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苛立ったら、自分が苛立つ価値がある?ってちょっと引いてみる

この前、友達と会った時のこと。アラサーになると、「結婚しました」とか「子どもが生まれました」といったライフイベントを友人知人がSNSで公表している。そういったことをメールやLINEなどではなくて、不特定多数が見るSNSで公表することについて友人が持論を展開していた。

いわく、「結婚しました」は自分自身のことだからまだいい。
でも、「子どもが生まれました」の方は不快になるとのこと。

何故不快になるのかというと、子どもとはいえ自分とは違う個人の名前や写真を不特定多数が見るSNSにアップする行為が、子どもを所有物みたいに扱っているように感じるからだという。他にも色々、言っていた気もするけれど、ちょっと覚えていない。

聞きながらそういう考えもあるな、とは思ったけれど、私はそこではなくて彼女の“嫌い・不快”という感情の熱量が凄いな、という方に意識がいってしまった。

コンプレックスを刺激される話題は人それぞれある。でも、苛立つ価値あるかな?とちょっと引いてみるのが大事だと思う。

そして、苛立つ価値無いって思ったら、その発信者と距離をおいたり、SNSを見ないようにしたり、「終わり!」って言葉にして考えるのを止める方向に行くのがいいと思う。

そして私は別の話題でですが、SNSで気持ちがざわつくので、ちょっとTwitterは控えようとしています。


ざわつく気持ちをバネに出来ないのであれば、その場に置かれたものに自分から近づいていって、無駄に傷つくことはないのだ。


と、自分に言い聞かせている。

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