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鬼滅の刃とバチェロレッテが証明した「女性性の時代」

※この記事はネタバレを含みます。

「新型コロナウィルス」に始まり「新しい生活様式」が定着した、激動の2020年もあと2週間で終わろうとしている。

「今年はどんな年だったか」
人の数だけ答えがありそうな濃厚な1年であったが、私なら迷わずこう答える。

時代が完全に女性性にシフトしたことが明らかになった年。

それは、今年大ヒットした2つのコンテンツである「鬼滅の刃」そして「バチェロレッテ・ジャパン」から読み取ることができる。
(もう一つ加えると、「クイーンズ・ギャンビット」もおそらくそれにあたるが、私はまだ観ていないため、コメントは控える)

それにしても、「鬼滅の刃」はなぜあれほど大ヒットしたのだろうか?

これも、人の数だけ解釈があるだろう。

いろいろな解釈があり得るポイントとしては、「取り立てて、明確な新しさが見えない」というところにもあるだろう。勧善懲悪の構造、家族愛、仲間との連帯、繰り出される技の数々、倒せば倒すほど強くなっていく敵…一見すると、少年漫画の「定跡通り」であるともいえる。

私は、最大のポイントは「作者が女性であったこと」だと思う

女性ならではの感性やタッチの細部の積み重ねが、結果として凡百の少年漫画をはるかに凌ぐインパクトを世の中に残すに至ったのだ。

最も象徴的なポイントを挙げよう。

通常の「男性目線」の少年漫画は、「強さを競う」「アクロバチックな技を繰り出す」ところに最大の高揚のポイントがある。地球を守る、仲間を守る、という「大義名分」はベースとしてあるが、基本構造としては、敵を倒す⇒さらに強い敵が出てくる⇒その敵を新しい技で倒す⇒さらにさらに強い敵が出てくる⇒さらにさらにさらに新しい技で倒す…の無限ループだ。最大の見どころは「強さ」であり「技」である。「ドラゴンボール」の主人公「孫悟空」の「かめはめ波」を子供時代に真似をした人も多いだろう。「努力」「友情」「勝利」の少年ジャンプの世界そのものだ。そして、その構造はほぼ、「スポ根漫画」にも当てはまる。

しかし私が見る限り、「鬼滅の刃」が出色であるポイントはそこではない。
確かに様々な技が繰り出されるし、そこも一つの見どころではあるが、「核心」ではない。

最大のポイントは、「鬼滅の刃」は「価値観の戦い」を描いた物語であることである。

それは、映画版でも描かれた下記のシーンに象徴される。

炎柱・煉獄杏寿郎と鬼である「上限の3」との戦いにおいて、煉獄の類まれな強さを認めた鬼は「お前も鬼になれ」と言う。鬼になれば老いることなく、永遠の強さが手に入るという理屈だ。しかし、煉獄は以下の一言で一蹴する。

「お前とは価値基準が違う」

「価値基準」という小難しい言葉が少年漫画で出てきたことに、私は驚きを覚えた。そして、この言葉は戦いの中で複数登場する。しかし敢えてそのような言葉が使われているのは、まさにここが「鬼滅の刃」の核心であるからだろう。

そしてこの戦いの中、負傷した主人公・炭治郎は以下の叫びを繰り返す。

「一人も死なせない」

まさに、「一人も取り残さない」SDGsの価値観そのままである。

ここに、「本当の強さとは何か」という男女の価値観の違いが鮮明に浮かび上がるのだ。

男にとって、強さとは「勝つ」ことであり、それは「実績」や「数値」に置き換え可能である。ドラゴンボールが物語の途中から「戦闘力」という数値の戦いにシフトしたことがその象徴である。だから、敵はさらに強くなるし、その敵に勝てるようにさらに強くなる、という無限ループが繰り返される。そして、友情だったり、地球を守るという「フレーバー」はついていても、基本は「戦いに勝つこと」が正義だ。

しかし、鬼滅の刃は、本当の強さを「利他的であること」に設定したのだ。
だから、鬼に対して「俺はお前より強い」ではなく「お前とは価値観が違う」という言葉になるのである。「鬼」とは、古来より人間の心の中の「エゴの象徴」だ。自分さえ良ければ他人はどうなっても良い。それが「鬼のあり方」である。しかしそれに対して、炭治郎と柱は「利他」を貫く。強くなるのは「人のため」という「価値基準」だから。
もっと平たく言うと、これは「強さ」vs「優しさ」の戦いの物語なのである。

本当の強さは「力が強いこと」ではなく「優しさを貫くこと」。
これは、女性でなければ描けなかった構図だと思う。


新自由主義、自己責任、権力者による弱者切り捨ての風が吹き荒れる今の日本において、圧倒的に多数派であり、優勢である「利己」に対して、不利な戦いであることを自覚しつつも「利他」を貫くその姿に、2020年の日本人は心を打たれ、大きなカタルシスを覚えたのである。

そして、バチェラーの女性版である「バチェロレッテ・ジャパン」。

バチェロレッテである福田萌子さんは、どんな男性を選び、どんな男性を落とすのか、そこに「今の時代」が現れると思って、注目していた。

男性陣が絞られていくたびに明らかになっていったのは、彼女が男性に対して重視していることは、ルックスでもスペックでも「いわゆる男らしさ」でもなく、「弱さも含めて、本当の自分をさらけ出すこと」だということだった。

その象徴的な存在が、台風の目となった、アーティストの「スギちゃん」こと杉田陽平さんである。

最初の出会いで、彼は萌子さんに話しかけることすらできず、泣きべそすらかいていた。正直言って、ルックスもいわゆる「イケメン」とは程遠い。この時点では誰もが、彼の早期敗退を予想していたはずである。

しかし、彼は旅が進むごとに、どんどん輝きを増していく。
他の男性にはない純粋さ、素直さ、萌子さんを思う「まっすぐな気持ち」が浮き彫りになっていき、それに対して彼女の気持ちが動いていく様子が浮き彫りになっていくのである。

そして彼は、最後の2人、最終決戦まで残るほど大きな存在になっていくのである。

彼のライバルとなった、起業家の黄皓さんに対しても、彼女はそれを要求する。ルックス、経歴、収入、コミュニケーション能力。どれを取っても非の打ちどころのない彼に対して、彼女が唯一感じていた物足りなさが「弱さをさらけ出していないこと」だったのだ。その思いに対して、それまでクールなキャラクターを演じ続けていた彼も、最後の屋久島デートで自分の思いを吐露し、涙を流すのである。

「弱さも含めて、本当の自分をさらけ出せることが、強さ」

福田萌子さんは、この強烈なアジェンダ設定を日本の男社会に対して投げかけた。そしてそれに対して、多くの女性が萌子さんを理想の女性のロールモデルであると感じ、スギちゃんに対して共感と好意が集中したのだ。

「利他性=優しさを貫くこと」「本当の自分をさらけ出すこと」、これが、これからの男性の強さであり、魅力になっていく。いわゆる「マッチョ思考」の男性には一番苦手なことだ。これからの男性は、自分の中に「女性性」を内在させていくことが必要になる。

2020年、コロナ禍の陰に隠れて、ひっそりと「女性性の時代」が幕を開けた。

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