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日没後に咲く花

創業一族が絶対的な権力を持つそれなりに大きい会社、というのは、日本にそこそこあるんじゃないかと思う。
そういう会社に勤める人たちと、「同族経営あるある」を肴に一晩中飲み明かしてみたい。

社長がいかにワンマンか、というネタだけではなく、それゆえに根づいてしまった他の役員や従業員たちの奴隷根性エピソードとか、腹を抱えて笑えそうだ。

……などと考えてみたが、ワンマン企業しか知らずに育つと「社長が絶対」なことなんて当たり前だし、それゆえに社長にかわいがられようと必死になる50過ぎのオッサンの話だって、それの何が悪いのか、と感じるのかもしれない。

晩秋のとある日、某部の元部長で数か月前に子会社取締役に就任した人(50過ぎのオッサン)が、私に声をかけてきた。
私が所属する部署で運営するスマホアプリのことで、相談があるとのことだった。

嫌な予感がした。

そのスマホアプリはもともと、現社長がまだ常務取締役だったときに立ち上げたもので、思い入れが強く、しかも会員数もそれなりになって育ったものだから、社長に就任したあとも何かとそのスマホアプリに自分の思いをぶつけようとしてきた。
きっと今回もまた、そういう系統の話だろう。
私に直接言うのは避けて、子会社取締役を経由して、「自分の思い」を実現しようとしているんだろう。

果たして、私の予感は的中した。
翌週にセッティングされた打ち合わせでは、そのスマホアプリのユーザー向け連絡機能に広告枠を設けて、メーカー向けに販売する話を持ちかけられた。
きっと、今まで紙で案内していた宣伝を、「DX推進」の号令のもとに、デジタル化しようという考えなのだろう。
だが、DXとは「紙をデジタル化する」こととは、大きく異なる。
そういうことすら理解できないで「DX推進」を掲げる企業は、私が勤める会社だけではないだろうが。

「あのアプリの連絡機能は、そういうことを想定して作っていないからご希望の仕様になっていないですし、メーカーからの宣伝を一方的に送られたユーザーは、うっとうしいと感じて通知をオフしたり、最悪の場合、退会するかもしれないので、そのリスクは負えません。」
私はきっぱり断った。
しかし子会社取締役は一歩も下がらなかった。
「仕様じゃないということは、システムを改修すればできるってことでいいよね。」
「仕様を変えればできるかできないか、でいえば、できますが、できません。ポリシーに合いません。利用規約もプライバシーポリシーもそのようになっていません。」
私も一歩も引き下がらなかった。
しかし、子会社の取締役にまでなったタイプの50過ぎのオッサンの底力はすごかった。
「利用規約やプライバシーポリシーを変えればできるってことでいいよね。」
こちらの言葉尻を捉え、揚げ足を取るようにして自分の思うように進めようとしてくる。
私は、その子会社取締役の目をじっと見据え、覚悟を決めて言った。
「そういうことではないです。運営上のポリシーです。運営ポリシーに反するんです。」
すると、「かかった!」と言わんばかりに目を輝かせた子会社取締役は、こう言い放った。

「これ、社長のご意向なんだよね。」

この会社に就業するようになって、もっとも嫌いな言葉のひとつとなったのが、「社長のご指示」「社長のご意向」だ。
そのパワーワードを使って他人を平気でこき使い、本来あるべき姿ではない方向へ捻じ曲げてきた事例を、いくつも見てきた。

しかし、以前のように「社長のご意向だったら何でもするんですか。盗みもできますか。人も殺せますか。」とは詰め寄ることができなかった。
なにしろ私は、会社内で微妙な立場に追い込まれた弱い存在だ。
これ以上強気に出る気力も起きず、
「お話は一旦持ち帰り、プロジェクト内で検討します。」
と、か細い声で返すことしかできなかった。

それでもどうしても一言、添えたかった。
「このスマホアプリのことについては、私の一存では決められません。次は、プロジェクトメンバーも招集して、みんなで協議検討したほうが良いと思います。」
これは、本来あるべき仕事の進め方だ。私はそう思った。
しかし子会社取締役は、意に介さないと言わんばかりに眼鏡の奥の目を細めた。
「今は、ひとりひとりと話をしたいんでね……。」
思いにふけるような、少し芝居がかった声色だった。

すると急に目線をこちらに向け、(マスクの下で)野心に燃えた表情を浮かべた。
「外堀を埋めてやる。」
そして、ぱちんと口を閉じ、ご満悦の表情を浮かべた。


社内で弱いとか強いとか、そういう社内政治に疎いのか左右されないのかはわからないが、非常に合理的でフラットな判断をする部署がある。
他社では「法務部」などと呼ばれていることが多いその部署のキーパーソンに、私は意見を聞くことにした。
詳細は省いた上で、「スマホアプリに広告枠を設けてメーカーに販売するという案があるようだがどう思うか。アプリユーザーの性質上、コンプライアンス的に問題はないだろうか。」といった具合だ。
その私からのメールに、翌日返信が届いた。
「コンプライアンス上の懸念については弁護士に確認してみますが、そもそもその事業を展開することの是非を、経営判断してもらったほうがいいと思います。」

非常に合理的な回答だ。さすがだ。
しかしまさかその案が経営陣(のなかの親玉である社長)から出たものだとは言えず、お礼だけを送信し、私はそっとパソコンを閉じた。

次に私は、スマホアプリも含めたコンシューマ向けサービスを検討している「戦略会議」に、この情報を持ち込んだ。
その子会社が考えている広告ビジネスについてどう思うか、考えを聞きたかった。
その広告ビジネスが、「社長のご意向」であることも添えて。

日に日に心も弱まるなかで、もしかしたら私の感覚がおかしいのかもしれないと感じるようになってきていた。
社長がお考えのことなんだから、会社としての素晴らしい展望があり、スマホアプリのグロースにも繋がり、凡人のしょうもない思いに固執するなんて百年早いのかもしれない。
もしかしたら、私以外のすべての人は、なんて素晴らしい事業なんだ、と感じるのかもしれない。

その「戦略会議」は、システム本部の本部長が主宰し、コンシューマ向けサービスに関わる各部責任者が集まる、まさに「戦略」を検討する会議体で、なにか大きな決定ができるわけではないが、うちの会社では珍しく組織を横串して情報を共有できる、非常に貴重な場だ。
自信もなくなってきた私が、最後の砦とばかりに今回の件を持ち込んだのは、こうした「横串」での意見が欲しかったからだ。

私のひとしきりの報告を聞いた「戦略会議」メンバーからは、次のような発言が出た。

「宣伝なんか送られたら、せっかく連絡機能で繋がりを持てたユーザーが、離れていく原因になるんじゃない?」
「一度離れたらもう戻ってこないよね。」
「そもそもあの連絡機能には、向いていないと思う。」
「そういうつもりであの機能を作ったわけじゃない。目的が違う。」

私と同じ考えの人たちがここにいたのだ。
ほっと胸をなでおろした私に、システム本部長は、最後にこう言った。

「社長のご意向だからといって、リスクも考えずにただ言われたことをやるようなのは、もうやめたほうがいいよね。ちゃんとみんな、そういうことを言えるようにならなきゃいけないよね。」

思わず泣きそうになった。

オンライン会議越しに向かい合う「戦略会議」のメンバーとは、あまり近い存在に思えないときもあったのだが、同じレベルの情報を共有し、似たような立場にある人ならば、誰もが「それはない」と思う話だったのだ。

半泣きの小さな声で、私は「戦略会議」メンバーにお礼を言い、パソコンに向かって何度も頭を下げた。

その後、子会社取締役は宣言通り、「外堀を埋める」ためにいろいろな人と打ち合わせを設けたらしい。
「戦略会議」メンバーの多くにも声がかかり、広告ビジネスについての意見を求められたそうだが、あの会議のときと同じように回答したと聞いている。

そしてあの日々から数か月が経過したが、スマホアプリの連絡機能を使った広告ビジネスの議題は、社内で再度議論されることはなくなった。

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