ゲノム編集食材に関するボヤキ
専門家でもないのに余計なことを言いすぎているせいか、質問やら相談を受けることがある。そういう時はいつも、個人的な意見としてお伝えするようにしている。最近は農業経済関連の著名な先生の情報発信のお手伝いをさせていただいているからか、食料に関する話が多い。ただ後にも書くが、残念ながら私は何かの専門家ではない。一般市民として多くの専門家の方々の意見を参考にしながら自分なりの考えを持っているだけの話で、何かしら相談を持ち掛けられても、最終的には情報源を共有し語り合うことしかできない。唯一専門性があるとすれば情報発信はプロと言えばプロであり、その中には、情報との付き合い方も含まれているということは言えるかもしれない。
ゲノム編集食材についての話題が増えてきたのでそれについてのざっくり意見書、ボヤキレベル。
どんな話題でも同じだけど、この界隈の論争にもそれなりに歴史があるから、推進、反対、両者の主張内容をよく見て最後は自分の頭で判断した方がいい。結果私と違う意見でも良い。遺伝子組み換えとゲノム編集は混同されがちだが同じではないし全く違う話でもない。ゲノム編集の中にも、対植物、対動物では別けて議論しないと雑になる。
表立って耳に入りやすいグローバル企業の思惑やら癒着やらも、日本人の感覚では理解しにくい訴訟社会の実情なども含めてやりあってきたようだし。(こういう部分は文化の違いも考慮して見ないと見誤る)。これらは技術の話というよりはヒューマンエラーの話かと思う。
一方で、当然ながら研究者の間でも長く議論されてきて、それを私なりにできるだけ客観的に追ってきた結果、食品としての安心安全という観点では「どうやらリスクは低そうだ」ってなってきている。そう見るのがフラットかと。
自然至上主義者で思想が偏っている私個人にとっては、否定に値する科学的な裏付けがあった方が都合が良いが、それを言ってもしようがない。
もちろんだからと言って賛成!とはならぬ。
ここからが私の意見。
今の西側社会は、自然界の未知の領域を考慮せず人間様の英知(科学)の方が尊重されるわけだ。おかげさまで事故があっても全て「想定外」、「みんなでやってきたことだ」、ということで終わりだから笑える。いや、笑えない。予防の原則は、成長前提の経済や開発を前提にした持続可能な社会づくりには邪魔なようだ。ただ、いつもそれをお金に変えるのは同じやつらで、犠牲になるのはいつも情報弱者。そろそろお金はもらえなくても想定外の犠牲者が出ないようにしたい。本来そこは黙っていても機能してほしいところだけど、残念ながら今の政府には基本的な信用がない。
ちなみに、
今話題の某回転すしチェーンは、ゲノム編集技術開発事業者であるリージョナルフィッシュが実施した第三者割当増資を受け入れている。https://www.ryutsuu.biz/strategy/o090513.html
世界を食料難から救う技術を日本が世界に先駆けて流通できるというのだから、庶民の味方である回転すしチェーンがそこに投資したのだから、もっと話題になればいいのにと思う。表現はものの見方次第でいかようにでも変わる。
ちなみに、
ゲノム編集技術で作られた美肌成分たっぷりのトマト、シシリアンルージュ(ググれば一発)が、障害者施設や小学校に無償提供されることは随分前からわかっている。せっかく技術をお披露目できるのに販売サイトでは技術については積極的には露出していない。まだ私の周辺地域では実例はきいていないが、仮に学校が受け取る場合、先生方は生徒にどう説明するのだろうか。
「世界を救うトマトです。みんなで育てて食べましょう!」?
例えばこんな場合、保護者は拒否できるのか?
反対派の親は、子供に何を説明するんだ?
自分で責任ある判断ができないから、自分の身を自分で守る訓練中だから保護下にあるのだ。表示なしで流通させるのもどうかと思うが、学校や障害者施設にばらまくとは、頭はいいが趣味が悪い。
昨今の諸問題の多くに共通することだけど、問題の根は深く根底ではつながっていると僕は見ている。言い出せばきりがない。一般的な国民が、例えばすべての消費者に関わるゲノム編集食品界隈の問題などについて隣人と教えあい、学びあうことから始めるだけでも、社会はいい方向を向きだすのかもしれない。賛成、反対、中立、誹謗中傷、無関心、情報が氾濫する中で、参考にするにあたいする情報を見分けて、違う主張を照らし合わせて自分の意見に落とし込む。
結果、誰が何に賛成で反対かは、
実はどちらでもいいことではないのか?
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