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人にスペックという言葉を使う優しさのなさ

世のなかで「スペック」という単語が人にたいしても使われるようになったのはいつ頃からなのだろう。

自動車やパソコンなど工業製品の仕様や性能全般に用いられていた言葉が、あるときから年収や学歴などで人間を価値判断できる言葉としても使われるようになった。それはとくに婚活の場で耳にするようになった気がする。

うるおぼえだけど、15年くらい前に私が婚活を始めた頃には聞きなじみのある言い方ではなかった。たぶん。でもその5年後くらいには(つまり、いまから10年前あたりからは)もう誰かが誰かの特長を(または能力を)ちょっと上からの立場で言い表す使い勝手のいい単語としてその優しくない言葉は平然と人間にたいして使われ始めた。

「田中さんはハイスペックだ」といえば、文脈によってはその田中さんは高学歴で経済力もあって、おまけにイケメンだという意味になる。要するに、婚活市場では引く手あまたの存在というわけだ。いっぽうで「わたしはあまりスペックが高くない」といえば、”わたし”の年収はそれほど高くなく、顔立ちは「中の下」以下であると解釈できなくもない。

年収、学歴、顔立ちの良さ等々、そのように項目分けができることが人の特長をスペックとして解釈されるようになったのかもしれない。でも私たちは人間であって製品じゃない。それぞれに個性があって、それらは優劣を判断する指標でもない。

自動車の話をしよう。

日産自動車が製造・販売しているGT-Rは、言わずと知れた国産の"ハイスペック"スポーツカーである。エンジンの出力も最大トルクも発揮される時速も桁外れだ。

いっぽうトヨタ自動車のプリウスは、それらの数値はGT-Rほどハイスペックではないものの、燃費や取り回しの楽さや後部座席の居住性などはGT-Rの比ではない。とくに価格帯でいえばその半分以下になる。

私がふだん利用している理髪店の店主のHさんの話によれば、べつの利用者さんに現行型の GT-Rの所有者がいるとのこと。GT-Rの冬用タイヤを用意するとなると100万円近くの費用がかかるため、冬場はべつに軽自動車を購入してそれを乗っているそうだ。趣味の世界ですね。

私がここで言いたいのは、経済的な部分も含めてどちらを所有することが正しくて、正しくないということではないということ。

作家の村上春樹さんは著書「職業としての小説家」のなかで、学生時代に自分が興味のあるジャンルの本を片っ端から読むこと(→すぐには役に立たないかもしれないけれど自分の血肉になっていること感じること)と学校の教科書を読むこと(→目のまえの試験勉強みたいに機械的に暗記するだけのテクニカルな知識)との違いを、即効性と非即効性の違いとして、大きなやかんと小さなやかんの違いを例にあげて説明しておられます。

小さなやかんはすぐにお湯が沸いて便利だけれど、すぐに冷めてしまう。いっぽう大きなやかんはお湯が沸くまでは時間がかかるけれど、いったん沸いたお湯はなかなか冷めない。

どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があって、上手に使い分けていくことが大事なのだと。素敵な比喩ですね。

婚活の話に戻せば、私も「早く誰かいい人を」と婚活していた当時は、年収がもっと高ければ女性からより注目してもらえるのになとか考えていた。もっと髭が濃くなければとか、眉毛が薄ければとかも。

最終的には、あなたがそのお相手にたいして波長が合うかとか、優しいかとか、気が利くとか、頼りになるとかのほうがずっとずっと結婚には大事なことだと思う。顔立ちが良いに越したことはないし、お金ももちろん大切だけど。

大きなやかんと小さなやかんではなく、大きなやかんか小さなやかんかの違いはあるけれど、それはあなたにとっての個性であって仕様(スペック)ではないのだから。

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