理想のお相手を見つけるときに大切なこと
最近、SNSから流れてくるツイートをながめていると「パートナーに対して大きな不満はないけれど週末だけ一緒に過ごせたらいいな」という声が耳に入ってきます。家族と過ごす時間と同じくらい自分一人の時間も大切にしたいと。「わたしはいまは独身だけど、週末婚が理想」という価値観もちらほらお見かけします。
そうした人たちがどういうきっかけでいまのパートナーと知り合ったのか(はたまた今後知り合うのか)、二人の相性などは知る由もありませんが、私(筆者)自身もその人たちの気持ちはよく理解できます。お互い結婚してその後は家族の一員として、大小それなりのストレスを抱えながら共同生活を送っているわけだから。何かしら目のまえで起きていることをいったん飲み込んでそれをやり過ごすのか、気に入らない出来事(ほとんどが些細なことだけど)だから相手に伝えるのか、そんな日常の連続が結婚というものだし、たまには家族と距離を置いて自分だけの時間を過ごしたくなるのも無理はありません。
結婚生活とは関係ありませんが、一つ例を挙げたいと思います。私が勤めている会社(設備メンテナンス関係)では請負った仕事の報告書を各人で作成するのが日常なのですが、ときにその中身だけでなく書式自体も作ったりするのですね。とある50代男性の同僚が作成した報告書(Excel)はそのレイアウトはもちろん、フォントの大きさはバラバラだし罫線は直線や点線は入り混じってるし、ゴシック体のなかに明朝体もちらほら見えるし統一感も美しさも(ごめんなさい)何もあったものでもない。
その出来上がった報告書をまえに、これは客先にはちょっと出せないよな、と個人的にはそんなネガティブな感想を持ってしまう。書式だけの問題で大事なのは中身だから客先に出せると言えば出せるんだけど、でも出したくない。そうした感情のせめぎ合いみたいなものが、たとえば家庭における夫婦の関係でも起こりうるというか、似たようなことが実際に起きるわけなんですね。
どっちが正しいとか正しくないということではない、単に自分自身が気に入るか気に入らないかということ。べつに相手が目玉焼きに醤油をかけようが、ソースをかけようが、味の好みのようなことは好き勝手にしてもらっていい。些末なことで言えば、誰もいない部屋の電気を点けたままにするのかとか、朝起きるときに布団はたたむのか日中もそのまま敷いたままなのかとか。より大きなことで言えば、子供をもうけるのかもうけないとか、戸建てを買うのか借家住まいにするかとか、様々な価値観の擦り合わせを二人でおこなった後に、二人で決断していかなくてはなりません。
良きパートナーとして二人でお互い助け合って末永く幸せな結婚生活を営みたいと感じでいらっしゃる大多数の皆さんにとって、やはりそうした価値観の擦り合わせがちゃんとできて、それぞれの性格や育った生活環境や特長を尊重し合える関係をきずける人を見定めていかなくてはなりません。
前回「理想を求めすぎない婚活」という記事を書きました。
私がそこで伝えたかったのは、理想の人なんていない、妥協しなさい、ということではなく、3つくらい譲れないことを確認したらあとはありのままのお相手を受け入れるご自身になってみてはどうでしょうか、というもの。
実際のところ、あなたご自身の理想のお相手を見つけるときに大切なことって、そんな生の日常をきちんと共有できるかだと思うんですね。結婚というのはときどき食べるお寿司や和牛ステーキじゃなく、毎日食べる白米やお味噌汁みたいなものだから。
フィーリングや波長が合う合わないなどの生理的なこと、経済的、条件的なこともみんなひっくるめてたくさんの人と向き合って数をこなして、最良のパートナーを見定められる確かな目を養なわなければならない。つまるところ、トキメキも大切だけど必須じゃないし、「なんか違う」感覚は案外正しいし、なんだかんだ言って結婚相手は思いやりのある人(自分だけを優先させない人)がいい。
それまでの経験とそれまでに養われたことのすべてで"あなた"を信じて決断した、それで最終的に目のまえのお相手が「残念ながら違った」のなら(おつらいでしょうが)「今回のご縁をありがとう」とご自身につぶやいて、そして新しい未来に向き合うしかない。残酷かもしれないけれど、それもまた人生ですね。
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