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雑談は無意味だと思っていた

私はかなり長い間、雑談が苦手だった。天気の話とか、美味しいお店の話とか、時事ネタとか、「最近、仕事忙しいの?」とか、そういった当たり障りのない話題はすべて無意味とさえ思っていた。実のある話だけがしたい、という無茶な欲求が強かったからだ。

先日、私と同じく雑談が苦手そうな相手と話す機会があった。顔を合わせてしばらく、お互いに何だかぎこちない。私も相手も緊張しているわけではないが、話題が見つからず沈黙が生まれる感じ。その沈黙は決して不快なものでも、気まずいものでもない。でも何だろうこのエンジンがかかっていない感じ。この人とは、これまで密度の高い議論を交わしてきたはずなのに。

議論という言葉が出てきたところで、ああそうかと腑に落ちる感じがした。話したい話題がないんじゃなくて、語りたいテーマが決まっているから沈黙するんだ。

私とこの人の頭のなかには「このテーマについて、自分は〜だと思う」という意見が、結論が忽然と存在している。「こう感じた」「こう考えた」そんな事実が孤島みたいに浮かんでいる状態。その孤島から、遠くに見える他人の島へ行くための船路がわからないんだと思う。

いきなり事実を話し出すというのは脈絡がなさすぎて、相手を困らせてしまう。それに、誰かと顔を合わせて即座に「これを話そう!」と思いつくことって、なかなかない。顔を見たら「話したいことがあったんだけど……なんだっけ」と忘れてしまうことがほとんどだ。

だから雑談が必要なんだ。雑談は楽しい会話の種みたいなもので、浅い内容でも蒔いておけば後で会話に花が咲く。あんなことがあった、こんなことがあったと話すうちに本当に話したいことを思い出せる。そうそう、私はこれを語りたかったんだと。

こんな感じで、最近は知識として身に付けていただけのものを実際に体験して「知覚する」みたいなことが増えてきた。30歳を目前に今さら、と恥ずかしくなるけどわかることが増えるのは楽しい。雑談が上手くなりたいなと、前向きな気持ちで思う。

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