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St.GIGAという放送局があった

今年の夏至は新月と重なり、加えて日食もあり、とてもパワフルで、私の意識は空高く衛星くらいの場所へのぼっていた。気がつけば私は、youtubeで「St.GIGA」と検索していた。

セントギガ。今どれくらいの人が記憶にあるだろうか。1991年3月31日、wowowの開局とともに始まった衛星ラジオ放送。wowowの余った2帯域を使った音声放送で、テレビをつけて真っ暗な画面で音を聴く。
当時の日本で、衛星放送というものは始まったばかりの特別なものだった。

テレビは居間にしかなかったから、私は中学3年生で部活を引退すると、母がパートから帰ってくるまでの時間を、St.GIGAを聴きながら制服のまま茶の間で惚けたように過ごしていた。何かに魅入られている自覚はあったが誰にも言えなかった。

「I'm here. I'm glad you are there. We are St. Giga. こちらはセント・ギガです」

「今、礼文島が、日没を迎えました」
ザザーン、ザザーンと波の音。宇宙のような音楽が衛星から届く。

放送はTime Tableならぬ、「Tide Table」にしたがって、24時間という区切りのない時の流れのなかで、潮の満ち引きに合わせて高揚や沈静のうねりを繰り返す。

大人になってから紐解くと、開局の背景にはバブルの残り香があった。
J-WAVE開局に携わった故・横井宏氏を迎え入れ、余った帯域でおしゃれな放送局を作ろう、とwowowが企画したところ、横井氏はこの「Tide Table」に基づいた放送の、分厚い、浮世離れした企画書を持ってきたそうだ(企画書はのちに『夢の潮流』というタイトルで書籍化する)。
彼が企画しているのだから間違いないだろうと、そのまま企画書は通ってしまった。かくして、これほどまでに前衛的(という言葉が正しいかわからないけれど)な放送局が誕生した。

今でいう、アンビエントやヒーリングミュージックの合間を、波の音や自然音が縫い、音は途切れることはない。最低限の、宇宙船から発せられた信号のようなナレーションだけが「届く」。
選曲を終日テイ・トウワが担当したこともあったそうで、音楽ファンにとっても意義のある放送だったはずだ(私にはよくわかっていなかったが)。
また、潮が満ちる時には高揚感あふれるテクノ、トランスミュージックが流れることも多く、のちに「チルアウト」という概念を知った時、クラブへ行った経験よりもむしろ、St.GIGAの記憶で答え合わせをしたような気がする。

開局から数か月間はwowowとともにノンスクランブル放送だったから聴くことができたが、安価とはいえ有料放送だった。wowowにスクランブルがかかった瞬間を私はよく覚えている。St.GIGAも一部の時間帯をのぞいて聴けなくなってしまった。
たまにノンスクランブル放送になった時にチャンネルを合わせてみても、その頃にはもう、はっきりとしたタイムテーブルが存在し、おしゃれなFMや有線とさほど差のない放送になっていた。
CMもなければ曲紹介もない、開局当初の先鋭的な放送で儲かるはずがなかった。その後放送終了するまでの経緯はwikiなどを参照してほしい。

とはいえ長い間、開局当初の「真・音の潮流」プログラムを追い求める人が、ごくわずかに、かなりの熱量でもって存在していた。St.GIGA過激派。

「癒される放送だったよね」と思い出す人はそれなりにいるかもしれないが、Youtubeに数えきれないほど落っこちている、波の音や自然音とは、はっきりと違う感覚があった。
それは、「私たちの些末な生活からはるか遠く、今も地球の、宇宙のどこかで、違う尺度の時間が流れている」ということを、積極的に知りに行くような放送だったからだ。オンデマンドではない。その瞬間だけの法則で宇宙から降り注いだ音なのだから。
星野道夫が言うところの、ホッキョクグマが冬眠から目覚めて穴から出る瞬間や、北の海でザトウクジラが飛び上がっている世界が同時に存在するのだと意識する、ということに似ている。
それは確実にどこかから意思を持って「届いて」いた。まるで初めてe-mailが届いた時のような感覚をもって。
深淵を覗き込むようで、14歳の私には恐ろしくもあった。

今、Youtubeに残されたSt.GIGAの音源を聴くと、私の脳裏にうかぶのはどんよりとした日本海だ。
この放送局に魅入られていた中学生の頃、アラスカや礼文島に思いを馳せなくとも、自転車圏内に誰も寄り付かぬ荒れた日本海があったのだ。
当時から、「普通に学校行ってテレビを見ている自分の生活のそばに、人間の力が及ばない異界がある」という、すぐそばに別の時間軸が存在しているような感覚を持っていたのだと思う。
もし私が中学時代を海のそばの辺境で過ごしていなければ、ここまで心惹かれることはなかっただろう。

2020年、今また、このような放送局は現れないだろうか。
誰もが発信できる現在、DJや、音楽・音源制作に長けた人がチャンネルを持ってくれないかなと思う。
もしくは、Tide Tableに近い、自然の法則に従った宿だとかカフェだとか空間だとかが、生まれないだろうか。
そこへ行き、耳をすませば、別の時間軸を積極的に意識できるような。

できることは何もなさそうけれど何かないだろうか、と、2020年夏至のころ、St.GIGA思春期派の私は思う。

※余談1
社会人になってすぐ、オーディオ雑誌の仕事に関わった時、まったく意図せずに、St.GIGAの自然音をフィールドレコーディングした人物の一人と出会うことができた。20年前のオーディオメーカーにはそんな人材や貴重な音源を抱える余裕がまだあった。彼は「この人はSt.GIGAの話がわかるのか! 話が早い」と、『夢の潮流』をポンと貸してくれた(忙しくて難しくて読みきれなかった。絶版だが今とてもほしい)。
※余談2
wowow開局当初、高野寛&深津絵里がMCを務める「woo ミュージックサテライト」という音楽番組があり、熱心に観ていた。1995年放送開始の「土曜ソリトンSide-B」より4年も前のことだ。今も語り継がれる「Side-B」だが、なぜか「woo」に関してはあまり語る人がいない。かなりSide-Bに近いことを先にやっていた記憶がある。
高野氏は当時から「衛星から音楽を届ける」ということにとても心動かされていたようで、『衛星から愛をこめて』という曲も生まれている。wowowのおまけだったSt.GIGAだけれど、私は両者に連動した世界観を感じている。


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