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『妹たちへの贈り物』より

2022年8月14日(日)🌕16.4🌤4:59-18:33
24:立秋  72:寒蝉鳴(ひぐらしなく)

 うちのあたりでひぐらしは鳴かないが、今朝ツクツクホーシが鳴いた。ウイヨース。台風が来た昨日は打ち付ける雨の音を猫たちと聞いていた。好きな時間だ。

 上半身の状態が最悪だ。マッサージに行ったばかりなのに、1時間かけてヨガをしたばかりなのに、首肩背中がバリバリで、脳天からこわばりが指の先まで到達している感じ。特に、指の動かしにくさや、肘から下のだるさ、動かしにくさに悩まされている。

 一番危惧しなければいけないのはリウマチで、治らなければ近いうち病院でみてもらおうとおもっているが、スマホ腱鞘炎的なもの、夏バテや冷房による自律神経系の不調、更年期、四十肩五十肩の延長などが妥当なところだろうなと思うと、何科に行く気にもならない。

 デジタルデトックスの進捗としては、SNSのTLは以前ほど追わなくなった。が、実はちょっとしたゲームにはまってしまい、そのせいでスマホを見る時間は激減はしていない。物語性があって、歴史の勉強になったりもするゲームなので、SNSのTLを追うよりはいいかなと思っている。

 私はゲームもほとんどしないし、アニメや漫画にも疎いので、下手をすると「オタクを見下しているおしゃれ文化系気取り」だと思わがちなタイプだ。が、実は、ゲームや漫画の類には夢中になりすぎるため、自覚的にも無自覚的にも自ら遠ざけてきたのだと思う。幼い頃(80年代)から6歳上の兄がPCやPCのゲームをいじっており(プレイするほうも、プログラミングも)、それを嬉々として真似していた私は完全に「そちら」の素質を持っている。

 思春期になり、おしゃれと音楽に目覚めると、極力インプットするものは音楽と本と映画だけにしようと意識するようになった。当時出はじめた言葉でいえば「自分磨き」。そうして内面を磨く(その実態はなんとか馬鹿にされない程度の知識を得る)ことで、将来のかっこいい人脈や仕事につながっていくのではないかと思っていた。そのために無駄なものを取り入れる時間はなかった。本当はディズニーもジブリも好きなのだが、楽しみに耽ってはいけないと思っていた。

 もちろんテレビなぞ観てはいけない。私はフリッパーズ・ギターに出会った中学2年頃からテレビっ子の夫と結婚に至るまで、一部の音楽番組などを除いて、基本、テレビを観なかった。よって、私たちの世代ど真ん中と言われるドラマをまったく知らない。ロンバケも、やまとなでしこも観たことがない。東京ラブストーリーがギリだ(深津絵里主演の『彼女たちの時代』のみ、当時の上司の薦めで観ていた)。

 そんな20歳前後の頃、光野桃さんの著書『妹たちへの贈り物』を読んでいたら、”「自分を磨く」の落とし穴”というエッセイに出会った。「もっと自分を磨かなきゃ!」と追い立てられるように毎朝飛び起きて、前衛映画をハシゴして難しい本を買い漁ったという彼女自身の話に、ああ、私はよくいるタイプなのね、と痛いところをつかれた気持ちになった。その文章はこうづづられる。「結局、人は自分一人でどんなにもがいても変わることはできないのではないだろうか。人は人によってしか磨かれないのだ」

 人に出会いたいなあ。今年も姉から、母方のお墓の写真が来た。私は遠くで手を合わせるしかできない。

 あと、せめて漫画はもっと読んでおけばよかった。

 

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