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身辺雑記:蟷螂の斧とは

「介護生活:蟷螂とうろうおの1」を、先日、投稿した。

ガンという大敵に対してほぼ絶望的な状況にありながらも、一縷いちるの望みをもって戦い続けている彼女の姿勢、ファイティングポーズを崩さない彼女の姿勢を示すための言葉として選択した。

ということで、本日の身辺雑記は、この蟷螂の斧についてである。

なぜ蟷螂の斧?

初めてこの言葉を目にしたのは、多分、かわぐちちかいじの『沈黙の艦隊』というマンガだと思う。そういうおぼろげな記憶がある。ゼミの学生さんが読んでいた雑誌を借りて読んだので、どの巻のタイトルに付けられていたのか定かでない。

今、ネットで検索をかけてみたが、よく分からなかった。

いずれにしてもその時は、この漢字を読めなかったし、意味も分からなかった。

その後、アテナイに攻めてきたペルシア帝国との最初の戦い、マラトンの戦い(第一次ペルシア戦争)を象徴する言葉として、この言葉、蟷螂とうろうおのを使った。バルカン半島から現在のパキスタン周辺までを支配下においた古代ペルシア帝国を相手に立ち向かったアテナイの姿は、まさに蟷螂の斧というにふさわしいと思ったからである。

ペルシア戦争までのアテナイは、ギリシアという小国の、その中のたくさんのポリスの中の一ポリスにすぎなかった。奴隷、婦女子までいれた総人口は20万程度、戦闘員となる市民の数はせいぜい4万人から5万人ぐらいである。

現在のロシアに対するクリミアのようなものだが、状況はもっとひどい。クリミアは、人口20万ということはなく、戦闘員となる市民の数が5万に満ちないということもない。

それだけに、超大国ペルシア帝国に歯向かう都市国家アテナイの戦いは、客観的に見たら、どう見てもまず絶対に勝ち目のない戦いである。

それが、オリンピックの最終日をかざるマラソンの起源となった故事を持つ、マラトンの戦いであった。

蟷螂の斧の意味

『故事ことわざ辞典』によれば、次のようである。

「蟷螂」とはカマキリのことで、相手がどんなに強くてもカマキリが斧に似た前足をあげて立ち向かう様から生まれた言葉。
つまり、蟷螂の斧とは、力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえ。

『故事ことわざ辞典』

蟷螂の斧とは、「力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえ」である。

つまり、相手が強大であること、そして、自分が歯向かうにはあまりにも強大であることは十分に自覚していながらも、なお戦いを挑むというのが私の印象である。よって、私自身、この蟷螂の斧という言葉には、否定的なイメージはなかった。

しかし、世間的にはどうも違うようである。

ブログ「フィリピン大好き、はみ出し不良老人の時事言いたい放題。気に障ったらゴメン!」によれば、「己の力量も知らず、大敵に向かう身の程知らずをいう言葉」であるようだ。

確かに身の程知らずではある。

蟷螂の斧の原典

上記のブログの作者と『故事ことわざ辞典』を参考に、原典について触れてみたい。

斉の荘公出でて猟す。一虫あり、足を上げて将に其の輪をうたんとす。其の後に問いて曰く、此れ何の虫ぞや、と。此れ所謂蟷螂なる者なり、其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず、と。荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らん、と。車を廻して之を避く。

『韓詩外伝』

下記の現代語訳は、『故事ことわざ辞典』とブログ「フィリピン大好き、はみ出し不良老人の時事言いたい放題。気に障ったらゴメン!」に書かれていた現代語訳とを合成したものである。

 斉の荘公が狩りに行ったときにカマキリが前足を振り上げて車輪を打とうとした。
 荘公が「これは何の虫だ」と問うと、
「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量を顧みず相手に立ち向かっていきます」と答えた。
 荘公は「もしこの虫が人間なら天下の勇士だろう」と言うと、わざわざ馬車を後戻りさせ、カマキリを避けた。

『故事ことわざ辞典』「蟷螂の斧 - 良く、こんなところで暮らしてるな・・・」

上記のブログ主によれば、これに続けて、次のように書いてあるそうだ。

これを聞いた天下の勇士たちが、ゾクゾクと荘公のもとに馳せ参じるようになった。

「蟷螂の斧 - 良く、こんなところで暮らしてるな・・・」

最後に

「なぜ蟷螂の斧?」というツッコミが入る前に、「介護生活:蟷螂の斧1」のタイトルの由来について少しだけ書こうと思った。

一応学者の端くれとして、ついつい語源的なものが気になる。それで調べ調べしながら書いていたら、思ったよりも時間がかかり、長くなってしまった。

最後までおつきあいいただき感謝します。

ありがとうございました。


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