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この11日間、何をしていたか

この前noteを書いたのは4月6日。
11日も経っている。
仕事も延期が多かったので、言われずとも自然自粛をしていた。
ならば時間はたっぷりありそうなもの。
ではなぜnoteを書けなかったのか。
「忙しかった」(これ、一番言ってはいけない言い訳)
仕事も延期が多いのになぜ忙しかったのか。

「とにかく、やりたいことをやっていたから」

こんなまとまった時間を自分で確保するのはなかなか難しい。
こんな機会はそうない。
なので、無心になってやっていた。
そう、忙しかった、というよりは、「夢中になっていた」が正解かな。
夢中になると時間が経つのを忘れる。
その他のことがどうでも良くなる。
こういう感覚、あ〜、忘れてたかも、って思った。
自粛することで自分を取り戻したようにも感じる。
もしかしたらファスティングもこういう感覚と似てるんじゃなかろうか(やったことないので定かではないが)。

ではそれほど夢中になって何をやっていたか。
「ものづくり」
実際小道具であったり、形ある”モノ”も作ったが、作品作りに没頭したり、
作品作りをするために必要な知識を学んだり、そういうことに時間を費やしていた。そしてそれは現在進行形。

自粛したことで、得たものはなんですか?
と、聞かれたら、「心の豊かさ」と即答できる。
経済的にゆとりがないと疲弊するし、心にゆとりを持つことは難しい。
だから仕事がないことで、これから本当の試練がやってくる。
でも、悲観的にならないのは、時間のゆとりが心のゆとりを生む、ということに気がついたから。いや、思い出したから。
ゆとりを生み出すものは、何も経済ばかりではない。
むしろ、経済によってゆとりが奪われることすらある。
この自粛生活で、うちでは喧嘩がない。
イライラしている人もいない。
とても穏やかで楽しく暮らしている。
就活中の娘と、先行き不透明な親。不安はたくさんあるのに、いたって穏やかである。
働き方に留まらず、暮らし方、生き方、必要なもの、すべてにおいて、
『豊かである』ということがどういうことなのか、それを肌で感じることができる時間だった。

そう思えることが、次に進む力を生み出す。
そう信じて、これからの前途多難を乗り越えていきたい!と強く思った11日間だった。









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