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海外の映画監督が世界No.1評価 小津安二郎監督の東京物語はなぜ名作なのか?

おはようございます。ドドルあおけんです。

ライフハック・教養の土曜日。今日はウディ・アレン、マーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノなど、そうそうたる映画監督がNo.1に推し、英国映画協会(BFI)の2012年「映画監督が選ぶベスト映画」部門で1位に輝いた「東京物語」について書いてみたいと思います。

この映画が気になったきっかけは、苦手なイギリス英語に慣れるためにBBCのポッドキャストを朝散歩の時に聞いているのですが、その中で東京物語について、映画専門家らしい人たちが3人くらい出てきて、いかにこの東京物語が素晴らしいかということを熱く、延々と語っていて、そこまで言うなら何かあるに違いない、というところからです。

海外での高い評価

日本国内での評価と海外での評価というのは意外とギャップがあります。
例えばですが、海外で有名な日本人をランキング形式で紹介しているサイトのベスト5は、1位の本田圭佑選手を除いて後はクリエイターです。(22の国・地域/2万人)

1位 本田圭佑(サッカー選手)
2位 宮崎駿(アニメ監督)
3位 村上春樹(作家)
4位 黒澤明(映画監督)
5位 鳥山明(漫画家)

日本のマンガ、アニメ、小説、映画、こういったものが諸外国に与えている影響がかなりあるということですね。

今回ご紹介する東京物語が脚光を浴びた「映画監督が選ぶベスト映画」の集計を行った英国映画協会(British Film Institute ,BFI)は、1933年(昭和8年)にイギリス国内の映画促進(教育上の役割を含む)を目的として設立されたこの種の機関では世界最古で大変権威あるところで、その意味ではこの機関主催のコンテストの受賞はとても栄誉なことです。

10年に一度、投票は「映画監督」358人と「批評家」846人によってベスト作品が選ばれるようですが、映画監督からは、ウディ・アレン、マーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノなど映画製作のプロ中のプロが西洋にたくさんある映画を押しのけて推し、見事No.1に輝いているのです。さらに批評家部門でも3位にいます。

「映画監督が選ぶベスト映画」
1位:『東京物語』 小津安二郎監督
2位:『2001年宇宙の旅』 スタンリー・キューブリック監督
2位:『市民ケーン』 オーソン・ウェルズ監督
4位:『8 1/2』 フェデリコ・フェリーニ監督
5位:『タクシードライバー』 マーティン・スコセッシ監督
6位:『地獄の黙示録』 フランシス・フォード・コッポラ監督
7位:『ゴッドファーザー』 フランシス・フォード・コッポラ監督
7位:『めまい』 アルフレッド・ヒッチコック監督
9位:『鏡』 アンドレイ・タルコフスキー監督
10位:『自転車泥棒』 ヴィットリオ・デ・シーカ監督

どうしてそこまで評価されているのか?まずは東京物語の大枠を見てみます。

東京物語

いつものようにWiKiから抜粋です。

『東京物語』(とうきょうものがたり)は、1953年に公開された日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆原節子。モノクロ、スタンダード・サイズ、136分。
上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。
戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。
「ロー・ポジション」を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている。
主なオマージュ作品にヴィム・ヴェンダースの『東京画』、ジュゼッペ・トルナトーレの『みんな元気』、侯孝賢の『珈琲時光』、ドーリス・デリエの『HANAMI』、山田洋次『東京家族』がある。

決して楽しいハッピーエンド作品ではないですが、家族の絆、夫婦と子ども、老いと死など誰もが関わらざるを得ない普遍的なテーマを掲げている作品で、だからこそ国境を超えて支持を集めているようです。オマージュがたくさんあるのは影響力の高さを表していますね。

小津安二郎監督

小津安二郎_-_Wikipedia

ついでに小津監督についても抜粋。

小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年(明治36年)12月12日 - 1963年(昭和38年)12月12日)は、日本の映画監督・脚本家。
「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。
伊勢松阪の豪商・小津家の子孫にあたり、一族には国学者の本居宣長がいる。日本映画監督協会物故会員。

戦争〜復興期の日本を生きた人ですね。復興の中で家族のありようが徐々に変わっていく時期と重なります。一族に本居宣長はすごい。

小津監督のアプローチ

小津監督が築き上げた「小津調」とはどんなものだったのでしょうか?ポイントをひろってみたいと思います。

ムダを削っていく撮影の手法
・低い場所にカメラをおいてとる
・カメラを固定してショット内の構図を変えない
・人物を相似形に画面内に配置する
・クローズ・アップを用いず、きまったサイズのみでとる
・ワイプなどの映画の技法的なものを排する

独特の演出
・人物がカメラに向かってしゃべる
・日本の伝統的な生活様式へのこだわり
・反復の多い独特のセリフまわし
・同じ俳優・女優が繰り返しキャスティング

小津監督が実現しようとしたもの

評論家の佐藤忠男氏によると、小津監督は画面から一切の不純物を排除するというポリシーをもって映画制作を行っていたようです。
小津監督自身もその嗜好についてこう語っています。

「私は画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど汚いものを取り上げる必要のあることもあった。しかし、それと画面の清潔・不潔とは違うことである。映画ではそれが美しくとりあげられなくてはならない

さらに、美しさへのこだわりは徹底的で、撮影に臨んでかならず自分自身でカメラを覗き込んで厳密に構図を決め、その構図は計算しつくされたものだったといいます。
例えば、食事の場面で一見無造作に置かれているようにみえる食器類も形を含めてすべてバランスを考えていたし、カラー映画の時代になると、色調にもこだわり、形の面でも色の面でも計算しつくされた映像を作り上げていたといいますから、まさに映画監督というよりも伝統工芸の職人に近いかもしれません。
日本画家の東山魁夷氏は、小津監督の『秋日和』を「構図の端正、厳格な点と美しい色の世界にひかれる」と語っています。

秋日和 小津_-_Google_Search

偏執的とも思える完璧主義

さらに、小津が求めた画面の完璧さは小道具や大道具の配置、色調にとどまらず、演じる俳優たちにも求められたといいます。
俳優の位置、動きから視線まですべて小津監督の計算したとおり実行することが求められ、少しでも俳優の動きと小津監督のイメージとズレがあると、際限なくリハーサルが繰り返されたといいます。

たとえば『麦秋』という映画で起用された女優淡島千景さんは、原節子さんと話す場面で小津からNGを出され続け、20数回までは数えたがその後は回数を忘れた、と語っていますし、同様に『秋刀魚の味』で岩下志麻さんはは巻尺を手で回す場面で何度やってもOKが出ず、岩下さんはNGを80回まで数えて後はわからなくなったといいます。

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さらに、小津監督は自分の中でイメージが完成されていただけに、俳優さんが自由に「演技」をすることを好まなかったといいます。
笠智衆さんは『父ありき』の撮影前に小津監督から「ぼくの作品に表情はいらないよ。表情はなしだ。能面で行ってくれ」といわれたと言っています。

次に外国人の「東京物語」評をご紹介してこの記事を終わりにしたいと思います。

外国人評: ジャパン・タイムズの学芸部門の記者イーデン・コーキル氏

つづいて大学でシドニー大学で脚本家・演出家・監督について研究し、現在はジャパンタイムズの学芸部門の記者として活躍するイーデン・コーキル氏の東京物語評です。少し長いですが、ストーリーの概略もつかめるので引用してみます。

小津安二郎監督の「東京物語」がいくつもの海外の映画祭で上映されたのは、ヌーベル・バーグが咲き誇りし1960年代だった。当時の映画愛好家の間では大変評判が高く、いやそれ以上のもので、小津の作品に対して愛情を表明すること自体が、名誉の勲章のようなものだった。
その理由の一つは、小津の作品が、かつて例をみないほどに「スロー」な映画だと考えられていたことだ。当時の作家主義に傾倒する熱狂的なファンの間では、この「遅さ」を楽しむ能力を持ち合わせていること自体が、監督をアーティストとして信望している証とされた。加えて、小津映画の主題とされた「日本人らしさ」は、その当時ヨーロッパやアメリカを席巻し日本ブームを巻き起こした「茶の本」に対する、映画からの完璧な賞賛とみなされた。

(茶の本?気になります。メモメモ)

(中略)「東京物語」は息子や娘を東京に訪ねる老夫婦(笠智衆・東山千栄子が演じている)を描いた作品だ。活気に満ちた戦後の東京で暮らすその子供達が、両親のために割く時間など持ち合わせていないと悟るまで、フィルムは秩序立てて構成されている。
楽しみにしていた東京見物が長男の仕事の都合で中止になった2人は、長男の家の一室で佇む。ここまでは分かりやすい。だが次のカットでは、老夫婦は娘の家でくつろいでいる。どうやら追い出されてしまったようだ。
また、その娘が両親を海に近い湯治場である熱海に行かせてはどうかと弟に持ちかける。次のカットで老夫婦はもう海を見つめているのである。
なんとも軽妙でありながら混乱させられるのだが、これが正に小津の意図するところで、老夫婦が経験しているめまぐるしさに観客も巻き込まれるよう導いているのだ。結果として観ている我々も、騒がしい都会に2人が落ち着ける場所はないことを、どうしようもなく思い知らされる。
最終的に老夫婦を親切心をもって迎え入れたのは、8年前に戦死した2番目の息子の嫁ただ1人だった。
海外では、原節子演じる嫁が示す義理の両親への献身は、「現代的」であり身勝手な実子と比較され、家族を尊重する「伝統的」な日本人を象徴するものと解釈された。この解釈は間違ってはないが少し単純すぎるだろう。
嫁が義父に対し、亡くなったあなたの息子を思い出さない日もあるのだ、と心を打ち明けて泣く場面がある。妙にぎこちない、未亡人の行き場を失った愛情が義父に向けられたかという瞬間である。
ここで小津がこの役柄を伝統的で高潔な人間としてではなく、むしろ皆と同様に自分勝手、とまではいかないまでも、複雑で結局のところ利己的なキャラクターと見ているのが分かる。
未亡人の「親切心」の根底には、たとえそれが記憶の断片でも、あるいは亡き夫の面影を誰かに投影したいという願い、何かを取り戻したいという切望がある。
一概に伝統的でも日本的でもなく、誰もが普遍的に持っている自然な感情だ。小津作品が、自国のみならず海外でも理解され、40年前と同様に今まだ観る者を魅了して止まない本当の理由はここにある。

まとめ: 

イギリスの映画監督・批評家リンゼイ・アンダーソン氏が東京物語について語る内容が、小津監督・東京物語の魅力を簡潔にまとめているので、最後に彼の言葉をご紹介してみたいと思います。

鈴木大拙教授が禅の悟りについて聞かれた時、次のように答えました。「全くいつもの日常的な体験です。ただし、地上から5cm離れて、の体験です。」東京物語は、まさにそういう映画でした。(中略)
この作品をはじめて見た時、私はすぐに、人生を深く理解している人の作品だということがわかりました。家族、両親、そして子ども達の誰もが経験することをです。(中略)
彼の人生に対する偉大な理解とは、誠実に生きることへの理解であり、そこにユーモアはありますが、決して皮肉なものではありません
だからこそ彼は、偉大な映画監督としてその名を残し、彼の作品は廃れることがないのです。


最後に禅と東京物語がつながったのはなぜか爽快でした。

ということで、本日のお話は以上です。

明日は、エンタメの日曜日。普段やらないことをやってみようかな、ということで、有名人オススメのマンガをいくつか読んでみます。 

マーケティングの月曜日
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それでは今日もよい一日を。

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