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トップ校合格、からの挫折を体験した私だから、多様な学びを届けたい【math channelメンバーインタビュー Vol.004】

こんにちは、math channelお手伝いライターのほんと申します。
math channelは、代表の横山明日希の他に約40名のスタッフで運営しています。彼ら彼女らは、どんな子ども時代を過ごし、どんな道を歩んでmath channelで活動することになったのでしょうか。

そんなmath channelメンバーの「今まで」と「これから」について、子育て・教育系フリーライターであり、小学生2人を育てる母でもある私、ほんが話を聞いていきながら、math channelの新たな魅力を紐解いていければと思っています。

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4人目に登場してもらうのは、株式会社math channel取締役を務める才津葵さんです。

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才津 葵(さいつ あおい)
<profile>
中央大学法学部政治学科卒業後、ITベンチャー企業にて4年半ほど営業・営業企画に従事、人材コンサル企業を経て現職。現在は株式会社math channel取締役として戦略企画・営業・広報、バックオフィスを担う。
フェリス女学院高校中退後、高卒認定を取得し大学入学した経験を元に、不登校経験者等の学習支援を行う株式会社キズキにて採用・広報領域にも参画するなど、「多様な学びの機会づくりで、多くの人の人生の可能性を広げたい」が個人ミッション。

中学受験で神奈川県トップ校に合格!

株式会社math channelの取締役として、営業や広報、バックオフィスなどを一手に担う才津葵さん。教育という分野に賭ける思いの源流をたどっていくと、幼稚園時代まで遡ることになります。
幼稚園のころから小学校受験のための幼児教室に通っていたそうですが、教育熱心なご家庭だったのでしょうか?
「両親ともに歴史や科学、テクノロジーなどの分野がとても好きだったみたいで、科学館などにはよく連れていってもらっていました。
でも2人とも教育に関して特に思いはなくて、小学校受験なんかは考えていなかったんですが、たまたま入った幼稚園が教育熱の高い家庭の子が多かったみたいで。小学校受験もポピュラーな園で幼児教室に通っている子も多く、教育環境としては恵まれていたと思います」


小学校受験はせず地元の公立小に進んだ葵さんは、小3の11月、中学受験塾の入塾テストを受けたい!と自分から提案したのだそうです。
「塾のテストを受けたいと思ったのは『まだまだ勉強できるな』っていう『勉強欲』みたいなのもありましたが、小学校以外にもコミュニティを作りたいというのが大きかったと思います。
小学校の友だちと仲が悪かったわけじゃないけど、昔から、一つの箱だけに収められるのがすごく嫌いだったんです。」

小3で「学校以外にコミュニティの選択肢がある」と気づいているなんて、ものすごく俯瞰的に状況を見ている小学生ですね!
「確かにそうですね(笑)。
多分、4歳から通っていたバレエ教室にいろんな学校の子がいたし、同じ幼稚園の友だちがいろんな小学校に行っていたから、他にもコミュニティがあるって思えていたのかもしれません。変な子ですよね(笑)」

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塾では優秀な成績を収め、最上位クラスに入ります。
「塾はとにかく楽しかったです。
すごく個性的な教え方をする先生が多くて勉強はワクワクするものになったし、面白い子が多い破天荒なクラスだったから、毎日のように顔を合わせてギャーギャー遊んで。
勉強だけじゃなく、友だちと遊ぶことも含めて塾に通うことが楽しいという感じでした。今思うと、私の小学校時代の『ホーム』は塾のあのクラスでしたね」


最上位クラスで友人たちと切磋琢磨しながら勉強に励み、中学受験に臨んだ葵さんは、見事第一志望であった神奈川県トップクラスの女子中学校に合格します。

志望校はどうやって決めたのでしょうか?
「塾に通いながら算数は家庭教師もつけてもらっていたんですが、家庭教師の先生の母校だった、というのが最初に憧れを抱いたきっかけです」
ロールモデルとなる人が身近にいたんですね。
「それに、志望校を決めるために文化祭に遊びにいったとき、化学部の先輩たちが白衣を着て実験のプレゼンテーションしているのがものすごくかっこよくて! 私もこの学校で化学部に入りたい!と思ったんです」
幼い頃からご両親と科学館によく行っていた影響もあったのでしょうか?
「それはありましたね。
あと、もともとチャレンジするのが好きだったから、入れる学校に入るのではなく上の偏差値の学校に入るためにがんばって挑戦したい、というのもありました」


全力で挑戦して、志望校に見事に合格。ご両親も喜ばれたのではないでしょうか?
「はい、めちゃくちゃ喜んでましたね。
両親ともに地方出身で潤沢な教育環境やベースがあるわけじゃなかったのに、娘が神奈川で一番と言われるような学校に合格したから。
たまたま会った幼児教室の先生にも『ほんとにすごいね!』って褒められたらしく、舞い上がっちゃったみたいです」

神奈川県最難関女子中学校に見事合格した葵さんですが、ここから少しずつ、嚙み合わせのズレが起き始めます。

クラスでのヒエラルキーにカルチャーギャップ。そして突然始まったいじめ……

「入学して化学部に入り、満たされる感じはありました。
その反面、すごく重いカバンを肩にかけて制服を着て、学校まで片道1時間、満員電車で座れもしなくて。
そういう大変さが毎日のしかかってきました」

近所の小学校に通っていた生活からいきなりの電車通学。その変化は心と体にずっしりとのしかかってきそうです。
「それに、ものすごく頭の良い子、かわいい子、運動できる子、コミュ力高い子とか……クラスの中に見えないヒエラルキーがあるように感じて、自分はそのどれでもない、っていう意識がずっとあって」
葵さんも小学生の頃は塾で最上位クラスでしたが、中学ではどうだったのでしょうか……?
「自分より上はいっぱいいました。
それこそ、塾の全国公開模試でずっと上位に名前が載っていた子もちらほらいるんですよ。小学校では1、2番の成績だったけど、自分は決して最優秀ではないという気持ちがずっとありました」


さらに、名門校ならではのギャップもあったそうです。
「家庭の文化環境も全然違ったんです。頭が良いだけではなく、幼少期から良い文化環境に触れて育って来た子が多い。
中学生ながら、カルチャーショックを受けることもありました」

慣れない電車通学にクラスでのヒエラルキー、そしてカルチャーギャップ。中学生の葵さんの心と体をむしばんでいきました。

「それでも、中1のクラスは楽しかったんですが、中2になってクラス替えがあって、仲良かった子と誰も同じクラスになれなかったんです。
そこからまた新しいコミュニティを作っていくほどのアグレッシブさを持てなくて……」

新しいコミュニティを一から作っていくのは、大変な労力を要します。そこに見えないヒエラルキーを感じてしまったら、なおのこと。
「自分は勉強ができる方でもないし、運動はめちゃくちゃ苦手だし、可愛いいわけでもないし。とにかくヒエラルキーの一番下にいるっていう劣等感がすごかったんです」

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それでもなんとかこれまでのつながりを活かし、仲の良い友だちを作って過ごしていた葵さんでしたが……。
「ある日突然、グループにいたうちの一人に、完全に無視されるようになったんです。急に、『明日からあなたとはもう口聞かないから』って言われて。
その日から本当に話しかけても何も口聞いてくれなくなっちゃって、その子に引きずられて同じグループの子も誰も話してくれなくなって……かといって他のグループの子たちに話しかける勇気もなく、完全に孤立していました」

それはしんどかったですよね……。「あなたとは口聞かない」って、完全にいじめです。
「私が何かやったのか、それは今もわからないんです。自分にとっては些細なことでも、相手にとってはきっかけとなるようなことがあったのかもしれない。
ただその当時は、とにかくクラス全体が敵という感じがしていました。一番つらいときは、学校の最寄駅から学校までの通学路ですれ違う同じ制服の子達が、私のことを見て笑っているような気がしてしまったり。今思えば、本当はそんなことないはずなんですけど」


周りにいる人がみんな敵に見えてしまうほど、息苦しさを感じていた葵さん。どうすることもできず、耐えるしかありませんでした。
「それでも学校に通ってたんですがやっぱり結構しんどくなって、中2の最後の方は通わない日が増えてきて。
先生たちが心配して、中3はすごく仲の良い友だちが多いクラスにしてくれたんです。でもなかもう疲れちゃって……。通わなくなったんです。パタッと。月に1回、保健室登校、みたいな」

不登校になり、親子で葛藤。その時葵さんを支えてくれたものは……

トップ校に合格してあんなに喜ばれた親御さんも、戸惑ったのではないでしょうか。
「親もすごく焦ったと思います。良いレールに乗ってくれたはずの娘が、いきなり外れてしまって。
行きなさいって髪引っ張られたこともあったし、『好きな洋服を上から下まで全部買ってあげるから学校通ってくれる?』と言われたこともありました。親も、どうしたらいいのか分からず、必死だったんだと思います」


当時は今ほど不登校児についての情報が共有されていなかったこともあり、親御さんもどのように対応するのがいいのか、手探りだったのではないかと想像します。
「最終的には理解ある先生が居る心療内科にも継続的に通うことができましたが、初期の頃はよく分からない漢方を飲まされたり、若干怪しげな精神科の先生のところに入ったりもしましたね(笑)」
親御さんも、必死だったのでしょうね。
「『なんで行けないの』『行きなさい』という期間もあったけど、私が一度決めたら意思を曲げない性格なのは親もよくわかっていたので、これはどうしようもないと思ったのか、そのうちに言わなくなりました。
代わりに、旅行やドライブが好きな両親に連れられて、日帰り旅行や近場のドライブなんかに一緒に行くようになりました」


学校に行けない状態にあるときに「なぜ行けないの」と言われ続けると、家族と顔を合わせるのもツラくなり、部屋に引きこもってしまっていたかもしれません。
ほどよく外に連れ出してくれる関係性があったからこそ、自室に引きこもらず外出する機会につながったのでしょう。

「あとは、犬の存在も大きかったです。
15歳のクリスマスに、『この子がいれば散歩に行く!』とねだって、マルチーズの子犬を迎えることになったんです。
あの子がいてくれたから散歩のために外に出たし、一人っ子特有の密な親子関係を和らげてもくれました」

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苦しい月日を支えてくれた愛犬は、
2021年の春、15歳6ヶ月で旅立った

依然として学校へは月に1回、保健室登校の状態でしたが、中学を卒業し、高校に進学しました。入学式には参加したものの、高校にも通えないまま過ごしていた葵さん。
「学校でクラスに押し込められるのがすごく嫌だ、という気持ちが強くなっていたんです。でも、小説やドラマに出てくるバリキャリ女性に憧れを抱いていました。あんな風にバリバリ仕事する女性になりたいって。
でも私、これからどうしたら、何をしたらいいんだろうと思ってネットで色々と検索していたとき、『高卒認定』というワードに出会ったんです。調べてみると、これだったら高校に行かなくても大学に行けるということがわかって」


高卒認定をとったら、高校に通わなくても大学を目指すことができる。そう思った葵さんは、高校を退学する決心をします。
せっかく入ったトップ校を退学する。それを聞いた親御さんは、どんな反応をされたのでしょうか?
「すんなり『いいよ』と言ってくれました。進む道が見えて親もスッキリしたんじゃないかな。私もテンション上がっていたし。
やっぱり『不登校で終わりたくない』という気持ちがすごく強かったので、ここから逆転する方法って何かないかと思っていたときに、高卒認定という道があると知ったから」

予備校通いで強まる劣等感。高校生の存在が怖い

高1の6月に退学して高卒認定のサポート校に通い始め、11月には高卒認定を取得した葵さん。2年後の大学受験に向けて、ここからまた苦難の道が続きます。
「平日は昼間コンビニでバイトして夕方から予備校に通って、土日は科学館で展示解説のボランティアをしていました。
高卒認定はとれたんですが、中2くらいからほとんど学校行ってなくて、勉強をしていなかったんです。だから受験のために必死で勉強する必要がありました」


この時点で、志望する大学はある程度絞っていたのでしょうか?
「自分自身の興味関心から、政治かビジネスを学ぶことは決めていました。
そして、当時はとにかくランクの高い大学に行きたかった。このままだと何もない”中卒の無職”なんだなと思っていて。職歴もないし。
でもランクの高い大学に行けば『いい大学の女子大生』というステータスになり、大学卒業というステータスを得たら憧れのバリキャリ女性になる道もある。一発逆転するにはいい大学に行くしかないと思っていました」

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「中学受験のときにうまくいったプライドもあったし、『不登校になってもこんな大学に行けるんだね』って思わせたかったというのもありました。
自分が選んだ高校中退という人生の道を、他の人から見ても”正しかった”と胸を張って言える状況にしたかった」


そんな思いで必死に通った予備校生活も、楽なものではありませんでした。
「年齢的には高校生なので、予備校の現役生クラスに通ってたんです。
地元の予備校だったんですが、みんな普通に高校に通っているからこんな経歴の人は私しかいなくて、私一人だけ異質で。
コミュニケーション能力が一番谷底にあった時代だし、自分への劣等感もあって、学校に通ってる子たちが怖く感じていました」


それでも何とか大学受験を乗り切り、名門私立大学に合格しました。無事に大学受験が終わったときは、ホッとしたのではないでしょうか?
「本当にホッとしました。
13歳から18歳までの5年間、本当に先が見えないしんどい時期を過ごしてきたから、大学が決まってようやく先が見える感覚になったのを今でも覚えています」

どん底を味わった葵さんが自分を諦めなかった理由

大学では政治学を学び、卒業後、メガベンチャー企業に就職。目標であった「バリキャリ女子」の道を歩み始めます。

そして現在は株式会社math channelの取締役として、算数を楽しく学ぶ機会を広げる活動を行っています。葵さんの活動の原動力は、どこにあるのでしょうか。
「自分の10代の経験から、日本は学びの選択肢がとても少ないと感じていました。
みんな中学に行って高校に行って、教室で学ぶ。中退など、それ以外の選択をした人は社会的に認められない『見えない存在』とされてしまい、人生があまりにもハードモードになる」

かつての葵さんがそうだったように?
「はい、そうなんです。それっておかしくないかな?というのが原点です。
だから、新しい学びや多様な学びを提供したいし、学校外の学びが自分の居場所になる、そんな場を作りたいと思っています。
そして、学ぶ機会が画一的になりがちな今の社会を少しずつ変えていきたい、という目標があります」

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志を共に活動するmath channelのメンバーたち

自分自身の経験から、大きな目標を持ってmath channelで活動する葵さん。不登校になり大きな挫折を味わったと思いますが、それでも目標を持って歩み続けられたのはなぜでしょうか?
「今思うと……多分、私自身が学びに対する意欲や知的好奇心を持ち続けられたからではないでしょうか。学ぶことは面白い、ということがいつも根底にあったから、勉強という手段でまた戻ってこれたのだと思います」
どんなに『どん底』にいたときでも、自分の可能性を感じられていたということでしょうか?

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「そうですね。振り返ってみて思うと、自分自身を諦めたことは一度もなかったんです。それは多分、小学生までに両親と一緒に行った科学館でいろんなことを見て学んで感じたりしたことや、楽しかった中学受験の経験から、『もっと知りたい』『もっと学びたい』という欲求をいつも持っていたんだと思います。
勉強って面白いとか、知識を得ることで世界が広がるということを、体験を通して身につけることができていたんじゃないか、って」

知的好奇心がある限り、自分の可能性はなくならない。
それこそが葵さんを支え続けた原動力だったのです。

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「自分が幼い頃に科学館や塾で感じたあのワクワクが知的好奇心につながったから、私もそれをmath channelで子どもたちに届けることができたら、と思っています。
もっと知りたい、もっとやりたいという欲求を高められるような環境を、math channelで実現していきたいです」

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2021年4月にJT北九州とmath channelで
共同開催した「SDGs×算数イベント」にて

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人生のゴール、人生の目標をどこに設定するか。
それは生きているといつもついて回る問題です。
自分自身についてもそうだし、子育てについてもそう。

葵さんのこれまで振り返ってみると、「中学受験」というゴールでは大成功を収めました。
でもその後、大きな挫折を味わいます。
中学受験の成功が大きかったからこそ、その挫折はさぞ苦しかったのではないかと想像します。
でも、人生にはまだ続きがある。

どんな人生だって、成功するときもあれば挫折するときだってある。
順風満帆だと思ってたら突然落とし穴が待っていたり。
うまくいっていたのに突然世界の方が変わってしまったり。
それでもまだ、人生は続くのだから、大事なのは挫折しないことや落とし穴に落ちないこと、ではなく、どんな挫折や落とし穴があっても、自分自身を諦めないでいることなのではないかと、葵さんの体験を聞いて考えました。
諦めない、という力。
自分を諦めないでいれば、挫折や落とし穴のその先に、また新しい目標を見つけることができるのだから。

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【math channelメンバーインタビュー】
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