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【ショートショート】恋愛相談


「おつかれ、ライブどうだった?」
先日、かなこから「推しのライブで東京行くから泊めて」と連絡があり、一年ぶりにうちにやってきた。数年前に夫の仕事の都合で地方に引越して以来、用事があって上京する際はよくうちに泊まっていく。
「今回めっちゃ席運良くてさ、サイコーだったよ」まだ興奮冷めやらぬ様子で私の部屋に入ってきた。
「いま簡単なおつまみくらい用意するよ。冷蔵庫の中にビールもあるし、食器棚の上にウイスキーもあるから適当に飲んで待ってて」
かなこは冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出して言った。
「なるほどね、あさみのいまの男は黒ラベルとラフロイグが好きなんだ」
あたり。思わず苦笑いしてしまう。「なんで分かった?」
「だって、あんたは昔からビールはキリン派、それにラフロイグみたいにスモーキーなウイスキーは好みじゃないでしょ」
 図星。「すごい。かなこには色々バレちゃう」
「あさみがわかりやす過ぎなの」ビールを一口飲むと言った。
「まぁ、今日はあんたの話を聞くつもりで来たところもあるからさ」
 
 キッチンカウンターに出来上がったおつまみを並べて、私も自分のビールを冷蔵庫から出し、そのままふたりで話を始めた。
「そもそも、なんで好きな男に色々合わせちゃうかなあ。昔からそうだよね」かなこが笑いながら言う。これは私自身が一番不思議に思っていることだ。好きな人ができるとその人の嗜好をトラッキングする癖がある。吸うたばこ、飲むお酒、着る服のブランド、聴く音楽……無理矢理合わせているという意識はない。本当に彼の好きなものが気に入ってしまうのだ。
 
 以前、かなこを迎えに行った時、私の運転する車に乗り込んで真っ先に言った言葉が「あんた、男かわった?」だった。「なんで?」と聞くと「音楽が違う」と。車でかけている曲がかわったから好きな人もかわったんだと思った、と言われた。
「そりゃあ、ノラ・ジョーンズから浜省に変われば誰だって気づくでしょうが!」たしかに、その時好きだった人は浜田省吾のファンだった。

「普段のあさみは『これがやりたい』ってなったら絶対我を通すタイプなのにね。ほら、留学した時だって……」
 大学時代、短期留学を検討していた頃は世界情勢が不安定で海外へ行くことを両親に大反対された。しかしどうしても行きたかった私はアルバイトで渡航費用を工面し、行きたい学校には自らFAXを送って許可を取り付けホームステイ先の手配も済ませ、パスポートも航空券も用意し、あとは行くだけという段階で両親に伝えてもう反対させない、と強引に留学したのだ。
 
 留学のことだけではない。こどもの頃から何かを「やりたい」という意思はわりとはっきりと持っていたし意思表示もしてきた方だと思う。流行とは別のことや人とは違うことに興味を持ったとしても、特に他人の目はあまり気にならなかった。むしろ人と同じなんてつまらないとすら思っていたので、人に合わせるということ自体、処世術として以外ではあまりやってこなかったように思う。

 我が強い。自分でもそう思う。言葉も思考も、一度自分の身体を通したい方だ。これって本当に私の考え? それは本当に私のやりたいこと? 世間の人がいいって言ってる価値観を本当に私もいいと思っている? そう自分に問いかけるのは私のクセのようなものだ。血肉の通っていない、借り物の言葉で語る人が好きじゃないということもあるのだろう。少なくとも私に同じ傾向があるから近親憎悪のようなもので過剰に気にしているということもあると思う。

 それなのに、こと恋愛に関してはあっさり自分を明け渡す。「私」などなくていいと本気で思ってしまう。相手にハンドルを渡してしまって自分はからっぽになる感覚。「あなた好みの女になりたい」なんて古い歌があったけれど、まさにそれを地で行く感じ、恋の奴隷。
 
「なんか、こんな風になったきっかけの恋愛とかさ、思い当たる節ってないの?」
「それがさ、本当にわからないんだよね」私は次の缶ビールを開けながら言った。
「ただ、好きな人には選ばれない、って思いは強いかも。もう信念みたいになってる。これって何か関係あると思う?」
「でもそれって誰でも大なり小なり思うことじゃない? 振り向いてくれなかったら、まあ、縁がなかったんだなって思うだけでさ」
「それ!」私は人さし指をかなこに向けた。「それ、私が一番できないやつ。好きな人が振り向いてくれなかったら『仕方がないか』、って思って切り替えることがどうしてもできないんだよね」 
 
 私はすぐに他人の領域に「越境」したくなってしまう。私の好きな人が私を好きになる義務はない。どう思うかは相手の領分であり私は侵入すべきではないということは頭ではわかっている。十分すぎるくらいに理解はしている。でもダメなのだ。思い通りにしたい。
 そう、結局私は自分の思い通りにしたいだけなのかもしれない。
「それはあんたの傲慢ってものじゃない? 自分が他人のいいようにコントロールされたらイヤでしょ?」
「うん、それはイヤ」ふたりして声をあげて笑った。
「一歩間違えば私もストーカーになる可能性が高かったのかも。自分でも怖いくらいに執着しちゃう。気持ちを切り替えたいとは思うんだよ。彼の気持ちを尊重しなきゃとも思う。でもそれができなくて苦しくなって立ち止まって、本当に何もできないってなっちゃうんだよね」
「なるほどね」かなこも新しいビールを冷蔵庫から取り出した。
「あさみはさ、」かなこはビールを一口飲んでから続けた。
「努力の人なんだよ、良くも悪くも。あれやりたい、これほしい、ってなったら手に入れるまで頑張りとおせるパワーがあるし、そうやって人生で色んなものを手に入れてきたんだと思う。でもさ、恋愛ほど努力が報われないことってないじゃん」
 
 ハッとしたなんてもんじゃない。雷に打たれたような衝撃だった。確かに恋愛相手は私の想いが強いから振り向いてくれるわけではない。私が尽くした分だけ愛を返してくれるわけじゃない。逆の立場になって考えてみればよくわかる。どんなに素敵な人から想いを寄せられても、理屈ではなく好きになれない人は好きになれない。

「私、相手に合わせすぎて自分をなくしてしまうのって、努力の方向性を間違えてるってことなのかな?」
「うーん、正直それはどうかわからないな。たださ、自分に合わせてくれる中身からっぽの人間といて楽しいか? って話よ。だからさ、あさみはあさみらしく自分の人生をきちんと歩んでいれば、いいんじゃない?」
「わかってるけど、できないから苦労してんだよ」私はチョコレートの包み紙をかなこに投げた。
「もの投げるなよ」しばらくふざけてゴミを投げ合った。
 
 誰かを好きになっても、そして好きな人とうまくいかなくなっても、途端にいままで夢中になっていたものに興味を失うことがある。意欲的に取り組んでいた仕事や勉強、好きでやっていた趣味など、本当にどうでもよくなって熱意がどんどんなくなっていくのが自分でもわかる。好きになった時は相手のことでいっぱいになる、ダメになると私はからっぽになる。恋をしていない時が一番私らしいと言えるのか、もしくは恋してない間は一生懸命ひまつぶしを探しているのか、どっちなんだろう。自分は恋愛体質だと思ったことはないけれど、意外と恋愛体質だったのかも……

「彼氏がいなくても大丈夫だけど、好きな人ができると自分を見失う、という意味ではあさみは立派な恋愛体質だと思うよ」
「うん、私もそんな気がしてきた」
 それにしても、相手に合わせすぎてしまうのってどうしてなんだろう?
「あこがれ……なのかもしれないね。好きというか、こんな人になりたいっていうあこがれもあるんじゃないの?」
「そうだね、それもあると思う。こうなりたい、は確かにある」
「それで、その“ラフロイグ”くんとは何があったのよ」
 
 “ラフロイグ”とは、ちょっと前まで私は彼でいっぱいだったのに今はからっぽになりつつある、というところか。彼はそう遠くない未来に転職をして東京を離れてとある地方に住みたいと言っていた。そこは環境的にも住みやすそうだし、友達も多くいるからとのこと。彼の語る未来地図に私はいない。いや、そもそも彼の日常に私はいない。私が想うほどには彼は私を想ってくれてはいないことに、私は気づいてしまった。
 
 さらに、私が問題だと思っているのは、彼には私がひとまわり年齢が上だと伝えられていないことだ。私が年上だということは当然わかっている。けれど、なんとなくいいそびれたまま関係が始まってしまい、逆に言い出しづらくなってしまった。
「なんで言えないの?」
「だって、もし彼がこどもが欲しいと思っていいたら私はその願いをもう叶えてあげられないし……私の努力ではどうしようもないことで振られるのが怖いんだと思う」
「ほら、また」かなこがドンとピールの缶をテーブルにたたきつけた。
「こどもがほしいかどうかは彼が決めることだし、そもそも彼の本当の希望は聞いていないんでしょ? それに、確かに年齢差は努力で縮まるものじゃないけど、それが振られる原因とは限らないじゃん」
「たしかにそうなんだけど……」
「怖いのはわかるよ」かなこは少しトーンを落として続けた。「でもさ、ちゃんと話してみないとわからないじゃない? あさみの自己開示も必要だと思うよ」

 素直に言いたいことを伝えられたらどんなにいいか。本当は腹を割って話した方がいいとは思う。彼に聞きたいことも確かめたいこともいっぱいある。でもはっきりと彼の思っていることを聞くのが怖い。どんな答えも受けとめられる心構えができていない。好きになればなるほど私は何も言えなくなってしまった。
 
 関係が切れてしまうことが一番避けたいことではある。だからといってまた元の飲み友達に戻りたいかと言われると、それもイヤで。
「じゃぁどうなるのがあんたにとってベストなの?」しばらく考えてから答えた。
「彼も私を好きでいてほしい」
「でも人の心はコントロールできないよ」
「わかってる。そう思うと相思相愛なんてほんと、奇跡だよね」ふたりとも黙ってビールを飲み干した。
 
「はっきりさせる勇気がないなら、しばらくはあいまいなまま関係を続けたら?」
「それもモヤモヤしてつらいんだよね」
「そこは踏ん張れよ!」かなこは笑いながら私の腕をポンポンと叩いていった。
「空っぽな気がして何もやる気が出ないなら、淡々と日常をこなすだけでいいじゃん。朝起きてご飯食べて会社に行って。掃除して洗濯してお風呂に入って。そういう日常を粛々とこなしていくんだよ。動けないっていうなら動くところだけ動かしていれば。そのうちよそにも目が行くよ。推し活だってまたしたくなるかもよ」
「そうだね……推しの舞台もずいぶん観てないな」あれだけ入れあげていた推しの俳優の存在は、思えばずいぶん遠くにかすんでいた。
「どうりで最近あさみの推しの話聞かないと思ったよ。話題のドラマに出てずいぶん売れっ子になってきたっていうのにさ」
「そうそう、いつのまにか活躍してたのよ!」それからひとしきり評判のドラマの話で盛り上がった。
 
「黒ラベル、最後の一本もらうよ」そう言いながらすでにかなこはプシュッとふたを開けていた。
「明日、一番搾り買って補充しとく」と私が言うと、「そうそう、そういうことだよ。わかってきたじゃん」と、かなこは笑った。
 

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