自分がどうゆう人間であるか

意味はないけれど。自分がどう言った人間であるかとか他人に興味があるくらいには自分に興味があるのに考えてみた。

まずどう言った価値観で構成されているのか一番何を大事にしているのか。

第一には仕事が好きな人間であるという事。

仕事が好きな理由は、仕事は無駄じゃないと思っているから。

仕事を頑張ることが自分の成長につながると思っているから。

ならばなぜ成長したいのか。多分積み上げているイメージだと思う。何が出来上がるのか分かっていないが、上に上に行きたいと思っている。

なぜ上に行きたいのか、これはどちらかというと根本的に負けず嫌いであるところが起因している。

他人にも自分にも負けたくない。特に他人の幸せや成功はいつも素直には喜んでいない。一応記載するが、自分が認めている人の幸せや成功はただただ嬉しいし祝うことも一部例外としてある。自分が認めているか、その分野で勝ちたいと思っていない人の成功は祝福できる。例えば結婚などである。結婚自体は特におめでとー。くらいにしか思っていないが祝う気持ちはある。と思う。

だが例えば自分の仕事。特に数字で負けていると上司であろうが誰であろうが、腹が立つ。絶対に勝ちたいと思う。

なぜ勝ちたいのか。これはどちらかというと負けたくない根性である。勝ちたいよりは負けたくない。刺激を与えられるより与えられる人間になりたいし、また多少の刺激は自分の行動を起こさせる起爆剤にもなり得る。

ではなぜ負けたくないのか。負けると失う気がするからである。

自分の今までやってきた自信とか、プライドとかそういった類いのものを。

自分の自信やプライドを守るために負けたくない人間なのか。俺は。と考えると確かにその一面もあるがそれだけではまだしっくりこない。

何がしっくりこないのか。今までの流れをまとめてみると、俺は

①負けず嫌い

②自尊心が高い

③向上心が強い

ということであるが、1から3までを自分の仕事でよく感じる。

では、もう少し視点を変えてみる。

外見はどうか、美容は好きである。それこそ最近では美容に気を遣う男用のスキンケアグッズもあるくらいで男性も美容に気を使うことが普通になりつつある。ここに関しては、今いる自分の周りよりは少し強いくらいの美容感覚である。

ただ実際にはそれは、美しく見られたいとかイケメンに見られたいためにやっているのではなく、他人に清潔感のある自分(社会人として最低限の嗜み)程度に捉えている。なので、得意先に会うときや何となく時間がある時以外は髭を伸ばし髪もセットしない。ただ体毛も最近では処理しているので、他の男性よりは気を使っているが、それは身嗜み程度の認識であるということ。具体的に何を行っているかというと、

①筋トレ、有酸素運動

②食事管理

③スキンケア

④ヘアケア(前髪が薄くなってきた為)

⑤爪切りや髭、体毛処理

⑥出来るだけボロボロの服は捨てて新しく買い換える清潔な服を着る

⑦部屋の整理整頓、掃除洗濯、自炊、アイロン、断捨離

⑧歯のケア

⑨耳掃除、アイケア

⑩病気の予防に帰宅時の手洗いうがい、外出時のマスク

11匂いに敏感なので、部屋の換気とルームフレグランスなどの使用

12定期的な部屋の模様替え

以上が自分が美容と呼ばれることに関して意識している点である

これだけの事を意識していると土日もあまりゆったりしている時間はない。この様なtodoは常に見直し、減らせるところは減らして行く必要があると考えているし、実際に独身であるからできる事で、これが家庭を持つとなると難しい話になるので、どれを残して行くのかはその時々で考えて、続けれることは続けて行くべきである。あくまでも生活習慣を見直して他人に不快感を与えない清潔な身なりを目標に、出来るだけお金をかけずにやれることはやって行くと言ったスタンスである。

こう言った事を踏まえると美意識は少しは高く設定している様に思える。

だが、だからと言って異性との交流などはほぼない。異性がいるわけでもないのに美意識が少しは高く保とうとしているのだから、本当に美容自体は好きなのだと思う。モテたいからとか、そう言った願望はない。どちらかというとチャンスを物にしたいが為に自分を磨いている。これは異性との交際もそうだが、ビジネスシーンでのチャンス、そのほかにも対人関係ではチャンスが眠っている可能性がある。その可能性を身嗜みの不手際で逃してしまったり、生活習慣の自堕落で逃したくないのが本音だ。

これも最終的には負けず嫌いに起因する。自分磨きは本当に自分との戦いだ。磨いて光り輝かせておきたい自分を。それは誰にも負けたくないからである。負けたくないから、成長しようとして光っていければ良いと思う。だが常にどう言った過程を踏むのかは考えなければならない。それは、常に考え常に変えていかなければならない。自分を信じて、素直に行動を変えたりすることができるのは大切だと思っている。

そしてこの負けじ魂は最終的に経営者になりいろいろな会社の経営をやっていこうとしている身としてはとても大事なことだと思っている。

経営者が敗北することはそこにいる社員全員を露頭に迷わせることになってしまうからである。最終的に経営者として、チームを作りそこで成功しその会社を売って、利益を出してさらに事業を広げてはまた会社を仕組み化し、売ってなどを繰り返して資産を増やし、その資産を家族に残せるのものは残し、親を楽させたり、家庭に不自由ない生活をさせて、海外に遊びに行かせたり、新しい社会貢献ができる人間に育てたり、教育や医療などこれからの世界を牽引して行く発展途上国の為に純粋な気持ちで、働いている人たちに寄付したり、お金を使える幅を広げて、もっと具体的な手段で祈るだけでなくいろいろな人を救える様になりたい。そのための分かりやすいツールがお金である。お金があれば家族も、貧困の国も、その為に頑張っている人も救える。

そして、俺は最終的には死ぬ。

これは変えられないし、どんな人間もそうだ。不老不死は魅力的な言葉ではあるが、死際に不老不死になりますか?と聞かれても、断るより他にはない。他人の死を送るのは辛いし、俺にとって生きる意味はどれだけ多くの人を救えたかだけだから。それを人生の寿命というゴールで括っているから、必死になって頑張るのに、ゴールが先延ばしになって、究極星が最後を迎えても生き続けるのは辛いだろう。耐えられないだろう。そして死ねないのは死ぬことよりも辛いことだろう。

ここまででまとめて見ると

俺は、負けず嫌いで、自尊心が高く、向上心も高い。美意識は人並みにあり、将来は経営者として成功を収めたいという願望がある。人を救いたいという気持ちも持っており、家族や自分の手の届かない人をお金の力を使って支援し、一人でも多くを救いたいと思っている。

そういう男である。最後の方は自分でも偽善色が強いなと思う。他人がこんな事を書いていたら偽善者だと思うが、実際に今の自分でも募金をして救える命があるのだからそれを広げてもっと多くの人を救いたいと思っている。ただそれだけだ。概念とか宗教的な祈りとかじゃなくて具体的に燃え尽きようとしている、もっと生きれたはずの他人の命を救えるのはそう言ったことではなく、手段としてはお金が一番手っ取り早いと思っている。

だが別にお金に執着しているつもりはない。最短距離がお金を集めることで、経営者として成功したいのはより多くのお金を集める手段が今は経営者であり投資家であるからだ。良い会社を作って、そして売る。それを繰り返し、より多くのお金を集めて、社会に貢献し、一人でも多くの人を救いたい。

こうやって整理をすると自分のことが少しは分かった気もする。

毎日何かしら自分の新しい一面を発見したりしてここにまとめて行くのも面白いかもしれない。


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