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ロンドンからの便り:8.バスは難しい!?

中学時代からの友だち(女性)と電話で話していたら、「〇〇くん、友だち、ほとんどいないでしょう」と言われました。そうなんです、自分から話しかけることはほとんどないし、友だちを積極的に作る努力をしたこともありません。
それなりに親しくなった人は皆、相手から話しかけられた人でした。それは、同僚の先生方や学生さんもそうでした。

妻がなくなってからまもなく49日になるのですが、50を過ぎたゼミOBが定年の慰労会を開いてくれた時を除けば、直接の会話というかおしゃべりは皆無です。電話も数人と話しただけです。

(だからこそ息子もそうですが、電話で長話をした友だちも、鬱の再発を心配していました。)

こんな性格ですので、国内であれ海外であれ、旅先で他人に道を聞いたり、尋ねたりということができません。聞けばいいのに、自分勝手に適当な見当をつけて歩き廻るので、よく道に迷います。

今回は、道に迷った話ではないのですが、とにかく私がしでかしたお話です。

はじめに

大学院の修士論文のテーマに選び、そして、何本か論文を書いた、ピューリタン革命期の共和主義者、ジェームズ・ハリントンが幼年時代を過ごしたミルトン・マルサーという村に出かけました。

その時のハプニングというか、要するに私の勘違いによるバスの乗り間違いエピソードが、本日のトピックです。


第8便 8月某日


ジェームズ・ハリントンという、17世紀中葉のピューリタン革命の時に活躍した共和主義思想家がいます。彼の実家と彼の母親が埋葬されている教会がある、ミルトン・マルサーという村に行ってきました。

ミルトン・マルサーという村は、ロンドンから急行で1時間ほどのノーザンプトンという街に行き、そこからバスで20分ほどのところにあるにあります。

ミルトン・マルサーにあるジェームズ・ハリントンの実家跡

実家では4歳から9歳まで過ごしたそうです。革命の最中に実家に戻り、そこで、『オセアナ共和国』(1656年)を執筆したのです。

実家の跡の門扉につけられたプラーク

共和主義者ジェームズ・ハリントン

ジェームズ・ハリントンという人は、それほど有名な人でもないので、知っているおられる人はそう多くはないと思います。私自身も指導教授から修士論文のテーマとして勧められるまで知りませんでした。

ジェームズ・ハリントンという人は、17世紀のいわゆるピューリタン革命の時代に活躍した在野の思想家です。革命政府のクロムウェルによって、国王チャールズ一世が処刑されるまでは国王の臣下として国王の話し相手だった人物です。

1656年、『オセアナ共和国』という架空の国の物語、いわゆるユートピア思想の系譜に入るのだと思うのですが、理想国家について書きました。

その第一部で、イギリスの歴史変動について考察しています。封建的大土地所有制が解体し、自由土地保有者という中産階層が国家の主要な部分になってきている以上は、大土地所有制に基礎をおく王政の崩壊し、共和政になるのは歴史的必然であるとし、当時の革命を正当化したのです。

1660年の王政復古後は、このような過激な思想ゆえに国家反逆罪で捕らえられロンドン塔に幽閉されます。

バスの発着所

午前9時にロンドンの自宅を出て、ユーストンの駅から午前10時20分発の急行に乗りました。ノーザンプトンの駅には11時10分過ぎには到着しました。

駅からは歩いてシティ・センターを抜け、そして、バス・ターミナルまで何とか着きましたが、何と30分もかかっていました。11時40分過ぎにようやく到着したのです。

目的の村のミルトン・マルサー行きのバスは、89番のバスだということは、彼女が事前に調べてくれていました。
バス・ターミナルで89のバスの時刻表をもらい、係の人に89番のバスのバス乗り場(BAY)を聞きました。

バスは、20番(BAY20)乗り場から

ミルトン・マルサー方面行きのバスは、時刻表によれば1時間に1本しか出ていず、出発時間までは数分しかありませんでした。係の人から20番乗り場(BAY20)から出ているということを聞き、駆け足で行きました。

20番のバスの乗り場にバスが停まっていました。それで、迷いなく乗り込みました。滑り込みセーフです。

時刻表によれば、目的地までは15分で到着するということでした。12時前後の到着だなと思って乗っていました。ギリシアの地方都市のバスや長距離バスと同じように、車内アナウンスもなければ電光掲示板もないのです。

乗り間違い, wrong bus

予定の時間のバス停に近づいてきたので降りることにして、バスの運転手さんに「ここがミルトン・サマーですか」と尋ねました。そうしたら、「違う」と言われて愕然としました。不自由な英語でやり取りするうちに分かったのは、バスの乗り間違いをしているということでした。
89番のバスは、20番乗り場からと教えてもらい、なおかつ出発時間が迫っていたので、バスの番数を確認しないままに乗り込んだのが、失敗の原因です。

「あなたたちは間違ったバスに乗ってきた。このバスは、89番のバスではない。反対側のバス停からもう一度バス・ターミナルまで戻りなさい」というのが、バスの運転手さんのアドバイスでした。

シティ・センターに戻るバス停は、通りの反対側にありました。幸いにも数分も待たずにバスが来ました。

再び尋ねる、「81番のバス乗り場は?」

無事に、ノーザンプトンのバス・ターミナルまで戻ってきました。今度はミスらないようにと思い、また、係の人に尋ねました。
そうしたら、今度は、「19番(BAY19)乗り場だ」と教えてもらいました。

時間はまだたっぷり有ったので、今度はゆっくりと歩いていき、そして、冷静にゲートの上にある行き先表示の看板を確認しました。

89番のバスの発着所は、最初に教えてもらった20番乗り場でもなく、そして、数分前に教えてもらった19番乗り場でもなく、正しくは、なんと18番乗り場(BAY18)だったのです。

バス乗り場(BAY)の掲示版:89番のバス、18番乗り場

もちろん最初に20番乗り場と教えてくれた人が不親切な訳でもありません。だいたいの乗り場を教えてくれたのです。そこでひと手間を惜しまなければ、ミスらなかったのです。
教えてもらった乗り場(BAY20)にちょうどバスが停まっていたので、行き先とバスの番号を確認市内まま慌ただしく乗り込んだ私が問題なのです。

とにかく、ガイドさんがいない、自分たちで調べ調べしながら行く旅行はこういうことばかりです。

羹に懲りて膾を吹く

ハプニングはまだ続きます。
ようやく無事に目的のバスに乗ることができました。
最初の失敗に懲りたので、バス・ターミナルでもらった89番の時刻表を一生懸命に見ていました。

もらった89番のバスの時刻表によれば、巨大スーパーのテスコの次が目的地であるミルトン・マルサーの村で、テスコから5分と書いてあります。

テスコは、市内からバスで10分のところにありました。町外れの巨大な敷地を占め、24時間営業でした。駐車場も大きく、バスは、国道からテスコの敷地内まで入っていくのです。間違いようがないですよね。

89番の時刻表をにらめっこしていた私は、「よし、テスコを出たから次は目的地まで5分だ」と安心し、テスコを出てすぐに「stopping」の押し鈴を押しました。
テスコからかっきり5分で次の停留所に着きました。もちろん、車内アナウンスもなければ、電光掲示板もありません。そういう意味ではすごく不親切です。しかし、バスの時刻表とにらめっこしていた私は何の迷いもなく、バスから降りました。

無人の地のバス停に降り立つ

しかし、彼女がなかなか降りてきません。どうしたのかなぁと思っていたら、慌てて降りてきました。

降り立った場所は、国道と一般道との三叉路で、周りには何もない野原と牧場が広がっているところでした。バス停の名前も、降りる予定のバス停とはまったく違っていました。

愕然としました。

バスから降りたら
たまに車が通るだけで人はまったく歩いていません

バス停の標識には、Towcester Road とあります。

バス停の標識

時刻表が貼ってあったので確認したら、目的の村のバス停は、次の次のバス停であり、ここからさらに6分かかることになっていました。

バス・ターミナルでもらった時刻表では、15分で目的の村に着くことになっていたのですが、バス停の時刻表では、21分かかることになっているのです。紙に印刷して旅行者に無料配布される時刻表が間違っていたのです。勘弁して〜と思いました。

もちろんあつものに懲りてなますを吹いた私が、すべて悪いのです。

最初の勘違いによる乗り間違いをカバーすべく、今度は絶対にミスはしないぞとばかりに肩に力をいれてずっと紙の時刻表とにらめっこをし、それを信じて自信満々に降りてしまった私が、バカなのです。

この旅を企画していた彼女に何の相談もなく、もちろん周りの景色の確認せず、さらに最悪なのは、今度は運転手さんに確認もしないで自信満々にバスを降りてしまった私が悪いのです。

夫唱婦随

彼女がこの旅行の企画立案者です。
村の地図もバス停の場所も頭に入っていたので、「こんな辺鄙へんぴな、誰もいない場所が目的の村であるはずがない」と思っていたら、私が「運転手さんに尋ねるでもなく、私に相談するでもなくとっとと先に降りたので唖然としていた」と言っていました。

つまり、一瞬、何が起きたのか分からなかったのだそうです。それでバスから降りてくるのが遅かったのです。

しかし、夫がバスから降りた以上は、「ここはしょうがない、夫唱婦随だ」と自分に言い聞かせて降りてきたということでした。

炎天下の道をトボトボと1時間歩いて

人家は見渡したところ一軒もなく、歩いている人は誰一人いません。
国道の脇の側道を、炎天下、トボトボと1時間以上も歩いて村に向かった次第です。

※先に掲載している写真には、遠くに人家が写っています。それは、降り立った停留所付近の写真がなかったので、1時間近く歩いて、ミルトン・マルサーの村の近くについてから撮影したためです。
でも何となく雰囲気は分かってもらえるかなと思って掲載しました。

途中で見かけた立派な建物は、葬儀場でした

最後に

私は、筆不精であり、出不精です。出かけなければならない時には、目的地だけに行き、直帰します。国内旅行も海外旅行も彼女が企画し、彼女の案内で出かけるという感じでした。

まぁ、こういうアクシデントが起きるのは、私の早とちりでの勘違いによるものでした。

メールの文章を転記しながら思い出したのは、この時も彼女は、まったく苛立ってもいず、怒ってもいなかったということです。多分、呆れてはいたと思います。アホな旦那の判断ミスで、1時間も炎天下を歩くことを余儀なくされた訳ですから。しかし、愚痴を言うこともなく、嫌味を言うことも非難したりすることもなく、ミスを楽しもうとしていました。

旅先ではいろんなハプニングがありましたが、それでも彼女との旅が楽しかったのは、彼女の感情が常に安定していたからなんだなぁと改めて思った次第です。

本日も最後まで付き合っていただき有難うございました。


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