、明確な答えが提示されずに終わるためモヤモヤした読後感が残るかもしれないが、むしろ、そのぶれることのなかったスタンスは快哉を叫びたくなるほどの徹底ぶりだった。

ただ徹底しすぎて逆に残念だったのは、児童の自立支援における問題に言及し過ぎるあまり、文量の多くを父である藤城遼平に割かれすぎて、ゆき・摩耶・拓哉の関係性が創られていく描写が少し薄まってしまったことだ。

魅力的かつ重要キャラクターだった摩耶の存在感が、当初予想したよりも軽いものになってしまった。

厳しい現実の中心にいる3人の関係が、雪中の梅のように物語の中で美しく咲き誇るかと思いきや、現実問題の描写が強すぎて、周りの雪に光があたってしまった感がある。

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純粋なエンタメを求める読者に対しては、他の最終選考作品の方が遥かに適しているのが事実だと思う。しかし、娯楽以上の何かを求めて本棚を彷徨うことがあれば、ぜひ差し出したい一冊だ。

力強くスイングすれば、派手な空振りか、虹を描くようなホームランが待っているものだ。

ちなみに私にとってはスタンドどころか場外に飛び出す大当たりとなった。
他の人にとっても、そうであることを強く願う。

読者による文学賞における「セバット・ソング」
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