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心療内科で悩みごとについて尋ねられると、本当は悩んでるくせに「大丈夫です」と謎の返答しかできないという話


突然ですが、心療内科に4年ほど通っています。

もともと人生や世界のことについて抽象的に悩みすぎでしょ自分、となんとなーく感じたりしたんですが、最近は社会に出るたびに病んで心療内科に通っています。自分の好きなこととか得意なことならいいかもしれない…と思って行動もしたけど、割と何をしても病んでいる状態。全体的にだいたい病んでいると言ってもいいでしょう。

自分の中でメンタルが死にかけな時には兆候があります。これだけは言える。二階堂奥歯→哲学という読書をまじでしがち。




金銭状況がかなりひもじいため、お金持ちになったら解決しそうと思ったりもしますが、労働する必要がなくなったらなくなったらで、性格的に目に見えた成果を出してない自分に病みそう。別にお金を気にする必要がなかった(親が援助してくれた)時から、具合は良くなかったので、お金は確かに精神に安定を与えてくれますが、それでもなおどうにもならない感じがします。

ちなみに、現在退職後ですが一応仕事はやっています。ただ在宅仕事のお金はすずめの涙ほどなので、あまりコスパはよくないです。ここ最近目に見えた短期成果が、スマブラくらいでしか存在していないのが悲しい現実。在宅仕事(ライティング)にまだ慣れていないからか、異様に時間がかかってしまい時給としては結構散々です。その点スマブラはすごい。まじで3分以内に勝負終わるし、勝てるので。スマブラはめちゃくちゃ楽しいのでオススメ。



話が逸れました。

なので、というかなんというか。

自分でも処理しきれない感情を生まれながらにして永遠に抱いてしまってるために、数年前からは抗うつ剤とかのお世話になりがちです。結果、心療内科通院あるある『貰った薬を勝手に調べるクセ』がついてしまい、まじでメンタル系の薬についてむやみやたらに詳しくなってしまいました。しかも普通に薬学には特に触れてこなかった人生なので、完全なる素人知識。中途半端な知識だけあることが、逆に怖い。

当たり前ですが心療内科の先生はお医者さんだし、心の病気を扱っているため、身体症状以外も聞かないといけないのでしょう。ある程度通い慣れると診断の後ろの方で、毎回こんな質問をされます。

「今現在悩みごとはありますか?」

これが本当によくわからなくて、何と答えればいいかわからない。まじで困ってしまう。
困って、本当は悩んでることなんて沢山あるのに「大丈夫です」とか何が大丈夫か全くわからない返答をしてしまうという負のスパイラルが発生。気がついたときにはおそい。普通に地獄です。

しかも終わってるのが、心療内科に通ってる時はだいたい常にやばい時なので、どうせどのみち死にかけならわかりやすい悩みを持っていたらいいのに…と最悪の「隣の芝生は青い」現象を抱いてしまいがち。まじで人として最悪。当たり前ですけど人には人の地獄があるので、悩みに大小はないと思ってるし、表面的にわかりやすそうでも当人にとってはわかりやすい問題などないです。どんなことでも辛いときはまじで辛いし。

これは非常に言い方が悪いので、ちょっと言葉を変えます。『わかりやすい悩み』というと私の中で言葉としてのアウトプットがしやすいことです。

たとえば、仮に自分が「労働環境」が悩みだったとします。言っておきますけど、労働環境が悩みはめちゃくちゃ辛いのを、私は身をもって知っています。
けれども悩みごとの回答自体は比較的楽ですよね。楽と言うと変かもしれないですけど、少なくとも文章化することはたやすい。

「コロナの影響か知らないけど、最近サービス残業が異様に長くて、休日も出勤することもあって、と言っても賃金はあんまり上がるわけでもなく、自分の仕事の能率もどんどん地獄みたいに終わってくから辛い。元からできない仕事がさらにできなくなるし」

といえば、だいたいの人にはその悩みの辛さと大変さがなんとなく伝わると思います。ちなみにこれは過労でメンタルブレイクした時の私自身の発言です。これだと医者の方も休みを取らせるとか比較的対処法やアドバイスを行い易かったぽいし、まあその深層心理や葛藤を理解しているかはさておき対処はしやすいだろうな…と思います。

ただこちらは常に死んでいる人間です。夜中のツイッターのタイムラインはだいたい希死念慮で溢れてる。そういう電脳世界に長年浸りながら、SNSと本に溺れてきました。やたら哲学とかに救いを求める人間が休職や退職などの具体的な改善生活をしたらよくなるのかというとそうではない。休職や退職をしたことで過労問題自体は解決しますが、死にかけは治りません。死にかけが死にかけをよぶ地獄のスパイラルなので。過労の時は家の荒れがマジでやばかったので、友達に助けてもらって、日常のQOLを上げてもらったりもしたんですが、生存意思が盛り上がるのがまじで数時間程度なので、環境をよくするだけではどうやらだめっぽい。ただ行動できるようになったのは、友人が一か月ほど親身に家の世話をしてくれたからだろうなとは思っているので、それは本当にありがたかった。



このツイートは、定期的に気持ちが終わりがちという、良い例です。

いい機会だしと思って夜中一通り色々考えてもみたのですが、気持ちが死んでるのは、安定した職を無くしたから悩みがち、というのではないっぽい。

なんというかなぜかずっと生きるのが辛くて、プラスアルファで労働環境の過酷さがあったため、急に限界値を超えてきただけなんですよね。

ちなみに生まれた環境はかなり良かったと思います。

家族には愛されて生きてきたし、離れて暮らす今もなんなら母とは毎日連絡は取っています。なんでも買ってもらえたし、いわゆる高水準の教育を受けてきました。

あと私はアスペルガーと診断されているので、アスペが原因か?と思ったこともありますが、コミュニケーションで悩む以前にそもそもコミュニケーションが取れてないことがよくわかってないヤバいやつなので、それが理由でもないっぽい。自分でも不思議なんですが謎の生きづらさに長年死にかけている。根本的な意識の変化ができればなんとかなる気もするんですが、四半世紀生きてきて意識が変わった試しは一度もない。最近はなんかこういう性格だったんだな…と思うことにして無理やり納得しています。

ここでタイトルの話になります。

というわけで、お医者さんに悩みごとについて聞かれても、

「あっ、あっ なんか 生きづらくて…」

みたいな、そりゃ皆生きづらいよ心療内科なんだから…みたいな回答しかできないし、これ悩みだけど漠然としすぎてない?と思ってまじで言えないです。もし悩みというのが心理的なものではなく詳細な病状を尋ねられているとすれば、マジで何もないのにだいたいストレス性の胃炎とストレス性のニキビとストレス性の頭痛とストレス性の吐き気と首と肩のコリに長年苦しんでいるのが私です。何もないのに生きてるだけで死にかけている自分が普通に恐ろしくなる。なんなんですかこれ?



『生きてるだけで、愛。』という映画がありますが(原作も読みました。好きです)、こちらは『生きてるだけで、肩凝り』。自分で自分がやっぱり怖いです。

皆さんに相談。

結局のところこういうのって、どう答えるのがベストなんでしょうか。多分これ心療内科に長年通院してる人なら、あるあるだと思うんですよね。昨日寝れないことをいいことに夜を徹して考えてみたんですが、親が自責の念にかられそうなセリフしか浮かびませんでした。どうやってこの悩みを言語化するのがベスト中のベストなんでしょうか。

残念ながら自分にはその術がわかりません。こんなにバカみたいな長文を書いていたのに? そう、こんなに長々と文章を連ねていたのに、です。

お盆が明けたら、また木曜日に病院があります。
お医者さんは優しくまた「悩みごとはありませんか?」と言ってくるに違いないです。

なんかこのぼんやりとした不安を言い表せる返答ってありますか。

なんか、締め方が人間失格みたいな感じになってしまいました。べつにヤクにも酒にも溺れたことはないのですが。

今の私には幸福も不幸もありません。ただ一切は過ぎていきます、ですね。


最近夢遊病が悪化して、睡眠中アマゾンで買ったらしい本がたくさん届きます。身に覚えがありませんが、履歴を見ると確かに購入している。破産しそうです。助けてください。