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【完全攻略】「アンドレイ・タルコフスキー全作品セット」【すべてBlu-ray美品】

世界映画の至宝、旧ソビエトの映画監督 アンドレイ・タルコフスキーが生涯に遺した長篇映画全8作品、全てBlu-rayで集めたものを放出します。

タルコフスキーのBlu-rayBOXに「タルコフスキー傑作選」がありますが、それには「ストーカー」以降の晩年の3作品が入っていません。今回の出品はBOXの不足を補う完全コンプリートになります。すべて私が購入して保管していたものです。

開始金額は1万円スタートのオークションになります。

作品タイトルは以下の通り。

●「ローラーとバイオリン」……全ソヴィエト連邦映画大学で映画を学んだタルコフスキーが卒業制作として作った処女作。ニューヨーク国際学生映画コンクールで1位入選した作品です。常にバイオリンを持ち歩く音楽好きの少年サーシャは町の悪ガキ達にいじめられていましたが、近くでローラー車で作業していた青年セルゲイが彼を助けたことから、2人の交流が始まります。サーシャとセルゲイは映画に行く約束をしますが、サーシャの親が土木作業員と仲良くすることを許さず、サーシャは約束していた映画館に行けませんでした。

その後のタルコフスキー映画の特徴となる水・廃墟・鏡のモチーフが早くも現れています。脚本を共同執筆したのが、やはり後に世界的映画監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーでした。

●「僕の村は戦場だった」……第二次大戦中のロシア。両親と妹をドイツ軍に殺された戦災孤児のイワンがソビエト陸軍の偵察任務に協力します。戦場には、生きるためにスパイ活動をする子供が沢山いました。

恐ろしい戦場の中で時折見せる抒情的白日夢の場面が印象的な映画です。この映画は1962年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲得しましたが、表現手法への批判を行った作家に対して、サルトルが擁護の論陣を張ったことで有名です。

●「アンドレイ・ルブリョフ」……大学時代からの親友アンドレイ・コンチャロフスキーと脚本を共同執筆した2作目。15世紀のモスクワ大公国を舞台に、イコン画家アンドレイ・ルブリョフの苦難の生涯を描いた歴史大作ですが、この映画自体がソビエト当局の度重なる検閲と予算削減により不本意な形で公開され、1971年になってようやくソビエト国内で一般公開されました。1969年には国内公開されてないのにカンヌ映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しています。

旧ソ連のような国家権力が強大な国で芸術家が自己の自由な創作を貫くことは容易なことではなく、タルコフスキーは作品3作目にして「国家の壁」にぶつかった訳です。

共産圏のソビエトで監督になったタルコフスキーは、国家公務員として映画を作っていたので生活も安定していただろうと考える人もいますが、日記などを読むと全然そんなことはなく、国家当局による厳しい検閲がありましたし、観客動員が低かったら生活にも響いたようで、撮影所に通うためのバス代すら無かったこともありました。

●「惑星ソラリス」

……「惑星ソラリス」は、観客動員を考えてポーランドの人気SF作家スタニスワフ・レムを原作に選びました。SFにしたのは、タルコフスキーのテーマであった神秘的・宗教的概念を、オブラートに包んで入れることができたからです。

遠い宇宙にある惑星ソラリスは、表面を謎の物質で構成された海が覆っていて、それは知性を持っていると考えられていました。ソラリスの軌道上には人工衛星が周回し、常駐した科学者がソラリスの海を研究しています。

しかも、ソラリスの海はテレパシーのようなもので人間の脳内のイメージを読み取って、それを実体化するらしいのです。主人公のクリスは状況を調査するためソラリスに向かいますが、着いたその日に死んだ妻ハリーがクリスの前に現れます。

驚くべき事態に困惑するクリス。彼女は、クリスの脳内イメージを元にソラリスが実体化したもので、幽霊みたいなものです。しかし触れると暖かく、抱きしめることもできます。そして実体化したハリーはただクリスを「愛する」という感情しか持たないのです。恐ろしくなったクリスは、ハリーをロケットに閉じ込めて宇宙に発射しますが、部屋に戻ると2人目のハリーが。

ハリー自身も自分が何者なのか分からず苦しみ、液体窒素を飲んで自殺を図りますが、どんなに身体を傷つけても復活してしまいます。困惑したクリスとハリーの、宇宙での生活が始まります。

タルコフスキーは人間の精神世界に関心があり、この後の作品も、人間の孤独と精神世界をテーマにした傑作が続くことになります。

●「鏡」

……タルコフスキー幼少期の思い出を、夢か現実か判然としない形で描いた自伝的傑作。

「鏡」は難解な映画だと言われることが多いのですが、自分の物心付くかつかないかの時期を思い出してみると、夢の光景とほとんど区別がつかないのではないでしょうか。

この映画で重要な存在なのが「母」のイメージですが、母が部屋の金盥で髪を洗う場面の、異様にスローモーな、時間が引き延ばされたような感覚の場面。母が家の境界の柵に座ってこちらを振り向くと、背後の草原に一陣の風が吹き渡る場面。森の中の自分の家が火事になるのを呆然と見つめる場面。

特に、私も3歳頃、近所の雑木林が火事になるのを見た記憶があり、記憶の中の火事と「鏡」の火事の場面がオーバーラップして仕方がありませんでした。そういう、子供の頃の記憶を呼び覚まして映画を作るとどういう画面になるのかを考えた時、「鏡」は驚くべきリアリズムの傑作だと思えてきます。

●「ストーカー」

……表現の自由がないソヴィエトで映画を作るため、タルコフスキーはSFに活路を見出します。SFであれば、タルコフスキーの宗教的なイメージや社会についての考え方をオブラートに包むことが出来たからです。

こうして1972年に「惑星ソラリス」を、1979年に「ストーカー」を発表しました。後者はロシアのSF作家ストルガツキー兄弟の原作で、脚本も共同執筆しています。

作品タイトルでもあるストーカーは、現在流通している誰かに付きまとう変質者の意味ではなく、「徘徊する者」「密猟者」という意味です。ストルガツキー兄弟の原作のタイトルは「路傍のピクニック」でした。

舞台は架空の某国。「隕石が墜落した」と言われるある一帯が長い間軍によって封鎖され、「ゾーン」と呼ばれる禁断の地域になっていました。

しかし「ゾーン」の中のある場所に入ると望みが何でも叶うと噂が立ち、入ろうとする人間が後を絶ちません。主人公のストーカーは、ゾーンの危険を熟知しており、願いの叶う場所に人々を案内する仕事をしています。

ゾーンの危険は、ストーカー自身にも説明ができない不可解なもので、歩けるルートが時々刻々と変化し、間違った道を歩くとその者は生命を失うのです。

ストーカーは科学者と作家と名乗る2人の男を連れてゾーンを案内することになります。軍の監視をかい潜り、ゾーンに侵入すると、それまでモノクロだった画面がカラーになります。そして、「この先は何があろうと私の指示に従え。さもないと生命は無い」とストーカーが警告します。

そこはところどころに錆びた戦車と廃屋が建っている草原でした。ストーカーは「目的地はあそこだ」と遠くに見える廃屋を指さします。

「なんだ。すぐ近くじゃないか」と作家が歩き出します。ストーカーは血相を変えて「戻るんだ!」と叫びますが、作家は構わず進んでいく。すると一陣の風が吹き、「止まれ」という声が聞こえました。

驚いた作家が振り返ってストーカーに「何か言ったか?」と聞くと、「私じゃない。あなたはゾーンから警告を受けたんだ。」気味が悪くなった作家がストーカーの元に引き返すと、「あなたは運がいい。警告だけで済んだ。ここからは私の指示に従ってもらう。目的地の家に着くまでには何日かかるか分からない」

そう言って布切れを巻きつけた大きなナットを投げ、落ちた場所まで歩くストーカーたち。途中で眠り、ゾーンとは何なのかを議論し、また進みます。

この映画で起こる「超常現象」は、最初の「止まれ」というゾーンからの警告と、ラストシーンに起こる、ある現象です。

何も起こらず、目の前には普通の草原しか無いのに、恐るべき緊張感に満ちた映画です。2時間半以上ある長い映画ですが、これほど緊張感に満ちた映画を私は知りません。

●「ノスタルジア」

……1983年に発表されたソ連・イタリア合作映画で、タルコフスキーが初めて国外で撮影した映画です。

「ノスタルジア」の主人公アンドレイ・ゴルチャフは、助手兼通訳のエウジェニアと共にイタリア中部のトスカーナ地方を訪れていました。故郷ロシアに戻れば農奴となると知りながら帰国して自殺した作曲家、サスノフスキーを取材するためです。

旅の最後に立ち寄った温泉町で、アンドレイはドメニコという狂人と出逢います。ドメニコは、もうすぐ世界が終わるという妄想に取り憑かれ、7年間にわたって家族を自宅に監禁したことで精神病院に収容され、出てきていたのです。

ドメニコはアンドレイにベートーベンの第九を聴かせ、「蝋燭の火を消すことなく広場の温泉を渡り切ることができたら世界は救済される」と言います。そして、アンドレイに蝋燭を持って温泉を渡る役目を頼みます。彼は広場の石像に登って通行人に向かって演説をした後、頭からガソリンをかぶって焼身自殺します。

アンドレイはドミニコの遺志を実現するため、お湯が抜けてガランとした温泉を、蝋燭を手に渡ろうとしました。しかし、焔は何度も風によって消えてしまいます。

ようやく渡りきったアンドレイは意識を失います。そして、故郷ロシアの夢を見るのでした。この映画のアンドレイは、明らかにタルコフスキーの分身です。ソビエト国内で創作上の不自由を感じていたタルコフスキーは、イタリアで映画を完成させても母国に戻らず、そのまま亡命しました。

「ノスタルジア」は、遺作となった次作「サクリファイス」とテーマやストーリーに共通する点があります。異国の地にあって故郷を想うからノスタルジアなのですが、ロケはすべてイタリア国内でタルコフスキーが見つけた場所で行われました。どこも完璧にタルコフスキー的な風景で、イタリア人スタッフ達も、イタリアにこのような場所があったのかと驚いたといいます。

●「サクリファイス」

……タルコフスキーが次に選んだ撮影場所はスウェーデンでした。イングマール・べルイマンのカメラを担当した名カメラマンのスヴェン・ニクヴェイストが撮影を担当しています。

引退した舞台俳優のアレクセンデルは、スウェーデンのゴトランド島で家族と静かに暮らしています。ところがある日、テレビのアナウンサーが「核戦争が始まった」ニュースを告げ、家族はパニックになります。

無神論者だったアレクセンデルは、生まれて初めて神に祈りを捧げます。戦争が止まるなら自分はどんな犠牲でも払うと。

そして「魔女と寝れば願い事がかなう」と聞いたアレクセンデルは、自分の召使のマリアがその魔女だと信じ、マリアの家を訪ねてピストルを自分のこめかみに当てて自分と寝てくれと懇願します。

翌朝、テレビから核戦争のニュースは消え去り、世界は元に戻っていました。しかしアレクセンデルは完全に発狂していました。彼は神への供物として自分の家に火をつけます。

この映画の撮影中、タルコフスキーは医師から、末期の癌に冒されていて余命半年だと告げられていました。

映画はラストシーンを残すのみでした。セットに火をつけ、屋敷が炎に包まれる10分間の長回し撮影の最中、カメラが故障して撮影できなくなるという、とんでもないトラブルが発生します。絶望したタルコフスキーは天を仰いで叫びました。彼はあと半年の命なのです。

スタッフの必死の作業で屋敷のセットは1ヶ月で再建されました。再び本番が撮影され、燃える家の前で主役のアレクサンデルと家族たちが右往左往の演技をし、ようやく撮影は完了。恐るべき緊張感の長回しで、カットの声がかかって緊張の糸が切れた女優の一人はその場で卒倒したそうです。

この撮影風景は、「サクリファイス」のメイキングドキュメンタリー「タルコフスキー・フィルム・イン・サクリファイス」で見ることができます。「サクリファイス」のBlu-rayは2枚出ていますが、今回セットに入れたのはドキュメンタリーが収録されているバージョンです。


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