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【12〜14日目】 カウンセリングを受けたらいきなりラクになった話/祈る役割

2024年3月8日(金)〜3月10日(日)
24:啓蟄 72:蟄虫啓戸(ちっちゅうこをひらく)〜桃始笑(ももはじめてわらう)

暦とはうらはらの、寒い寒い日々。
今年は寒いらしい。

健保組合と提携している機関が石川県に一か所だけあったので、カウンセリングへ行く。
金沢駅近くのマンションの一室ながら、まるで実家のような空間。出迎えてくれたのは白髪のおばあちゃん先生で少々心配だったが、じっと話に聴き入ったのち、シャーマンの如くしっくりする言葉が天から次々と降ってきた。

なんと、1週間以上ものあいだ胸にドシーンと居座っていた苦しさが、最初の20分くらいでスコンと取れてしまった。

占いでもヒーリングでもないし、何が起きたのか自分でもわからない。ただただ、温かい人だった。

「その波にのっていく」「熟成を待つ」「のびやか」という言葉をメモする。

外へ出ると、鼓門を正面に、青空がぽこっとのぞいていた。

屋上ではなく通路のような非常階段のようなところだった

最寄りのバス停から自宅マンションを見上げ、ふと、あれ、もしかしてこの建物、屋上があるのでは? と気づく。エレベーターで最上階へ向かう。

それはそれは素晴らしい景色だった。卯辰山、医王山、白山、獅子吼高原(たぶん)と山々が一望でき、実家方面を見下ろせばなんと日本海が見えるじゃないか。
天気が良ければ立山連峰、夏には花火も見えるだろうか。

よく見ると遠くに日本海が光って見えた

土曜。父が引越しのダンボールを回収しに来てくれる。
81歳の父、3階と車をダンボール山盛り持って何度も往復。汗をかいたという。
元気だ。元気は元気なのだが、運転にはいくらか不安を感じた。
クルマに引越し1回分のダンボールをほとんど積み、少し離れたスーパー前の回収ボックスに捨てることができた。

東京では、週に一度(二度のこともあった)、資源回収の曜日にダンボールや雑紙が出せるのが当たり前だった。
全国どこでもそうだと思っていたら、なんと、金沢ではマンションのゴミ置き場で古紙を回収してくれる曜日が「ない」のだそうだ。これはこちらへ来て一番驚いたことかもしれない。
じゃあどうしているかというと、スーパーなどの回収ボックスに出すか(そのような場所は多くはない)、市に何か所かあるゴミステーションのようなところに出すか、町会によっては出せるような仕組みを作っているケースもあるらしい。
ちなみに、私の住むエリアにも月に一度、近くの神社で回収するシステムがあるらしいが、利用する人が少ないのか、なんと町会長もよく知らないありさまだった。

これには憤りを感じる。だって、クルマにダンボールを積んで運べないお年寄りはどうしたらいいんだ。なぜクルマで運ぶ前提なんだ。これほど毎日ネット通販でいろんなものが届き、そのおかげでネットが少し使えるお年寄りなら便利な日常になったというのに、その梱包が捨てられないだなんて。もちろん私のような都会から来てクルマがない人間だってどうするんだ。金沢は人口増やす気があるのか。
そんで、何のための町費だよ。
(燃えるゴミとして出すことは可能だが、有料の袋に入れなければならない)

ともあれ、北側のダンボールでいっぱいだった部屋がようやく空いた。

カウンセリングの参考になるかと思って借りた。
筆者がトラウマ治療で受けた「EMDR」、私は効かなかったんだけどね。

昼間はまあまあ元気だけれど、夕方以降はずどんと寂しくなる。となりの明かりは眩しい。
私は本当にこんなおままごとみたいな、砂上の楼閣暮らしを何年もやるんだろうか。信じられない。

日曜は、姉と姪が部屋に来てくれた。
聞いていた以上に壮絶な子育てが、自分とそっくりな顔と声により話される。そしてそれは、子の特性ゆえ、一生続く可能性が高い。
こんな人に、「ぜひ瞑想してみて」なんて言えるだろうか。
「自分をいたわる気も起こらない」と淡々と話す人のために、私みたいな人間は、ただ、祈る役なのだろうか。

さて、こんなふうに人が次々くるのも、最初だけなのだろうか。
やはりこの部屋は実家へバスでのアクセスが悪く、私のほうからはおいそれと行く気になれない。

仮でレースのカーテンだけがついている。寒い。はやく届け

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