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意識と量子力学 第5回 意識と存在の本質

最近、「意識と量子力学」マガジンのフォローや、記事へのスキをいただく機会が多くなり、とても励みになっております。この回まで記事を読んでくださり、ありがとうございます。

さて、量子力学になぜ意識が登場したのかその理由を、前回の「第4回 量子論になぜ意識が登場したのか」で簡単にご紹介しました。

そして量子力学の観測問題の議論から、観測主体(意識)と観測対象(物質)の間の線引きが曖昧になり一定のつながりがあるように見えてきたことでした。意識はたいへん広大でその姿を捉えるのは難しいですが、目に見えない「意識」が、目に見える世界にある「物質」と一体どのような関係にあるかを見るのはとても興味深いです。今回、その関係について先人の考察とともに、簡単にご紹介していこうと思います。それによって、意識という広大な世界の中で量子論がどのような位置付けにあるか見えたらと思います。

■ 意識と存在の本質

物質が「存在する」とはどういうことなのでしょうか?

たとえば、机の上にある物を見たり、手で触ったりするとき、そこに物が存在すると認識します。この時、目の知覚や手の触覚によってわかります。もう少し細かく目をやると、机の上にある物で反射した光を受けた目の網膜が神経系を通して脳に信号を送り、物が存在すると認知します。手で物に触ったときも、手の触覚細胞が信号を神経系に送り脳がそれを受信して、物が存在すると認知します。いずれにしても、物が存在すると決定されるのは、脳が認知した時です。

脳が認知するとはどういうことでしょうか。私は脳の認知科学の専門家ではありませんが、脳の認知に意識が大きな役割を果たしていると言っても批判されることはないと思っています。さらに踏み込んで言えば、いま自分が何かものを見ている、あるいは触っていると同定しているその主体が「意識」であり、その一連の流れを認知と呼んでいると考えます。

実際、量子の波動力学を構築したエルヴィン・シュレーディンガーは、彼の著作「精神と物質」[16]の中で次のように述べています。
「意識は、有機的に活動する物のなかで生ずるある種の事象、すなわちある種の神経作用に結びついているのだという理解です。」

それでは、はじめに問いかけた「物質が『存在する』とはどういうことなのか」にもどります。存在は意識となんらかの関係があることは容易に推察できます。実際、私だけでなく、量子力学をつくった物理学者も似たことを考えていました。

先ほど紹介したエルヴィン・シュレーディンガーは、彼の著作「わが世界観」[17]の中で次のように述べています。
「意識とは、世界をわれわれの前に初めて現前させるものである。つまり意識によって初めて世界は存在する、と言ってもよい。」
また、数学者でありながら理論物理学でも顕著な業績を残したドイツのヘルマン・ワイルはその著作「精神と自然」[18]の中で次のようにも述べています。
「世界は独立には存在しません。意識があって初めて存在します。」

このように、意識があって初めて物質の世界の「存在」が成り立つことを異口同音に述べていることは驚きです。端的に言えば、意識こそ存在の本質であるということです。つまり、意識と私たちが見ている物質の世界には密接な関係があって、意識があって初めて物質の世界が「存在する」ことなのだということがよく見えてくるのです。同時に、このような関係は、量子力学の観測問題で議論された考察からもたらされたものであって、意識と物質の関係の輪郭を浮かび上がらせてくれるものでした。

次回は、この意識という広大な世界について、すこし細かく見ていこうと思います。

■ 参考文献

[16] エルヴィン・シュレーディンガー「精神と物質」工作舎(1987) pp.15-16.
[17] エルヴィン・シュレーディンガー「わが世界観」ちくま学芸文庫(2002) p.127.
[18]ヘルマン・ワイル「精神と自然」筑摩書房(2014) p.217.

by Jaros


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