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【本のはなし】怪談話よりもゾッとする。すぐそこにいる“誰か”の意外な秘密――『古本奇譚』(出久根達郎)

うわさ話というのは、楽しいものである。

「うわさ話も悪口も一切言わない」的な素晴らしい人にたま~に会ったりするが、私は絶対にそんな人格者にはなれない。だからなろうとしてないが、「せめて人を傷つけずに生きていきたいなあ」と思うぐらいの低めのモラルで生きている。

目標レベルが低すぎですね。すいません( ;∀;)

うわさ話にもいろいろあって、中でも「意外な一面」についてのうわさが1番面白い。というか、意外な話じゃなければ、うわさ話は全然面白くない。

どう見たって強面のお隣さんが、「昔はまあまあ不良としてならしていた」と聞いても、全然意外じゃないので「そっか」と思うだけだ。

しかし、地味だけど人当たりが良くて、近所の人に好かれている花屋に勤める可愛らしいバイトちゃんが、実はヤクザの親分だった!となると、あまりに意外で「ぎゃ~~」っと思わず叫ぶだろうし、「地味」→「親分」までの行間を何とか埋めたくてあれこれ聞きたくなるというものだ。

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作家・出久根達郎さんのデビュー作であるエッセイ中『古本奇譚』(1985年刊)は愛読書の1つ。数年に1度、読み返している。

↑出久根達郎氏。

出久根さんは長年小さな古本屋さんを営んでおり (現在は閉店) 、営業用?に手書きの古書目録「書宴」を編んでいた。この本に収められた作品のほとんどの初出は「書宴」である。

出久根さんのデビューのきっかけは知らない。しかし「書宴」を手に取っていた本好き・古本好き・古本業者の人たちが、いつしか本来の主役である目録よりも出久根さんのエッセイのページから読むようになったのでは? そんなことを想像する、独特の文体が味わい深い作品集(全17作)である。

1作品を除いて短い作品だが、どれもこれも「これって、ホントの話なの?」と首を傾げる話ばかりだ。偶然が生んだ摩訶不思議な話から、背筋がすぅ~っと寒くなるようなちょっと怖い話まで、全部どこか奇怪なのである。

どの作品も好きなのだが、特に好きな作品が2つある。

■『お詫びのしるし』 (『書宴』昭和60年3月号、5月号、7月号に掲載)

出久根さんが番頭をしていた店の常連だったSさんは、店の外に並べられた「10円均一」の本を全部根こそぎ購入していく奇妙な客だった。出久根さんが独立した高円寺の店にも偶然立ち寄り、来るたびに均一本を“全部”買っていく。

物凄く大量の本を、選ばず全部買っていくこの客の“秘密”を、後に出久根さんが知ることになる、という話だ。

大量の本を買えば、部屋の中はすぐに本でいっぱいになる。それを繰り返したらどうなるか? 

小さなアパートに布団を敷くこともできないぐらいびっちりと本棚が並び、その奥でうずくまるように本を読む“誰か”。そんな図を想像するだけで肝が冷える。文章の合間から、独特の気味悪さがふぅっと漂う作品だ。

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■『番号のむこう』(『書宴』昭和58年4月号 、6月号に掲載)

出久根さんの店に間違い電話が2度掛かってきた。出久根さんとは無関係の名前「XXさんですか?」と同じことを言う。どこかで聞き覚えがある声だ。やっとのことで思い出したその声の主は、2年前に亡くなった、古本雑誌を集めてくるクズ屋さんだ。しかし亡くなっているのだから、本人のわけがない。

…とはじまる話だが、このクズ屋さんと付き合ううちに、出久根さんはクズ屋さんの“ものすごく意外な一面”を少しずつ発見するようになる。ドイツ語やロシア語が読めることも分かった。そして最後に、ドカンと1発、考えもつかなかった“意外な一面”を見せてくれるのだ。

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すべて「古本」を通して描かれる人間模様。古本は以前は誰かのもので、それが誰かの手によって売られ、また誰かの手に届く。手に取り読んだ歴代の人たちの想いやぬくもりを、しっかり封じ込めて次の持ち主に移っていく。そんな古書を通して描かれる物語は、良い意味での気味悪さと、計算や理論では語れない人情も醸し出す。

割と近くにいるあの人にもこの人にも、誰にも言えない秘密があり、驚くような意外な過去を背負っているのかもしれない。読んでいると、そんな静かな恐怖感が忍び寄り、下手な怪談話よりゾッとする。

レトロな喫茶店で、深入りコーヒーを飲みながら読むのにぴったりの珠玉の1冊だ。

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