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マタニティリープマガジン vol.14  お母さんになりたい夢を持っていた女性が抱えた葛藤「妊活やコロナ禍出産、2度の海外赴任、家族や上司・同僚の応援で叶えた夢」インタビュー 3回目/全4回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。前回から始まった夏木心菜さんのインタビュー(全4回)の3回目となります。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 夏木心菜さん

〜夏木心菜さんのマタニティリープジャーニー〜(3回目/全4回)

現在、41歳の心菜さんには2人の子供がいる。同じ会社に働く旦那さんとの4人家族。現在旦那さんの2度目の海外駐在に同行し、育休中。そんな心菜さんのマタニティリープの物語です。お母さんや弟さんに支えられ単身で出産を迎え、旦那さんの海外赴任先のアメリカでの育児の話を経て、前回はその夏木さんのそれまでの物語でした。今回はその後のお話をお届けします。

1回目の記事はこちら
2回目の記事はこちら

第3回------------------------------------------

「なりたかったお母さんになったのに」

ーー子育てして、仕事に戻るって大変なことだと思います。そのことで感じたこと、リープしたこと、エピソードはありますか?
 
仕事のことは、それこそ、どうなるんだろうという感覚はあるんですけど、一年先しか見ていないで生きているからこそ、自分のキャリアについて深く悩むとかはないというか、手放しているのかもしれないです。

自分一人で生活している時間も長かったし、結婚してからも変わることなくて。企業で10何年働いて、第一子を出産して、夢のような、なりたかったお母さんになって、、、、。
話が前後しちゃうんですけど、いいですか?

ーーどうぞどうぞ
 
結婚して、夫もすぐ子供が欲しいと言っていたのですが、チャレンジしてもなかなかできず、不妊治療に通うようになりました。最初の子はタイミング療法で幸いにもできて、検査薬で陽性と出たとき、夫が過去に一度も見たことないんじゃないかというほどの感動の顔でめちゃくちゃ喜んでいて、それを覚えていますね。

すごい嬉しかったんですよね、子供ができたこと。
でも、つわりの通勤とかすごく大変で、妊娠してから、世のお母さんを尊敬する気持ちしかないというか、今更知ったなという気持ちだったと思います。

生まれてからもなおさらで、これまで長く大人二人だけで生活していたので、子供がいる生活ってこんなに違うんだって衝撃を受けました。夢のなりたかったお母さんになったのに、私、お母さんに向いてないのかもって落ち込んだり。何だろ、、、キラキラした想像していた世界と違うぞと思って。・・・・なかなかでしたね。

想像していたお母さんと違う、どうしよう

子供が生まれた最初の三ヶ月は、夫もいなくて、実家にいました。母に頼れて良かったんですけど、日中一人で娘と過ごすのが多くて。最初の頃、緊張感とか、命を預かっているっていう責任感から色々わからなくて心配でした。自分も寝不足で体がつらいし。

35才で出産したので、出産した直後に病院で周りの若いお母さんたちが、赤ちゃんに会いたいって助産師さんに言っているのを見て、私全然そんな気持ちにもなれない、休みたい!赤ちゃんに会いたいと思えない、どうしようって思ったりしました。

目の前にいる娘を見た時、本当に自分の赤ちゃんなのかなとか、自分の体から出てきたのに、別の物体感があって、すごく不思議な感覚だったんですよ。

これ私の娘なんだ、、、そうなんだなって、、、新生児室でも自分の子がどの子かわからなくて。「どれ?」と名前を探さないとわからなくて。

生まれたらお母さんになるって想像していたんですけど、全然違うって落ち込んだし、緊張や不安が一緒に。特に最初の一ヶ月はそうだったなって思い出しました。
 

変えるために行動、待つだけじゃない安心感

ーー授乳はどんな感じでした?
母乳をあげたり、ミルクも足したりしました。
おっぱいが上手く出なかったのもすごいストレスで、いくら、おっぱいをあげても赤ちゃんが全然満足しないようで、どうしようと思って。
そのうち出るようになるよと言われても、何か方法はないのかと産後二週間の娘を連れて桶谷式に通い始めたりもしていました。
 
ーー通って良かった?
良かったです。どこまで効果があって出るようになったかはわからないんですけど。そこで話したり、変えるために自分が行動していて、待つだけじゃない安心感があったなって思います。
 
ーー何歳ぐらいまでおっぱいをあげたんですか?

アメリカに引っ越したら、家が日本より広いから、寝る部屋が2階でリビングが1階だったせいで、夜中にミルクを作りに行くのがめんどくさくなって。めんどくさがりの性格のせいで、娘は完全母乳になっていました。
少ししたら離乳食も始まって、母乳をあげていたのは1歳三ヶ月ぐらいまでで、最後の方は入眠の儀式ぐらいになってました。


両親とのつながりを大事に

ーー弟さんやお母さんの手を借りたというお話でしたが、旦那さんの実家との関わりに変化はありましたか?
 
旦那の実家は京都だったので、日本で生活しているときは、ちょっと離れている感じはあったんですが、生まれた直後は会いにきてくれて、一緒に写真を取ったり、抱っこしてくれたりしました。

あとは、私たちがアメリカに行ったので自分の両親も義理の両親にも子供の様子をちゃんと知らせたいなと思っていました。義理の両親にとっては、初孫だったし、唯一の孫というのもあって、アプリを使って、毎日のように子供の写真を載せて見てもらえるようにしました。

それは生まれた時から今も続けています。住む場所が離れているので、繋がっていられることを大事にしたいと思っています。

そうですね、家族感がでてきたというか、義理の両親とより家族になった感じが子供が生まれてからありますね。

<次回最終回4回目に続きます。>


▪️マタニティリープ情報

12月ならではの「ゆくリープくるリープ」開催しました!

マタニティリープでは、妊娠出産後の可能性や選択肢が拡がり、リープ(飛躍)につながるイベントやワークショップを開催しています。

先日「ゆくリープくるリープ」(年末イベント)を開催しました。「ゆく年くる年」にちなんで、今年私たちがリープ(頑張った)したこと、そして来年こんな年になったらいいなと希望や夢を語り合いました。今年の自分をねぎらい、そして来年起きたらいいな、できたらいいなを遠慮なく口にして、実現に繋げてしまおうという濃厚な時間となりました。

参加者の方にはこんなコメントをいただいています。

ゆく年を振り返ると自分を褒めてあげたいことでいっぱいだった。また先輩ママのリープに勇気をもらい、とても参考になった。対話を通じて忘れていたこと(家族ってクリエイティブ!)を思い出した。」

皆さんも、お忙しいと思いますが、この時期、まずは1年のがんばりをねぎらってみませんか?きっと大掃除のパワーが湧いてくるはず。(笑)

今年一年、お疲れ様でした!来週の号で夏木さんのインタビューが終了します。28日という年の瀬ですが、どうぞお楽しみに!

<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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